記事一覧
第六章 苦行楽行十二年*①
〇頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)との出逢い*②
太子は二大仙人に逢うため、恒河(ガンジス川)を渡り、摩伽陀国の首都王舎城に入りました。城に入ると太子の気品ある容貌は民衆の評判となり、頻婆娑羅王までその噂は達しました。早速王は大臣たちに尋ねました。
「これはなんの騒ぎだ」
大臣が答えて言いました。
「今、浄飯王の嗣子悉達太子が来ています。占い師によると国王の後を継ぐと転輪聖王となって四天下を
第四章 青年時代と四門出遊
太子は武芸に関しても比類なきものがありました。従兄弟でもある提婆達多(だいばだった)や異母弟の難陀(なんだ)達と弓術大会で競いましたが、太子にはまったく歯がたちませんでした。相撲をとったときでもそうでした。提婆達多と難陀が二人してかかってきも、地面に放り投げました。ただし、太子はいつも慈しみの心をもっていたので、決してけがをさせることはありませんでした。
それを見ていた人々や遠近の民衆たちは、
第二章 下天、託胎、降誕
一切義成就(いっさいぎじょうじゅ)菩薩*①は、すべての行を修め一生補処の菩薩として兜率天(とそつてん)にいます。そこから下るため娑婆世界を観察していました。
「娑婆の衆生の機は熟したか?時は熟したか?いずれの国に生まれようか?生まれるところの種族はどこがいいか?父母となるべき両親の過去の因縁はどうなのか?」
その時、兜率天にいた諸々の天子は、大いに歎き悲しんでいました。
「どうして娑婆世界へ行
第一章 釈尊のいろいろな前世
〇雪山(せっせん)童子の時*①
昔、一人の童(わらべ)がいました。それはそれは高い雪山に住んでいました。そのため「雪山童子」と呼ばれていました。わらびを取り木の実を拾って命を保って、鹿の皮を着物として肌をかくして静かに修行していました。雪山童子は、この世間をつくづく観察して思いました。
「生死無常の理(ことわり)からは逃れがたく、生まれた者は必ず死ぬ。そうであるから憂き世のはかないことは