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ひとり遊びへ転向したキッカケは何か?

 これまでに見てきたように、ビデオゲームは多人数で遊ぶことが多かったと言うことができます。Computer SpaceやPongなどのロケーションテストが行われていた場所が酒場であったこと、PLATOのように一部の施設にしかなかったものまで含めると、人が多く集まる場所にゲームは存在し、多人数で遊ぶことが前提条件だったと推論できます。さらに多くのゲームはエレメカなどと同じく遊園地などに置かれていたことも考えられ、ゲームに一人用がついていたのは、ほかの誰かと待ち合わせるための暇つぶし機能だったということが言えるでしょう。

 では、ゲームがひとり遊びに転向していったのはいつ頃からだったのでしょうか。

 1970年代でひとりで遊べるゲーム、かつ人気を博したゲームを探してみるとPongを進化させた『Break Out』(1976, ATARI)を見つけることができます。Break Outはプレイヤーがラケットを操作し、ボールをレシーブして、画面上に敷き詰められたブロックをすべて消すというブロック崩しゲームです。ゲームデザインも良くできており、特定の条件でボールが加速したり、ラケットが短くなったりするなど、プレイヤーが長く遊ぶためには、ある程度のテクニックを身につけておく必要があります。

 Break Outでは、画面上に存在するブロックをすべて壊せばステージクリアとなり、新たに画面上にブロックが敷き詰められて次のステージがはじまります。この「ステージクリア」という概念の誕生が、多くのゲームをひとり遊びに転向させていく一因になったことを示唆できます。『トルネコの冒険』(1993, チュンソフト)の原作となった『Rogue』はBreak Outが発売される前年の1975年に開発されてUNIXユーザの間で普及し、ひとりで遊ばれていたという事実もありますが、Rogueもダンジョンのフロアをひとつずつクリアしていく性質があるのは共通した要素だということができます。

 Break Outはブロック崩しという名称で日本にも輸入され人気を博し、コピーゲームも多く作成されました。

 ブロック崩しの人気の裏で、タイトー社はそれまで大型の筐体に入っていたビデオゲームを小型化し、「テーブル筐体」を発明しました。テーブル筐体は日本のような狭い立地に立てられた店舗にマッチするのか、喫茶店を中心に普及していきます。テーブル筐体が日本の立地に適していたことが、のちにトンでもない現象を爆発させる一助になろうとは、当時のタイトー社員の誰にも予想できなかったのではないかと思います。

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