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世界初のPDS

 PDP-1で人気を博したゲームSpace War!が登場してからというもの、長い期間に渡って学生たちを虜にしてきました。理由はふたつあります。

 ひとつはSpace War!を作り上げたハッカーたちがSpace War!の特許を取得せずにPDS(Public Domain Software:パブリック・ドメイン・ソフトウェア)とし、公共のソフトウェアとして配布したことです。そのため、色々な大学や研究室にプログラムコードの書かれた穿孔テープがあっという間に広まり、誰でも楽しむことができたのです。また、Space War!はDECUSで発表された経緯もあり、DEC社もPDPを購入した顧客に対し、Space War!の穿孔テープを無料配布しました。

 このような経緯で各地に広まったSpace War!は、多くのアイディアを盛り込まれて進化していったのです。つまり誰もが自分たちのアイディアを盛り込んで改良できたのです。これがふたつめの理由です。

 主だった改造は次のようなものです。

 ・燃料やミサイルの数が可変

 ・連射可能

 ・ミサイルの射程が可変

 ・自機が見えなくなる(ミネソタ・ハイパースペース)

 ・太陽がブラックホールになって見えなくなる

 ・太陽にぶつかっても死なない

 ・機雷をばらまく

 ・部分ダメージ制

 ・三機以上で対戦できる

 ・二つのモニターを使用し、違いに相手が見えない

 ・自機の爆発と共に電気ショック!

 多くのアイディアを取り込みながら進化するSpace War!は、さらに新しいコンピュータが登場すれば有志によって移植されました。そのうち、実用的な機能も盛り込まれ、ゲームをセーブしたり、自動リスタート機能をつけるためのパッチプログラムなどもリリースされるようになったそうです。

 「これだけ面白いゲームならSpace War!をスタンドアロンにしたら儲かるだろう」と考える人間が現れるのも必然です。

 スタンフォード大学のビル・ピッツとヒュー・タックは、同大学のAI研究所にあったPDP-10版のSpace War!をベースにPDP-11上でプログラムしなおし、ウォールナット材を使った高級なベニアで筐体を構築、総額$20,000ドルをかけたコイン投入型のスタンドアロンマシン『Galaxy Game』(1971年6月、Bill Pitts/Hugh Tuck)を1971年6月に完成させました。Space War!から名前を変更した理由は、当時キャンパス内で「戦争」というコンセプトが受け入れられない風潮にあったためです。

 セカンドバージョンのGalaxy Gameは4~8画面で同時に遊べるように改良され、9月に学内のカフェに設置されました。1回10セント、3回25セントというゲーム料金でしたが人気だったそうです。

 同年、やはり同じようなことを考えた人間がいました。その人物はノラン・ブッシュネル。のちに「ビデオゲームの父」と呼ばれるようになるATARIの創業者です。どうやら「ゲームで楽しませたい」というのはゲームを作成する人の中に流れるというのは共通しているようですね。

 ユタ大学に在籍していたブッシュネルもSpace War!をいたく気に入っており、「この楽しいゲームをたくさんの人に遊ばせるのはどうだろうか」と、つねづね思っていたそうです。

 当時、ブッシュネルは遊園地でアルバイトをしていましたが、そこにヒントを得てひとつのアトラクションのような形にできないかと思案していました。しかし、試算ではコストの回収が不可能で、そのときは断念せざるを得なかったですが。しかし、いつか作ろうという気持ちだけは失わなかったのでした。

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