にちかめブログ

「にちかめ」とは僧名からとったペンネームで、僧名は龍盛院日亀(りゅうじょういん にちき…

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「にちかめ」とは僧名からとったペンネームで、僧名は龍盛院日亀(りゅうじょういん にちき)といいます。河内国若江の蓮城寺の住職をしております。ブログではお釈迦様のご生涯、法華経、日蓮聖人のことについて綴ってまいります。 https://renjoji.net/

最近の記事

第八章 成道

〇成道  菩薩太子は、魔王を降伏し終わると大光明を放ち、深く禅定に入り絶対不変の真理を思惟しました。諸法において過去に成した善悪を達観し終り、釈迦族の住民をはじめ、一切の衆生の善悪を知り得たのでした。 「一切衆生において救済者はなく、六道に輪廻して、此岸から彼岸に渡ることはできない*①。すべては虚偽に執着し、そこに真実はない。したがって苦楽に埋没していく」と思惟し、大慈悲心を起こしました。それは日も暮れた初夜の頃でした*②。  夜半に入り、菩薩太子はその天眼をもって世間を

    • 第七章 降魔

      〇菩提樹の下  菩薩太子*①は、菩提樹の下を見て「あの樹木の下で端座し、道が成るまでその座を起たない」と願いました。菩薩太子の徳は重く、菩提樹に向かって一歩二歩と歩くたびに地面がギシギシと大きな音をたてて四方八方に響きました。その震動で盲目の龍が目を覚まし、「これは過去の仏が悟った時と同じ兆しだ」と思い、地面より躍り出て菩薩太子に伏拝頂足しました。  五百羽の青雀(アオガラ)が虚空より飛来し、 菩薩太子の上空を右に旋回しました。色とりどりの雲がその上を覆い、香りのいい風が辺

      • 第六章 苦行楽行十二年*①

        〇頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)との出逢い*②   太子は二大仙人に逢うため、恒河(ガンジス川)を渡り、摩伽陀国の首都王舎城に入りました。城に入ると太子の気品ある容貌は民衆の評判となり、頻婆娑羅王までその噂は達しました。早速王は大臣たちに尋ねました。 「これはなんの騒ぎだ」  大臣が答えて言いました。 「今、浄飯王の嗣子悉達太子が来ています。占い師によると国王の後を継ぐと転輪聖王となって四天下を支配し、出家すれば必ず一切種智を得ると言われています。その太子がこの城に入りまし

        • 第五章 出家

           太子は19歳(B.C.1011年)になり、その時「今こそ出家する時だ」と心に深く思いました。そしてすぐに父の浄飯王のところへ向かい、丁重におじぎをして告げました。 「親族間での愛というものには必ず別れがあります。どうか私の出家を許したまえ。一切の衆生の愛別離苦を解決するためです」  父王は沈痛な面持ちで、太子の手を取り涙を流しながら言いました。 「息子よ。どうか出家することをやめてほしい。なぜなら、あなたはまだ年若く、もし出家したらこの国を嗣ぐものはいなくなる」  太子は、

          第四章 青年時代と四門出遊

           太子は武芸に関しても比類なきものがありました。従兄弟でもある提婆達多(だいばだった)や異母弟の難陀(なんだ)達と弓術大会で競いましたが、太子にはまったく歯がたちませんでした。相撲をとったときでもそうでした。提婆達多と難陀が二人してかかってきも、地面に放り投げました。ただし、太子はいつも慈しみの心をもっていたので、決してけがをさせることはありませんでした。  それを見ていた人々や遠近の民衆たちは、 「浄飯王の太子は、ただ智慧がみんなより優れているだけでなしに、勇ましく、武芸に

          第四章 青年時代と四門出遊

          第三章 幼少時代

           摩耶夫人は、4月8日の明け方、六牙の白象が右の脇より入る夢を見ました。それは大光明を発しながら入ってきたので、太陽を身ごもったとも思いました*①。 その日の日中*②、 師子頬王(ししきょうおう)の孫、浄飯王の嫡子として、また摩耶夫人を母として悉達太子(しったたいし)は誕生しました。童子のころはそのため「日種(にっしゅ)」とも呼ばれました。生まれた場所は、中天竺の迦毘羅衛(かぴらえ)国の蘭毘尼(らんびに)*③の園でした。 悉達太子は、生まれてすぐに七歩歩き 「天上天下

          第三章 幼少時代

          第二章 下天、託胎、降誕

           一切義成就(いっさいぎじょうじゅ)菩薩*①は、すべての行を修め一生補処の菩薩として兜率天(とそつてん)にいます。そこから下るため娑婆世界を観察していました。 「娑婆の衆生の機は熟したか?時は熟したか?いずれの国に生まれようか?生まれるところの種族はどこがいいか?父母となるべき両親の過去の因縁はどうなのか?」  その時、兜率天にいた諸々の天子は、大いに歎き悲しんでいました。 「どうして娑婆世界へ行ってしまわれるのか?せっかく私たちは法の眼を得たのに。行かれたら、川を渡るに船頭

          第二章 下天、託胎、降誕

          第一章 釈尊のいろいろな前世

          〇雪山(せっせん)童子の時*① 昔、一人の童(わらべ)がいました。それはそれは高い雪山に住んでいました。そのため「雪山童子」と呼ばれていました。わらびを取り木の実を拾って命を保って、鹿の皮を着物として肌をかくして静かに修行していました。雪山童子は、この世間をつくづく観察して思いました。 「生死無常の理(ことわり)からは逃れがたく、生まれた者は必ず死ぬ。そうであるから憂き世のはかないことは、譬えば雷の光の様に朝日に照らされた露がすぐ消えるのと同じである。風が吹けば灯火

          第一章 釈尊のいろいろな前世

          日蓮聖人の釈尊物語

          〈 はじめに 〉  お釈迦様のご生涯を伝える本は多い。「ブッダ伝」「ブッダの生涯」「釈尊伝」「釈尊の生涯」「釈尊物語」等、タイトルもなぜか同じようなものが多い。最近はサンスクリット語やパーリ語原典からの翻訳がほとんどで、人物や地名のカタカナ表記が主でカタカナ表記のみの本もある。サーリプッタなら舎利弗だと著名な人物ならわかるが、あまり知られていない人物なら漢訳で馴れ親しんだ読者なら誰が誰なのか全くわからなくなる。宗祖日蓮聖人の読まれた釈尊伝等はもちろん漢訳であり、八十歳でご入

          日蓮聖人の釈尊物語