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異色の、そして不運なヒットメーカー

Break Outの発売された翌年、カリフォルニア州サンディエゴから異色のシューティングゲームが登場することになります。 そのゲームを開発したメーカー「Gremlin Industries」社は、1970年に魚群探知機などの海洋測定機器を製造する会社として設立されました。卓越した電子技術を応用し、1973年に野球をモチーフにしたエレメカゲーム『Play Ball』(1973年、 Gremlin Industries)をリリース。エレメカ業界へ参入を果たしました。Play Ballは売れ行きも良く、数年後にはビデオゲーム業界へ進出するまでの企業へと成長しました。

 同社が1976年11月に開催されたMOAエキスポで発表した最初期に発売したビデオゲーム『Blockade』(1976年11月、Gremlin Industries)はいわゆる「陣取りゲーム」でした。ルールは非常に単純明快で、自機が移動した跡に通行不可能な壁が発生するので、うまく相手プレイヤーの進路を塞ぎ、誘い込んで壁に激突させれば勝ちとなるというものです。陣取りゲームは、数年後に公開された映画『TRON』(1982年8月、アメリカ)にちなみ、「トロンゲーム」と呼ばれる1ジャンルとなります。Blockadeはその嚆矢です。

 ルールが単純明快、かつ適度なスリリングさと難易度を持ったBlockadeは、ATARI社のBreak Outよりも一足先にヒットしたゲームのひとつです。ヒット商品が生まれると当然のごとく、似たようなゲームが出回りはじめるようになります。その中でもRamtek社の出した『Barricade』(1977年1月、Ramtek)は、まったく内容が同一だったため、不正競争防止を理由に裁判に至ったほどです。最終的にはRamtek社が折れ、ゲームタイトルを『Brick Yard』(1977年3月、Ramtek)へ改称することを表明し、事なきを得ました。

 Ramtek社以外にもBlockadeに類似するゲームを発売したゲームメーカーは何社かありましたが、Blockadeが人対人で遊ぶものであったことに対し、コンピュータと対戦して遊ぶ機能をつけたものは、発展性を持つ機能が追加されているなど、訴訟の対象にはなりませんでした。

 日本のゲーム企業は海外のゲーム企業とライセンス契約を交わしてビデオゲームを販売していましたが、先に海を渡ってきたのはタイトーと契約したRamtek社のものでした。Gramlin Industries社と1976年11月に独占販売権を結んでいた中村製作所は、タイトーから遅れること2ヶ月となり、複雑な心情だったのではないでしょうか。

 Gremlin Industries社はBlockadeの訴訟問題が終わると、自社の強みを活かした「海洋」をテーマにしたシューティングゲーム『Depth Charge』(1977年9月、Gremlin Industries)を発売しました。Depth Chargeとは「対潜水艦用の爆雷」という意味で、爆弾の形状はドラム缶に似ています。プレイヤーは洋上に浮かぶ駆逐艦からDepth Chargeを海底へ投下し、潜水艦を沈めていくゲームです。潜水艦の深度・スピードを見越してタイミング良く爆弾を投下していくという先読みの楽しさや、深度を下げて浮遊機雷を発射して攻撃を加えてくる敵潜水艦との駆け引きが面白いゲームです。敵の機雷が海面に出た際には水しぶきがドーン!と上がるなど、演出面でも凝っていました。

 Depth Chargeは入念なロケーションテストを重ね、ゲーム性も高めた結果、市場へ出回るとたちまち人気となりました。当時発売されたコンシューマ機『Telstar Arcade』(1977年, Coleco)などへも移植されると、アーケード版と同じく人気ソフトになりました。

 ATARI社もすぐに追従、類似ゲーム『Destroyer』(1977年10月, ATARI)を発表しました。プレイヤーは、常に動いている自機を2つのボタンで加速/減速しながら、パドルコントローラーを使って爆破をコントロールするというもので、同じ駆逐艦をモチーフとしながら、まったく異なるゲーム性を持っていました。これは前述した訴訟の件も見越してのことかもしれませんが、もしかしたらATARI社らしいオリジナリティを発揮したのかもしれません。このオリジナリティがシューティングゲームに新しい可能性を生み出すということは、当時のノラン・ブッシュネルは知る由もありません。

 再び日本に目を向けると、Depth Chargeの人気にあやかったゲームがやはり開発されていました。タイトー社は『サブハンター』(1977年、タイトー)、セガ・エンタープライゼス社は『デプス・ボム』(1978年、セガ・エンタープライゼス)を発売します。

 セガ・エンタープライゼス社は翌年になるとデプス・ボムの完成度を高めた『ディープ・スキャン』(1979年、セガ・エンタープライゼス)を発売すると、ロングヒットする作品となりました。この背景にはセガ・エンタープライゼス社が技術力増強のために1979年にGremlin Industries社を買収していたことがあります。セガ・エンタープライゼス社は、Gremlin Industries社を買収し、アメリカ支社に技術部門を作ったのです。

 セガ・エンタープライゼス本社はGremlin Industries社の技術力を吸収すると、技術部門ごとBally社へ譲渡しました。この譲渡はセガ・エンタープライゼス社にとっては良い判断でした。なぜなら1983年に「アタリショック」が起きると、譲渡されたBally社はゲームバブル崩壊の余波を食らい、営業停止する不運に見舞われてしまったのです。

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