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第四章 青年時代と四門出遊

 太子は武芸に関しても比類なきものがありました。従兄弟でもある提婆達多(だいばだった)や異母弟の難陀(なんだ)達と弓術大会で競いましたが、太子にはまったく歯がたちませんでした。相撲をとったときでもそうでした。提婆達多と難陀が二人してかかってきも、地面に放り投げました。ただし、太子はいつも慈しみの心をもっていたので、決してけがをさせることはありませんでした。
 それを見ていた人々や遠近の民衆たちは、
「浄飯王の太子は、ただ智慧がみんなより優れているだけでなしに、勇ましく、武芸においても誰も及ぶものがいない」と声高らかに言いました*①。

 何年か経って、浄飯王は諸々の大臣を集め協議しました。
「太子はりっぱに智慧と武芸を極めた、そろそろ成人の儀式をおこなう」
 2月8日、近隣の国々の国王や大臣、婆羅門達を招待して灌頂(かんじょう)の儀式を行いました。浄飯王は「悉達を太子となす」と高らかに宣言しました。時に、虚空の諸天は音楽を奏で、天人、龍神、夜叉、人非人等は異口同音に「善哉!善哉!」と言いました*②。

 まもなくして、太子は城を出たいと王に告げました。王は諸々の大臣や従者を多く引き連れ、太子と共に城を出ました。そして田畑のあるところへ到りました。すると浄居天が耕した土の中にいる虫に化けました。しかしそれを見つけた烏についばまれました。
 太子はそれを見てはっとし、慈悲の心をもって言いました。
「衆生というものは哀れなものだ。互いに食べ合う関係にある」
そして、日の差さない深い樹木の下で、端座思惟してしまいました。
 王はそれを見て、阿私陀仙人の預言を思い出し、出家してしまわないかと心配になりました。そして早く結婚させようと考えました*③。
 
 太子が十七歳のころでした。浄飯王は大臣たちを集めて会議を開きました。
「太子はもう年頃だ。お后はどこかいないなか?皆のもの、各所にあったてすばらしい后をさがしてくれ」*④
 かくして、耶輸(やしゅ)大臣に娘がいました。耶輸多羅(やしゅたら、耶輸陀羅とも表記)という娘で、五天竺随一の美女で、その誉れは四海にとどろき、天女のような女性でした。そして太子は耶輸多羅をお后に迎えました。
 しかし、おなじく太子である提婆達多もその女性をめとろうとしていて、それ以後二人の中は非常に悪くなりました*⑤。

 ある時でした。太子は、宮殿の外で行われている園遊会で妓女が詠じる歌声を聞きました。太子は宮殿の外を物見遊山したいと思い、浄飯王に伝えました。王はもちろん許可しました。その前に王は、各方面の大臣に園地の景観を整備し、道路などを徹底的に清掃するように命じました。
 太子は諸々の侍者を引き連れ、城の東門より外へ出ました。国中の人々は皇太子様が城よりお出ましになることを聞きつけ、掃除の行き届いた道の両脇には一目見ようとする男女で溢れていました。
 その時でした。浄居天(じょうごてん)が瞬時にやって来て、突然老人に化けました。髪の毛が真っ白で、折れるかと思うほど背がくの字に曲がった杖をついた老人が、とぼとぼと歩き、太子の前を横切りました。
 太子は侍従の者に尋ねました。
「この人はどういう人か?」
 侍従の者は答えました。
「これは老いた人です」
 太子はさらに問いました。
「老いとはどういうことか?」
「この人は、最初は赤ん坊で、幼児、少年、青年と成長し、年とともに肌に張りがなくなり、食欲や気力も衰え、寿命も後わずかです。それを老人というのです」
 太子はまた侍従の者に問いました。
「老いというものは、ただこの人のみに言えるのか。それともみんながそうなるのか?」
 侍従の者は答えました。
「いいえ、みんながその様に老いるのです」
 その時太子はそのことを聞いて
「月日が流れ過ぎ、歳を重ね、老いが稲妻のようにやって来る。私は裕福だといっても、老いというものは誰一人免れることはできない。どうして世間の人達はそれに気づかずのんびりすごしているのだろうか?」と思いました。
 太子はもともと厭世的で、これで一層世を憂う気持が増しました。そして侍従の者に急いで車を反転させ、宮殿の方へ戻るよう命令しました。
 宮殿に帰ったら、王は侍従からその出来事を聞いて、心が憂鬱になりました。

 少したってから、太子はまた王に出城を申し出ました。
王はまた老人に遇いはしないかと心配し、諸大臣に道路を整備し、街路樹を匂い麗しく、花の鮮やかなものにするうよう命令しました。また老人や病人に逢わないよう道路を厳重に規制するよう命じました。
 すると諸大臣たちは「城外の公園は忉利天(とうりてん)にあるような庭園に造りかえます」と申し出ました。
 そして王は「前回は東の門から出たが、今度は南の門から出るように」と指示しました。
 太子は百人を超える官僚を連れて、城の南の門から出ました。
すると浄居天が病人に化けて現れました。体はがりがり痩せ衰え、お腹は餓鬼のように大きく出て、息はたえだえ、顔色はどす黄色く、全身震えていて、自ら立つことができずに、道の辺に横たわっていました。
 太子は「この人はどういう人か?」と侍従の者に尋ねました。
「これは病人というものです」
「病とはどういうものか?」
「病とは、欲望のままにすきなものを楽しむとなります。飲み食いに節度をなくすと四大(しだい・地水火風のこと)が調わず、病気になり、節々が痛み、気力が衰え、睡眠もままならず、手足に力がはいらず、最後には臥したままになります」
 太子は病人を見て、憂いてまた尋ねました。
「この人だけが病になるのか、それとも誰もがなるものなのか?」
「一切の民は、貴賤にかかわらず病になります」
太子は「そうしたらこのような病苦が、あまねく罹るにもかかわらず、なぜ皆の衆は快楽にふけっているのか」と思い、侍従の者に言いました。
「世の中の人々は歓楽に興じ、愚痴、無知にして、何の覚悟もない。今どうして、その忉利天にあるような園へ行って遊んでられようか」
太子は車を反転させて、来た道へもどり、王宮に帰りました。
 王はそれらの出来事を側近からすべて聞きました。そうして王は侍従の者に「どうしてあれほど道路を規制し、整備していたのに、病人が現れたのか?」と尋ねました。
「道に臥していた形跡もなく、どこから来たかわかりません」
王は太子が出家しないかと深く憂いて、またまた妓女等の数を増やしました。

 ある時、婆羅門の子息がいました。優陀夷(うだい)といい、聡明で弁舌さわやかな青年でした。優陀夷は王に宮殿に来るようにと請われました。そして王は優陀夷に言いました。
「悉達太子は、世を憂いて五欲を楽しまない。おそらくは出家したいのだろう。君が太子の朋友となって、世間の享楽のすばらしさを教えやってくれないか。そうしたら出家したいという心もなくなるだろう」
 優陀夷は答えました。
「太子は聡明で、博学たるや誰もおよびません。出家したいということは存じませんでしたが、その心を翻すことはなかなかできるものではありません。ただし、王様がいうようにこれから昵懇(じっこん)の仲になれは、なんとかなるかもしれません」
 優陀夷は王の命令をうけて、太子に随従し、行住坐臥一緒に暮らし、一時もそばから離れませんでした。そして王は、歌や踊りもでき、目もくらむような絶世の美女達を選び、太子に給仕させました。

 それからすこし月日が経って、また太子は出城を申し出ました。
王はまた憂慮しましたが、出城を許しました。今度も諸々の大臣を集めて言いました。
「太子は以前は東と南の門から出て、老人と病人に逢った。今回は西の門から出るように。今度は良友の優陀夷と一緒に出城する。太子が以前のように深刻に悩んで城に帰って来ることはないだろう。しかし、城の外の整備は以前よりも増して厳重にし、また園や林や庭園を数倍にも増して豪華にしないさい」と。
 また、王は優陀夷に直接言いました。
「もし、路のほとりに不浄のものや不吉なことがあったら、方便をもって太子の心をはぐらかし、悦ばしいようしてくれ」と。
 時に、太子は優陀夷と共に、また大勢の官僚や侍従の者たちと西の門から城を出ました。
 すると、また浄居天が現れました。そして浄居天はこのように思いました。
「以前に東門で老人、南門で病人となって現れたが、太子がひどく落ちこんで城に帰った。その時、浄飯王はびどく侍従達を呵責した。もし、今回死人になって現れたら、諸大臣や官僚や侍従の者たちが、王からどれほどの罰則を受けるかわからない。今回は太子と優陀夷の二人だけにしか見えないように死人に化けて現れよう」と。
 遺体は四方四人に担がれた輿(こし)に乗り、たくさんの香華がその上に降りそそぎ、まわりには親族が号泣してそれを見送っています。それを太子と優陀夷の二人だけが見ています。
 太子が優陀夷に問いました。
「これは何だ?香華をもってその上を覆い、多くの人達がそれを見て泣いている」
 優陀夷は王の言いつけ通り、尋ねられても黙っていました。そして三たび太子はそのことを優陀夷に問いました。
  すると浄居天は神通力をもって優陀夷に言わせました。
「これは死人です」
 太子は問いました。
「なにをもって死というのか」
 優陀夷は答えました。
「死というものは、無常であり、すべての意識がなくなり、身体や諸根の感覚がなくなることです。生前に財産あっても、愛する人がいても、すべて死がそれを捨てさせるのです。父母親戚故旧に生前愛されても、命終のあとはただ草木のように感情にあらわすことはできないのです。死は誠に哀れむべきことです」
 太子は聞き終わって、心恐れおののき、優陀夷に聞きました。
「ただこの人のみ死というものに至るのか。それとも私もこの死というものになってしまうのか」
 優陀夷は答えました。
「一切の人はみなこのようになるのです。貴賤を問わずなります」
 太子は冷静さをよそおい、小声でまた優陀夷につぶやきました。
「世の人々はどうしてそれを恐れず、放逸にして平然として暮らしているのだろうか?」
  そして侍従に言いました。
「車を引き返し城に帰りなさい」
 侍従は答えました。
「以前に東と南の門から出ました。未だにあのすはらしい庭園に到っていません。途中で引き返せば、また王様に激しく叱責されます。どうして同じことをおしゃっるのでしょうか……」
 優陀夷は侍従に言いました。
「あなたのおっしゃる通り。帰ってはいけません」
 そして、庭園に到りました。そこは芳しい花が多く咲き、諸々の音楽が奏でられていました。妓女や女官達が多くいて、太子を悦ばそうとして、その前で歌舞を踊りました。太子はまったく心動かず、侍従たちにも随行させず園林の奥深く入って行き、樹下のもとに端座し、瞑想しました。

 その時でした。優陀夷が後を追って太子の端座思惟している樹林へ行き、そして言いました。
「浄飯王様は、私と太子が朋友として仲良く交わり、助け合うようにと命ぜられました。本当の友人とは三種類あります。一つ目は、役に立たないものを除いてくれる友人。二つ目は、役に立つことを教えてくれる友人。三つ目は、困難に遇っても見捨てない友人です。昔も今も名王は、跡継ぎを残してから出家したものです。太子も五欲に浴して、子息をもうけ、王の嗣子を絶やさないで下さい」
 「優陀夷、ありがとう。その事はよくわかっている。私が父の国を捨てたいのではない。また、五欲に興味がないわけではない。老病死の苦を恐れるが故に五欲に愛著がもてないのだ。君が言う『古の名王たちは五欲に著してから出家した』というが、今彼らはどこにいると思う?地獄界にいる者、餓鬼界にいる者、畜生界にいる者。また人界や天界である。私は老病死の苦から離れたいのみである。あなたは、どうして私に嗣子をもうけろというのか……」
 優陀夷は、弁舌をつくして太子の心を翻そうとしたが、無理でした。太子は樹下の座から立ち上がり、車係にすぐに城に帰るよう命じました。
 妓女達や侍従や多くの側近達や優陀夷も憂いの顔をしてとぼとぼと城へ帰りました。ただ太子の鬱々とする気持は、城に帰って倍増しました。
 浄飯王は、帰って来た優陀夷をすぐに呼び尋ねました。
「この度の出城はどうだった?」
優陀夷は「城を出るとすぐに死人に遇いました。どこから来たのかわかりません。太子と私だけが見たのです」
 王は侍従達にも尋ねました。
「お前たちも西の門の外で死人を見たのか?」
「私たちは見ていません」
 王はそれを聞いて思いました。
「これは天上の神通力によるものだな。諸々の侍従達にとがはない。阿私陀仙人の預言のいうとおり太子は出家してしまうかもしれない」
王は太子を娯楽させようとしてますます妓女達を増やしました。
 また太子に直接言いました。
「この国はお前のものでもある。どうしてそれほどに憂愁に陥っているのか?」
 太子は何も語りませんでした。
 王は今度は北の門から出ると思い、諸天に不吉な事を現せないように官僚たちに命じました。
「太子を馬の上に乗せ、園林に到達してもその馬上から壮麗荘厳さを享楽してもらうように」と。

 太子はまたまた王に出遊を申し出ました。優陀夷や多くの官僚や侍従達を引き連れ北の門から出ました。そして園林に到ると馬から降りて、側近達をすべて去らせ、独り樹下の下へと行きました。そこで端座思惟し、老・病・死の苦を思念しました。
 すると浄居天が法服を着た比丘(びく)に化けて現れました。手には鉢と錫杖を持って太子の前に到りました。
 太子は比丘を見て言いました。
「あなたは、どういう人か?」
 比丘は答えました。
「私は比丘と言います」
 太子はまた問いました。
「比丘とはどういう者か?」
「よく煩悩を断じ、もう輪廻転生しない人を比丘という。世間は皆無常であり、私が修行して得たのは無漏の聖の道である。色・声・香・味・触・法に執着しないことである。永く無為を得て、解脱の岸に到るのである」
 この言葉を言い終わると、比丘は太子の前で神通力を現じて、空中に高く昇って消えて行った。その時、優陀夷や多くの官僚や侍従達はそれをはっきりと見ていました。
 太子は比丘の言う出家の功徳を聞いて、日頃から懐いていた厭欲の気持がたかぶって叫びました。
「よ~し。天上の声を聞いた。まさにこれに勝るものはない。わたしはこの聖の道を修めよう」
 そうして太子は馬を求め、すぐに乗り宮殿に帰りました。
 王は優陀夷に問いました。
「この度の太子の出城はどうだった?享楽に興じたか?」
 優陀夷はすぐさま答えました。
「太子の向かった道には不吉、不浄なものはなく、園林に到りました。太子は独り樹林に行き、その下で瞑想しました。すると遥か先に一人の剃髪し糞掃衣(ふんぞうえ)を着けた者が来て、太子の前に到り話しをしていました。会話が終わるとその者は虚空へ昇っていきました。話の内容はわかりません。太子はすぐに侍従たちに帰るよう命じました。帰りの太子の顔色は非常によく、なにか悦ばしそうでした。宮殿の中に入ってからも憂鬱な感じはなされなかったようです」
 王はそれを聞き、疑いながらもそれがどういう瑞相が分かりませんでした。そうしてこう思いました。
「太子は必ず出家するだろう。また妃を迎えたのに未だに子供がいない。私は今すぐに耶輸多羅に命じよう。どうにかして国の跡嗣ぎを儲け、太子が城を出て行かないよう監視するように」
 王はその事を耶輸多羅妃に告げると、妃は慙愧に堪えず、黙って一緒に暮し、行住坐臥太子の側を離れませんでした*⑥。

 それから王は太子の心を引き止めようとして、城内の四方に四季折々の風情が楽しめる庭園を造りました。
 東の方は、霞がたなびく雲の間より雁の群れが北の方へ飛び、窓の外の梅の香も御簾から芳しく、鶯のさえずりも聞こえる春の庭園を造りました。
 南の方は、泉の水もキラキラと輝き、川には卯の花が咲き、信太の森にホトトギスが鳴いてるような夏の庭園を造りました。
 西の方は、紅葉と常緑樹が錦おりなし、萩に吹く風が静かに、夏のなごりの川辺は蛍が星降る夜空のように瞬き、松虫、鈴虫の鳴く声が涙をさそうような秋の庭園を造りました。
 北の方は、枯れた木々の野原の色が濃淡のみで、池の水際の樹木に氷柱がかかり、小川のちょろちょろと流れる水音のある冬の庭園を造りました。
 しかも、東西南北の四つの門には、それぞれ五百人の兵を配置して、太子が門を出て行かないよう警護にあたらせました*⑦。



①『過去現在因果経』(『国訳一切経』本縁部四  28~29頁)。
②『過去現在因果経』(『国訳一切経』本縁部四  29頁)。
③『過去現在因果経』(『国訳一切経』本縁部四  30頁)。
④『過去現在因果経』(『国訳一切経』本縁部四  30頁)。
⑤『法蓮抄』(定遺935頁)。
⑥『過去現在因果経』(『国訳一切経』本縁部四  31~39頁)。
⑦『聖愚問答抄』(定遺378頁)。


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