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第五章 出家

 太子は19歳(B.C.1011年)になり、その時「今こそ出家する時だ」と心に深く思いました。そしてすぐに父の浄飯王のところへ向かい、丁重におじぎをして告げました。
「親族間での愛というものには必ず別れがあります。どうか私の出家を許したまえ。一切の衆生の愛別離苦を解決するためです」
 父王は沈痛な面持ちで、太子の手を取り涙を流しながら言いました。
「息子よ。どうか出家することをやめてほしい。なぜなら、あなたはまだ年若く、もし出家したらこの国を嗣ぐものはいなくなる」
 太子は、涙しながら出家を許さない父王をみて、自分の住まいに帰りました。そして出家の想いにかられながら憂鬱な日々を送りました。

 国王からの依頼を受けた迦毘羅衛国の占い師達は、太子を鑑定しました。
「7日間太子の出家をとどめれば、四天下の転輪王となって、多くの財宝を得るだろう。これにより釈迦族は永く繁栄できるだろう」
 占い師はそのことを王に申し上げました。
 これを聞いた王は大変喜び、諸々の大臣達に言いました。
「占い師の鑑定結果を聞いただろうか。皆の者!太子が城から出ないように四つの門を固く護衛せよ。そして耶輸多羅妃や侍従達にも7日間は絶対どこにも行かないように見張りしろ」
 王はまた太子のところに行き、太子に言いました。
「私はむかし阿私陀仙人の預言を聞いた。今また占い師達の鑑定を聞き、そしてお前が王家の生活に憂いを感じているのを知っている。国の跡嗣ぎというものはとても重要なものだ。どうかお前が子供をもうけて、跡嗣ぎをつくりさえしたら、その後なら俗を捨てて出家してもかまわない」
 太子はそのことを聞き「父大王はただ跡嗣ぎがいなくなるから、私の出家をとどめるのだ」と思い、王に答えました。
「わかりました。父王の勅命に従います」
 そしてそのことを言い終わるや否や、太子はその左手をゆっくりと挙げ、離れたところに居る耶輸多羅妃のお腹を指さしました。すると耶輸多羅妃は体調に異変を感じ、懐妊したことに気づきました。王は太子が「勅命に従います」の言葉を聞いて、嬉しくなって思いました。
「太子とて7日間の間に子供はできないであろう。その間を過ぎれば転輪王の位になって、出家したいとは思わなくなるだろう」

  その時、太子は心に深く念じました。
「私は年すでに19歳になり、今は年も明けて2月の7日である。この時をのがさず、なんとか手立てを講じて出家しよう。父王の願いも叶っただろう」
 すると太子は全身から光を発し四天王宮や浄居天宮を照らしました。ただし人間にはその光が見えませんでした。諸天は光が発するのを見て、太子が出家するのも間近であると知り、天より降りてきて太子を合掌礼拝して言いました。
「無量劫以来の修行の大願、いままさに成就する時です」
太子は「汝らの言う通りだが、父王が守衛に指示して門を固く警備している。城から出ようとしても出れないのだ」と答えました。
諸天は「我々が手段を講じて、太子を城からお出ししましょう」と言って、神通力で大臣をはじめ警備の者や城に居るすべての人を昏睡させました。

  一方、眠っている耶輸多羅妃は悪夢を三つも見ました。一つ目は、月が地面に落ちる夢。二つ目は、歯が抜けて落ちる夢。三つ目は、臂を失う夢でした。そのことを太子に告げました。
「この夢は太子が出家する兆候の夢ではないのですか?」
 太子は「心配することは無い。不吉な予兆ではない」と言いました。
 そうすると耶輸多羅妃はまた深い眠りにつきました。太子は素早く座を立ち、周りを見渡しました。耶輸多羅妃や侍従の者たちは、木でできた人形のように眠っていました。また多くの妓女達も昏睡しています。楽器を弾く者はそれを持ったまま、ある男女はお互いを枕にして眠っていました。そしていびきをかく者、鼻水を垂らす者、よだれを垂らしながら眠る者。欲望に貧着するありのままを見て、太子はこの炎のような煩悩の集団から早く離れなければと思いました*①。

 浄居天や諸天達は、それを見ていて太子に言いました。
「城中のすべての者が眠っています。今こそ門を出て下さい。まさに出家の時です」
 太子は馬丁の車匿(しゃのく・チャンナ)の所へ行き、神通力によって眠りを覚まし言いました。
「愛馬の金泥駒(こんでいく、健陟・カンタカ)に鞍を置いて出発の用意しておくように」*②
 夜がすっかり更けたころ*③、太子は白馬金泥駒にまたがり、手綱をしっかり握りしめました。諸天達もそれに随従して、北の門を通力によって音もなく開けました。
 翌2月8日、明けの明星を仰ぎながら獅子吼して言いました。
「これ過去の諸仏の出家の法なり。また我もしかなり」
 しかし、門の外には第六天の魔王が化けた大きな黒い毒蛇が、行く手を阻止しようと待ち構えていました*④。  金泥駒は素早く車匿も乗せ、毒蛇をさっと越えて翔ていきました。そして檀特山*⑤(だんどくせん)へと向かいました。

 門を出てしばらくすると、太子はまた獅子吼しました。
「我、生老病死の憂悲苦悩を超克することができなければ、決して城には帰らない。もし正覚を得ず法輪を転ずることができなければ、父王や義母の摩訶波闍波提や耶輸多羅妃に会うことはない」
 太子がそう誓った時、虚空の諸天たちは「よいことだ。その言葉を必ず果たそう!」と祝福しました。
 そしてかなりの時間をかけて、跋伽(ばつが、跋伽婆・バッカバ)仙人が修行するという苦行林地帯に入って行きました。そのところは喧騒なく静寂で、太子は歓喜しました。そして車匿に言いました。
「ようやくこの林までやって来た。汝のみがよく私に従って就いてきた。ここは修行に適した閑静なところだから、金泥駒とともに城に帰りなさい」
 車匿はそれを聞き、肩を落とし膝を地に着いて号泣しました。そして言いました。
「私がどうしてここで……太子のお言葉を聞くに耐えません。大王の厳命に逆らい、すぐさま金泥駒に鞍を載せ、今なんとかここまでやって来たのに……父王や摩訶波闍波提は太子が失踪して必ずや悲しんでおられます。また宮中は大騒ぎになっていると思います。私が今太子をどうして見捨ててお城に帰れましょうか……」

 太子は車匿の目の前で七宝の剣を腰から抜き取り、地面に置きました。また宝冠を外し、髻の中にある明珠を取り出し、車匿に渡し言いました。
「この宝冠と明珠を父王に渡して、告げておくれ。『私は親不孝のために出城したのでなく、生老病死の苦を畏れ、それを克服せんがために園林に到ったのだ』と。汝、車匿もここまで就いてきてくれて出家を助けたのだから、悦ばしいことと思いなさい。また父王が『国の跡嗣ぎをつくるという勅命を破った』というなら、『耶輸多羅妃を見てほしい』と言いなさい。すでに身ごもっているから……」

 その時でした。太子はその剣を取り、髭や頭髪を剃りました。そして誓願して言いました。
「今、髭髪を落した。願わくば一切衆生のために煩悩と障碍を断じ切ってみせよう!」
 虚空の諸天は散華を降らし、異口同音に「善いかな、善いかな」と讃歎しました。すると浄居天が太子の前に、袈裟を着た猟師となって現れました。
 太子は驚きながらも悦び隠せず言いました。
「あなたの着ている服は、瞑想や修行するための服です。どうしてそんな服を着て殺生の罪行を犯すのか?」
 猟師は答えて言いました。
「私がこの袈裟を着て狩りに出ると、鹿の群れは安心して逃げない。その鹿を狙って猟をするのです」
「汝がこの袈裟を着けるのは、ただ鹿を殺生するためなのか。解脱を求めないなら、この私の七宝の服と交換しよう。私はこの袈裟を着て一切衆生を救いその煩悩を断じようと思う」
「よいでしょう。服を交換しましょう」
 太子はすぐにその袈裟を着ました。猟師は七宝で装飾したその服を着て、虚空へと昇って行きました。空中から光明が発せられ、車匿はこれを見て畏怖の念を抱きました。
「これは未曽有のことだ。この瑞兆は小さな縁の為だけではない。なにか大きな縁が……」と嘆じました。
 車匿は剃髪し袈裟を着た太子のその赫灼たる姿をみて、絶対に引き返すことはないと感じ取りました。そして地に倒れて悶絶し、懊悩は極に達しました。
太子は「汝、車匿よ。悲愁を捨てて宮殿に帰り、詳しく私の意思をみなんに伝えて欲しい」
 太子はそれを告げて、おもむろに修行僧の居る園林へと入って行きました。
 車匿は地面に臥しながらも礼をなし、遠ざかる太子を見えなくなるまで見送りました。それから体の震えを感じながらもようやく立ち上がりました。振り返ったらそこに宝冠と明珠があり、それを見てまた嗚咽しました。その荘厳品を失わないように、大事に持ち上げました。車匿は号泣しながら、金泥駒は悲しく嘶きながら、宮殿への帰途につきました*⑥。



*①『過去現在因果経』(『国訳一切経』本縁部四 39~41頁)。
*②『聖愚問答抄』(定遺378頁) 。
*③『兵衛志殿御返事』(定遺1405頁)。
*④『報恩抄』(定遺1199頁)。
*⑤檀特山は「釈迦の本生譚の中の須大拏太子が布施を行じた地として知られる〈中略〉『六度集経』『太子須大拏経』などいつかの経論に記述がある。この須大拏太子の説話が釈迦の太子の時のことと混同される場合がある」『遺文辞典歴史編』。檀特山は『主師親御書』(45頁)『兵衛志殿女房御書』(1293頁)『四条金吾殿御返事』(1666頁)にもみえる。
*⑥『過去現在因果経』(『国訳一切経』本縁部四 42~47頁)。

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