見出し画像

日蓮聖人の釈尊物語

〈 はじめに 〉

 お釈迦様のご生涯を伝える本は多い。「ブッダ伝」「ブッダの生涯」「釈尊伝」「釈尊の生涯」「釈尊物語」等、タイトルもなぜか同じようなものが多い。最近はサンスクリット語やパーリ語原典からの翻訳がほとんどで、人物や地名のカタカナ表記が主でカタカナ表記のみの本もある。サーリプッタなら舎利弗だと著名な人物ならわかるが、あまり知られていない人物なら漢訳で馴れ親しんだ読者なら誰が誰なのか全くわからなくなる。宗祖日蓮聖人の読まれた釈尊伝等はもちろん漢訳であり、八十歳でご入滅された釈尊をどのように讃仰されたのであろうか。

 先のパーリ語原典からの釈尊像としては、例えば「仏伝のうちには神話的な要素が多い」「歴史人物としての釈尊の生涯を可能な範囲において」*①等人間釈尊を描こうとする傾向にある。そんな味気のない凡人釈尊に日蓮聖人は渇仰恋慕したのであろうか。もちろん否である。当然、根本的に尊く崇めるべき釈尊・本来的に大事にされなければならない釈尊・元来持っている尊いお姿の釈尊、である教主釈尊を拝顔したのである*②。


   尚、直近の研究では、さきの原始仏典の釈尊像も「釈尊は、人間以上の単なる神的存在などではなく、あらゆる相対的事象(三界)を超越(解脱)した絶対的存在」「釈尊は真理が象徴的表現のもとに〈人格化〉されたのです」*③と結論つげられた。


 さて、日蓮聖人は八相成道を「次に八相。仏に成るが為に兜率天に生ず生天。天より下る 下天。女人の胎に宿す 詫胎。胎を出ず 出胎。出家すー外道を師として六行智を以て 下八地の見を伏し修を断ず。降魔 菩提樹下に座して第六天魔王を降伏す。(中略)次に成道。有漏智の断じ残せる非想地の見・修を 見惑をば八忍・八智の無漏智を以て断じ 非想地の修惑をば無漏智の九無碍・九解脱を以て断ず。(中略)次に転法輪 四諦生滅の法を説く。次に入涅槃 八十入滅 老比丘像 三蔵の仏草座に坐す。」*④と当然のごとく述べられている。しかし「釈尊出家時の悩み、四門出遊の故事、降魔の際の心理的内面的葛藤」等は全くふれられていないが「むしろそれらは当然知悉のこととしてほとんど何等説明抜きで述べているにすぎない」*⑤という。


 宗祖の直接のお言葉として「〈応化非真仏〉と申して、三十二相・八十種好の仏よりも、法華経の文字こそ真の仏にてはわたらせ給い候へ。」*⑥と法華経の文字は色相荘厳の仏に勝るという。さらに「法華経は釈迦牟尼仏なり。法華経を信ぜざる人の前には、釈迦牟尼仏入滅を取り、この経を信ずる者の前には、滅後たりといえども、仏の在世なり。」*⑦と釈尊と法華経とは切っても切り離せない関係で、法華経を信じる者は今も霊山会上にいる。


 それらのことを踏まえながらも、十九歳で出家、三十歳で成道。五十年の説法、八十入滅*⑧。一方では『一代五時鶏図』*⑨を見てもわかるように五時判に則った八十年間の生涯の釈尊(無始無終の応身*⑩)もまします。華厳経典、阿含経典、方等部経典、般若経典、そして法華経、涅槃経を説く教主釈尊。


 漢訳の仏伝は大正新大蔵経阿含部、本縁部、律部に収められていて、八相成道のこと、転法輪と入滅の間約五十年の挿話としては舎利弗等弟子の帰仏、摩訶陀国に於ける布教、有力信者の帰依、祇園精舎の建設、未信徒(悪逆非道者等)及びその地域の教化、提婆達多の反逆等、そして入涅槃のことが説かれている。また大乗経典も色々な場所(会処)で様々な人々(菩薩や諸天も含め)に説かれたわけである。管見の限り大小乗の経典を説いた五時判に沿った釈尊伝はなかった。


 ここでは『一代五時鶏図』等の五時教判に沿って八十年のご生涯を追い、大乗経典の説処や教え等とあわせて、また弟子や信徒との逸話などは龍樹菩薩造『大智度論』⑪ や馬鳴菩薩造『仏所行讃』*⑫ また僧祐著『釈迦譜』や 志磐著『仏祖統紀』*⑬等を参考にし、宗祖の久成の釈尊物語を綴ってみようと思う。
 



①中村元著『ゴータマ・ブッタ 釈尊伝』。
②「三仏の顔貎を拝見したてまつらん」『観心本尊抄副状』(定遺721頁)。
③鈴木隆泰著「インド仏教におけるブッダ観」『現代宗教研究』第52号。
④『四教略名目』(定遺2892頁)。
⑤渡辺宝陽著「日蓮聖人の釈尊観」茂田井先生古希記念論文集『日蓮教学の諸問題』。
⑥『御衣並単衣御書』(定遺1111頁)。
⑦『守護国家論』(定遺123頁)。
⑧『一代聖教大意』(定遺65頁)。
⑨昭和定本には、真蹟の残る『一代五時図』は佐前に二編。同じく『一代五時鶏図』は佐後に四編ある。「鶏」の字が加えられた理由は、「末法において本門法華が開顕される〈時〉が到来したことを知り、そして、開顕し告げるという意味」である。〈森 清顕著「日蓮聖人撰『一代五時鶏図』における題意の一考察」北川前肇先生古希記念論文集『日蓮教学をめぐる諸問題』〉
⑩「応身とは、この現実の中に姿をあらわし衆生済度のはたらきを示す仏で、この応身の出現があればこそ、仏の真理のあらわれである法身が知られ、またその応現の根本である報身も知られるわけである。応身の衆生済度のはたらきは、仏の大悲によるもので、仏の大悲がある限り、過去・現在・未来の三世にわたって、衆生に応同して処々に出現し、そのはたらきのやむことはない。それ故、応身そのものも無始無終であるということになる。智顗は報身を正意となすとしたが、その報身は有始無終であり、応身は有始有終であった。しかし、日蓮は、応身そのものが無始無終であり、したがって報身も無始無終であるとして応身本仏説に立ったのである。日蓮のこの立場は、現在のこの具体的現実のただなかに久遠実成の釈尊の姿を見ようとするものであって、久遠の本仏に対する解釈はここにおいて究ったといえよう。」〈藤井教公著『法華経』下巻802頁〉また『開目抄』(定遺577頁)に「仏久成にましまさずば、所化の少かるべき事を弁うべきなり。月は影を慳ざれども水なくばうつるべからず。仏衆生を化せんとをぼせども、結縁うすければ八相を現ぜず。」とある。
⑪「大智度論を能々尋るならば此事分明なるべき」『報恩抄』(定遺1211頁)等。
⑫馬鳴菩薩の『仏所行讃』については直接その書名や本文を御遺文には引用されてないが、「天親・竜樹・馬鳴・堅慧等は内鑒冷然たり」『観心本尊抄』(定遺709頁)等、馬鳴菩薩の行跡等を多く引用されていて、『仏所行讃』も当然読了されていたと思われる。
⑬僧祐(445-518)の『釈迦譜』は鎌倉時代すでに伝わっていたが、『仏祖統紀』は1269年に志磐(が生没年不詳)撰した仏教書であるので、日蓮聖人は御覧になっていないと思われる。しかし、中国天台宗を仏教の正統に据える立場から編纂されたもので、はじめの「教主釈迦牟尼仏本紀(巻1-4)」も参考とする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?