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第八章 成道

〇成道

 菩薩太子は、魔王を降伏し終わると大光明を放ち、深く禅定に入り絶対不変の真理を思惟しました。諸法において過去に成した善悪を達観し終り、釈迦族の住民をはじめ、一切の衆生の善悪を知り得たのでした。
「一切衆生において救済者はなく、六道に輪廻して、此岸から彼岸に渡ることはできない*①。すべては虚偽に執着し、そこに真実はない。したがって苦楽に埋没していく」と思惟し、大慈悲心を起こしました。それは日も暮れた初夜の頃でした*②。

 夜半に入り、菩薩太子はその天眼をもって世間を観察し、すべてを見通しました。一切衆生それぞれの行いの善悪によって、生れては死に死んでは生れ、繰り返し繰り返し苦楽の報いを受けていることを……。
 地獄界を観ると、衆生は拷問を受けていて、口にはどろどろに液状化した銅を飲まされ、そして真っ赤に焼けた鉄の床に伏せられていました。また煮えたぎる鉄の鍋に入れられ、燃え上がる炎の中ではくし刺しにされ、ある所では虎や狼や鷹や野犬に喰われていました。炎を避けて樹木の下に行けば、その樹木の葉っぱが刀剣となって降りそそぎ、斧や鋸で体を切り裂かれている者もいました。その苦しみから逃れるために川に飛ぶ込むと、熱湯の川であったり、井戸に逃げ込むと糞尿まみれであったりしました。このような苦しみを受ける地獄の衆生は、業の報いによっていつまでも絶命することなく永遠に続くのでした。
 菩薩太子は思惟しました。
「これらの地獄界の衆生を観れば、世の快楽のために大悪業をつくり、今このような拷問をうけている。その言いようのない苦しみは表現のしょうもない。もし地獄界以外の衆生がこの悪報をみれば、絶対に悪行の思いを起こすことはないであろう」と。
 餓鬼界の衆生を観ると、そこの衆生は暗黒の闇の中にいて、日や月の光を見たことはなく、お互いに居ることさえ知りませんでした。その形は手足が極端に痩せて、お腹だけが太鼓のように膨れていました。首や咽は針のように細く、常に飢えに苦しんでいました。しかし口の中は火が燃えさかり、何万歳になっても一度たりとも食事したことがありませんでした。たとえ天から雨が降りそそいでも、餓鬼の上では火の玉になりました。あまりの熱さに川や池に飛び込んでも、そこはすぐに熱湯となってしまいました。餓鬼の一挙手一投足に、ゴウゴウという火の燃え上がる音が絶えずしました。
 菩薩太子は思惟しまた。
「これら餓鬼は慳貪のとがによってこの界に落ち、財があっても物惜しみして施しをしないからこのような罪の報いを受けたのだ。人がこの苦痛を観れば、恵み施しをして、吝嗇の心をおこすことはないであろう」と。
 畜生界の衆生を観ると、生前の行いによっていろいろな醜い畜生となっていました。骨を取るためや肉を売るため、角や牙を取るためや毛や羽を売るために人間に殺されるのでした。また人間のために重い荷物を背負われ、絶えず飢えていました。あるものは鼻に穴を開けて輪を通され、首輪をされて人間に酷使され、畜生同士で喰らい合うことが常でした。
 菩薩太子は思惟しました。
「これら畜生界の衆生を観れば、常に人に鞭を打たれて使われ、飢えている。これは悪行を行った報いである」と*③。
 修羅界の衆生を観ると、他の人よりは勝りたいといつも願っていました。その者たちは、負けることを耐え忍ぶことができないで、他の者たちをいつも見下していました。外面には仁・義・礼・智・信を堅く守り、内心は媚び諂う心でいっぱいでありました*④。
 菩薩太子は思惟しました。
「人界において戒を守らない者、そして善行を行わない者はこの修羅界に堕ちるだろう」と*⑤。
 人界の衆生を観ると、中陰より父母が和合していて受胎するのを今か今かと待っている者がいました。顚倒の想いによって愛着が生じ、受胎した身に入りました。出生するときの体の匂いは臭く、十ヶ月かけて地獄の苦しみにも勝る思いで誕生しました。生れればすぐに母胎の外の人に取り上げられ、その苦痛は刀剣で切られるおもいでした。そのようして人が生れても、すぐに老い死んでいくのです。そしてまた赤子として生れ、何も悟らず六道を輪廻していきます。
 菩薩太子は思惟しました。
「衆生は皆このように患いがある。どうして五欲に執着して快楽に耽り、その根本を断つことができないのか」と。
 天上界の衆生を観ると、彼ら諸天の身は清浄であり、その美しい体は垢や埃にまみれたことはないのでした。その目は瑠璃のように美しく、体から光を発し、両眼は瞬きもしないで須弥山の頂上に佇んでいるのでした。ある者は須弥山の四隅に陣取り、またある者は虚空に止まっていました。心はいつも歓喜で満ちあふれ、欲しいものはすべて手に入りました。天上は美しい音楽が奏でられ、昼夜を問わず娯楽に耽けいました。飲み物や食べ物も、衣服も欲しいままでしたが、欲望の火は消えることなく燃え続けるのでした。しかし天上界の衆生もその福が尽き、その時は五つの死相(五衰)が現れました。一つ目は頭上の花が萎み、二つ目は眼が瞬き、三つ目は体から発するき光が消え、四つ目は脇の下より汗が垂れ、五つ目は本来居るところから離れてしまうことでした。
 諸天の眷属はその五つの死相を見て、心に恋慕を抱きました。自らの五相を知った諸天は、己の眷属の憂いをも見て大いに苦しみ悩むのでした。
 菩薩太子は思惟しました。
「これら諸天は元々少しばかりの善を行って、天上に生れ楽を得たのに、その果報が尽きてまた命も尽きようとしている。そして三悪道に堕ちる者もいる。せっかく善行を行って快楽の報いを求めたのに、苦海に沈んでいく。譬えれば、飢えた人が毒の混じった食べ物を食べて、最初は美味しく食べても、後で毒が回って苦しむのと同じである。それは欲界以外の色界や無色界の諸天も同じである。彼らは欲界の諸天より寿命が長いと思い、挙げ句のはて因果はないとまで思い、その謗りによって三悪道に堕ちて行き、諸々の苦しみを受けるのである」と。

  菩薩太子は天眼力をもって六道をつぶさに観察し、「三界の中には、一つとして楽はない。みな苦のみである」と思惟するころには夜明け前でした。
 そして三日目の夜に入る頃でした。菩薩太子は「衆生はどのような因縁によって老死があるのか?」を観察しました。
 「老死は生よりなり、生がなければ老死もなく、また生は天より生ぜず、自らも生ぜず、縁なくして生じ得ない。すなわち生は因縁より生じて、欲有・色有・無色有の三有の業により生じる。三有の業は何から生ずるか。それは四取(四つの執着)から生ずるを知り、四取は何より生じるかを観れば愛より生ずる。また愛は何によって生ずるかを観れば受より生ずる。受は何より生ずるかを観れば触より生ずる。触は何より生ずるかを観れば六入より生ずる。六入は何より生ずるかを観れば名色より生ずる。名色は何より生ずるかを観れば識より生ずる。識は何より生ずるかを観れば行より生ずる。行は何より生ずるかを観れば、すなわち行の無明より生じるを知る」と。
 また「もし無明滅すれば則ち行滅す、行滅すれば則ち識滅す、識滅すれば則ち名色滅す、名色滅すれば則ち六入滅す、六入滅すれば則ち触滅す、触滅すれば則ち受滅す、受滅すれば則ち愛滅す、愛滅すれば則ち取滅す、取滅すれば則ち有滅す、有滅すれば則ち生滅す、生滅すれば則ち老死憂悲苦悩滅す*⑥」と。
 三日目の夜半頃には順逆に十二因縁を観じ、菩薩太子はついに無明を破り、明星が出るころには智慧の光明を得て、一切種智を成就しました。
 そして菩薩太子はついに釈迦牟尼世尊となられ、思惟されました。
「八正道は、三世の諸仏が歩まれた道であり、般涅槃に到る道である。私も今その道を歩み、智慧に通達しているので遮られることはない」と。
 その時でした。大地が十八種に震動し、空中には霞ひとつなく澄み渡り、自然に天上から妙声が聞こえました。香りいい風がどこからともなく吹き、色とりどりの雲は甘露の雨を降らし、園や林のすべての花は時を待たずして咲き誇りました。菩提樹の三十六由旬の周りを曼陀羅華、摩訶曼陀羅華、曼珠沙華、摩訶曼珠沙華、金色の花、銀色の花、瑠璃色の花など、七宝の蓮華が降りそそぎました。この時諸天は伎楽を奏で、散華焼香し、唄い讃歎しました。宝の天蓋と幢幡は釈尊の上空一面に覆いました。竜神八部の衆もそれぞれ釈尊を供養しました*⑦。
 それはちょうど釈尊三十歳の時でした。また大梵天王や第六天等が統治する娑婆世界を釈尊の世界へと帰伏せしめました*⑧。

〇梵天勧請

 菩提樹の下に座して七日目が過ぎようとしていました。釈尊は菩提樹を観て心に思い浮かべました。
「私は一切の漏を尽くして、本願を成就した。得たところの法は甚だ深くして理解しがたい。ただ仏と仏がよく知るところである。一切衆生は、五濁の世に貧欲、瞋恚、愚痴、邪見、驕慢、諂曲に遮られ、鈍根にして智慧はない。どうして私が得たところの法を理解できようか?もし私がここで法輪を転じたなら、衆生は迷って信じることはおろか、誹謗し悪道に堕ちるであろう。私はむしろただ黙って般涅槃に入ろう」と。
 その時でした、大梵天王が天宮より黙然として法輪を転じられない釈尊を見て、憂いを抱きました。
「世尊は過去世、無量億劫という長い間、衆生のために国や城や妻子等を捨てて、諸々の衆生の苦を受け止めて、今ここに所願が満足して正覚を得たのに、どうして黙然として説法なされないのか?衆生は生死の長夜に埋没しているというのに……。私が今まさに世尊のもとに出でて法輪を転ずることを請うてみよう」と。そして天宮より降りて世尊の御前において頭面に足を礼して、右に繞(めぐ)ること数千回、右膝を地面に着けて左膝を立てて言いました。
「世尊。遠い昔から衆生のために生死を繰り返し、身や体を捨てて布施し、諸々の苦を享受されましたけれども、徳行を修して今始めて無上道を成されました。どうして黙然として説法したまわないのでしょうか?衆生は生死の長夜に彷徨い、無明の暗闇に落ち、そこから出ることは甚だ困難であります。しかし、過去世において善友に親交し、諸々の徳行を植え、法を聞いて聖道を受けるに堪える衆生もいます。ただ願わくば、世尊。これらの衆生のために大慈悲力をもって、妙なる法輪を転じたまえ」
 帝釈天や他化自在天もまた同じように、世尊に勧請しました。
 その時釈尊は、大梵天王や帝釈天等に言いました。
「私もまた一切衆生のために法輪を転じょうと思う。ただ私が体得した法は微妙にして甚だ深く、理解しがたく知りがたい。諸々衆生は信受しがたく、誹謗の心を生じて、地獄に堕ちるだろう。その故にわたしは黙然としているのだ」
 大梵天王たちはそれでも、三度重ねて法輪を転じることを請いました。釈尊はついに黙ってその請いを受けられました。大梵天王たちは、釈尊がその請いを受けるのを知り、頭面に足を礼して、各々の住む諸天に帰っていきました*⑨。




①「彼を船として生死の大海をわたるべしや。彼を橋として六道の巷こえがたし」『開目抄』(定遺538頁)。
②『過去現在因果経』(『国訳一切経』本縁部四70頁)。
③『過去現在因果経』(『国訳一切経』本縁部四70~71頁)。但しそこでは地獄界の次ぎに畜生界、そして餓鬼界、人間界となり、修羅界はない。六道ではなく五道である。このことについての考察は、奥村浩基著「『過去現在因果経』について」(印度学仏教学研究第61巻第2号)に詳しい。
④「修羅道とは、止観の一に云わく《若しその心、念念に常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば、人を下し他を軽しめ己をたっとぶこと鳶(とび)の高く飛びて、下視(みおろす)が如し。しかも外には仁・義・礼・智・信を掲げてげ、下品の善心を起し、阿修羅の道を行ずるなり》文」『十法界明因果鈔』(定遺175頁)。
⑤「人間界に戒を持たず善を修する者なければ、人間界の人死して多く修羅道に生ず」『祈祷抄』(定遺669頁)。
⑥平楽寺書店『真訓妙法蓮華経並開結』255~256頁。
⑦『過去現在因果経』(『国訳一切経』本縁部四71~74頁)。
⑧「仏三十成道の御時は大梵天王・第六天等の知行の娑婆世界を奪取給き」『開目抄』(定遺576頁)
⑨『過去現在因果経』(『国訳一切経』本縁部四74~76頁)。また梵天勧請については法華経に「我始め道場に坐し 樹を観じ亦経行して 三七日の中に於て 是の如き事を思惟しき 我が所得の智慧は 微妙にして最も第一なり 衆生の諸根鈍にして 楽に著し痴に盲いられたり 斯の如きの等類 云何して度すべきと 爾の時に諸の梵王 及び諸の天帝釈 護世四天王 及び大自在天 並に余の諸の天衆 眷属百千万 恭敬合掌し礼して 我に転法輪を請す 我即ち自ら思惟すらく 若し但仏乗を讃めば 衆生苦に没在し 是の法を信ずること能わじ 法を破して信ぜざるが故に 三悪道に墜ちなん 我寧ろ法を説かずとも 疾く涅槃にや入りなん」(平楽寺書店『真訓妙法蓮華経並開結』119~120頁)とある。


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