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第一章 釈尊のいろいろな前世

〇雪山(せっせん)童子の時*①

   昔、一人の童(わらべ)がいました。それはそれは高い雪山に住んでいました。そのため「雪山童子」と呼ばれていました。わらびを取り木の実を拾って命を保って、鹿の皮を着物として肌をかくして静かに修行していました。雪山童子は、この世間をつくづく観察して思いました。

「生死無常の理(ことわり)からは逃れがたく、生まれた者は必ず死ぬ。そうであるから憂き世のはかないことは、譬えば雷の光の様に朝日に照らされた露がすぐ消えるのと同じである。風が吹けば灯火の消えやすいように、芭蕉の葉の破れやすいのと異ならない。人はこの無常を逃れられず、ついに一度は黄泉の旅路に出るのである。しかれば冥途の旅を思うのに、 闇々として暗く太陽や月や星の光もなく、せめて灯火として灯す火もな い。そのような暗い道に一緒に伴う人もいない。娑婆にある時は、親戚兄弟妻子みんな集まって、父は志高く母は情け深く、夫婦は偕老同穴の契りを結んだ様に……また大海にいる海老は同じ畜生なのに契りが固く、一生一緒に伴いて離れない。しかし鴛鴦(えんのう・おしどり)の衾(ふすま)のもとに遊び戯れた夫婦でも、彼の冥途の旅には一緒に逝くこともない。別々に一人逝くのである。そこへは誰も訪れる者はいない。老少不定のこの世であるから、老いたる者は先立ち若き者は留まる。これは順番の道理である。歎きの中にもいくらか慰めることもできる。老いた者は留まり若き者が先立つ。これは慰めようもない。恨みの中の恨みは幼くして親に先立つ子であり、歎きの中の歎きは老いた親に先立つ子の親の心である。このように生死無常老少不定のはかない世の中では、ただただ昼夜にこの世の貯えのみ考えて、朝夕に現世の生業のみ営んでいる。仏をも敬わず、仏法も信じない。無行無知にしていたずらに明かし暮らし、閻魔王の聴庭に引き出された時は、何を以て資糧として六道の巷を行き、何を以て筏として生死の広い海を渡り、実報寂光の仏土に至ろうとするのか? 迷いは夢、覚ればうつつ。しかし夢の憂き世を捨てて、うつつの覚りを求めなければならない」

  雪山童子は、雪山に籠もって結跏趺坐(けっかふざ)して瞑想して妄想雑念の煩悩を払い、ひとえに仏法を求めていました。
  帝釈天がはるか天上からその姿を見下ろして思いました。
「魚の卵は多いがかえることは少ない。菴羅樹(あんらじゅ)の花は多く咲くけど果実になるのは少ない。人もみな同じである。菩提心を起こす人は多いけれど、退転しなくて実の道に入る者は少ない。すべて凡夫の菩提心は悪縁に誑(たぶら)かされ、すぐに退転してしまう。ちょうど鎧を着た兵は多いが、戦を恐れない兵は少ないようなものである。それなら、この人(雪山童子)の心を試してみよう」
  帝釈天は鬼神の姿となって童子のそばに立ちました。その時代は仏がこの世にいないので、雪山童子はあちこちに大乗経を求めましたが、聞くことはできませんでした。
 
  時に「諸行無常   是生滅法   (諸行は無常なり 是れ生滅の法なり) 」と言う声が、かすかに聞こえました。
  童子は驚き四方を見渡しましたが、あたりには誰もいませんでした。ただし、鬼神が近くに立っていました。その形相は恐ろしくて、頭髪は炎の如く歯は剣の如く、目を怒らして雪山童子をじっと見ていたのでした。それに気づいた童子は恐れずただ仏法を聞くことに喜びを感じ、怪しむことはありませんでした。それは母から離れた子牛が、他の雌牛の鳴き声を聞いて喜ぶのと同じでありました。

「一体誰がこの文句を唱えているのだろうか?そしてその語句の続きが必ずあるだろう」
と思って周りを見渡しても誰もいませんでした。
「もしや、この語句は鬼神の説いたものか?」
と疑いつつもそんなことはないと思いました。
「彼の体は罪報を受けたので鬼神の形をしている。この語句は仏の説いた言葉である。そんないやしい鬼神の口から語られるはずはない」
また鬼神の他には誰もいませんでした。
「この語句をあなたが説いたのですか?」と鬼神に問いました。
「我にものを申すな。ここ数日食べていないので、飢えて正気ではない。でたらめに言っただけだ。ぼーっとして言ったまでで、そんなことは知らない」
「私はこの半偈を聞いて、それは半月を見ているが如く半分の玉を得たのと同じです。確かにあなたが語ったにちがいない。お願いだから残りの半偈を説いてもらえないでしょうか?」
「汝はすでに悟っているので、聞かなくとも恨みがなかろう。我は今飢えているので、言うべき力さえない。我に向かってやすやすと話すな!」
「それでは、飢えを癒したら説いてくれるのでしょうか?」
「食べたら説こう」
「何を食べたら説いてくれるのでしょうか?」
「汝はそれ以上問うべきでない。それを聞けば恐れおののくであろう。また汝が求めても得られるものでない」
  さらに童子は問いました。
「どうかその食べ物を教えていただきたい。なんとか探してみましょう」
「我は、ただ人間の柔らかい肉を食い、温かい血を飲む。空を飛んで広く求めてたのであるが、人はそれぞれに神仏が守っていて、殺すことはできなかった。だから神仏から見捨てられた人間を殺して食べている」
  その時、童子は法の為に自分の身を捨てて、その半偈を聞いて命終したいと思いました。
「あなたの食べ物はここにあります。他の人を餌食にしないで欲しい。もちろん私はこの通り生きています。その肉は温かく、その血も冷たくはないです。ですから残りの半偈をどうぞ説いて下さい」と言いました。
  その時に、鬼神は怒って言いました。
「誰が汝の言葉を信用するのか! 半偈を聞いてしまったあと逃げ去ったら、誰がその約束を証人としてただすことができようか?」
「この肉体はいずれ死ぬものです。いたずらに死ぬ命を仏法の為に投げ打ち、汚らわしいこの身を捨てて、後生は必ず覚りを開き、そして仏となり清浄な体を得られるでしょう。土器を捨てて宝器に替えるようなものです。梵天・帝釈・四天王・十方の諸仏・菩薩を証人としましょう。私は決して嘘は言いません」と童子は答えました。
  そうすると鬼神は少し和らいで言いました。
「汝の言うことが本当ならば、残りの半偈を説こう」
  その時に童子は大いに悦んで、身につけていた鹿の皮の着物を脱いで法座に敷き、頭を地面に付けて合掌し跪きました。
「ただ願わくば私に残りの半偈を説いていただきたい」
と言って、心から深く敬いました。
  そうすると、鬼神は法座に登り半偈を説いて言いました。
「生滅滅已  寂滅為楽   (生滅を滅し已れば 寂滅をもって楽と為す) 」
  この時雪山童子は、この半偈を聞いて悦ぶこと限りなく、後世までも忘れまいと、何度も唱えて深く心に刻みました。
「これは仏の教えそのものだ! 私一人だけ聞いてはもったいない。他の人にも伝えなければ……」と深く思い、石の上、壁の表面、道のほとりのもろもの樹木にこの偈文を書き付けました。
「どうか後々の人々は、必ずこの文を見てその道理を悟り、実の道に入って頂きたい」
  と語り終わって高い木に登り、鬼神の前に体を投げ与えました。
 
 そうすると、地面に落ちるまでに鬼神はにわかに帝釈天の姿になって、雪山童子のその体を受け止め、平らかな所へ置き、恭しく敬い礼拝して言いました。
「我は如来の教えを惜しみて、しばらく菩薩あなたの心を試していた。どうかこの罪を許していただき、後世には必ず我を救いたまえ」
  一切の天人達もやって来ました。
「善いかな善いかな。実にこれが菩薩の人だ」と褒めたたえました。
  雪山童子はこのように半偈のために身を投げて、十二劫の長き間の生死の罪を滅したのでありました。
  この雪山童子こそが、釈尊の前世でありました。


 〇楽法梵志(ぎょうぼうぼんじ)の時*②  〔梵志とは外道の修行者〕

  遠い昔、楽法梵志という者がいました。十二年の長きにわたって、多くの国を巡り如来の教えを探していました。その時代は仏法僧の三宝がまったく無い時代で、この梵志の心はかわき、飢えて食べ物を求めるように仏法を尋ね求めていました。
  時に婆羅門(ばらもん)に変じた悪魔がいました。
婆羅門は「我は聖の教えの語句を少し把握している。もしお前に仏法を願う心があるなら、それを与えよう」と言いました。
  梵志は「そうしていただきたい」と答えました。
「本当に志があるなら、お前の体の皮を剥いで紙とし、骨を砕いて筆とし、髄をくだいて墨とし、血を出して水として、その語句を書写したならば仏の言葉を説こう」 と婆羅門は言いました。
  その時梵志は悦びながら婆羅門の言う通りしました。自分の皮を剥いで干して紙として、他のこともすべて実行しました。しかし、婆羅門は忽然として消え失せました。そして梵志は天を仰ぎ、地にひれ伏しました。
  世尊はそれを見ていて、地面から涌き出て来て説いて言いました。
「如法は修行すべし  非法は行ずべらかず  今世若しは後世  法を行ずる者は安穏なり (如法応修行 非法不応行 今世若後世 行法者安穏) 」等云々。
  梵志はこの二十字を聞いて、たちまち仏になりました。
  その楽法梵志こそ、釈尊の前世でありました。

〇尸毘(しび)王の時*③

  昔、尸毘王という王様がいました。檀波羅蜜(だんぱらみつ)すなわち布施の行をしていました。深く衆生をあわれむこと、両親が子供を思うが如く衆生に色々なものを施し、心は清浄ですこしも布施を惜しむことはありませんでした。
  時に、帝釈天がその心を試そうと毘沙門天と合い語って、帝釈天は鷹に毘沙門天は鳩に化けると、毘沙門天の鳩は尸毘王の懐に逃げ込みました。帝釈天の鷹は尸毘王の目の前まで飛んで行って、王に言いました。
 「今日、獲物の鳩を一匹追っていたが、逃がしてしまった。王の懐に逃げ込んだようだ。返してもらいたい」
  王は答えて言いました。
「私は一切衆生を憐れんでいる。衆生において分け隔てなく 慈悲をもって接し、布施を以て行とする志がある。生ある者を殺さないので、あなたには返さない」
  鷹は重ねて言いました。
「私も同じ生ける鳥である。その鳩は今日食べると決まっていた。私の食べ物を奪って、この飢えをどうしてくれるのか。慈悲を平等に施す行なら、王はどうして私の飢えを憐れんでくれないのか?」
  時に尸毘王は、慈悲深く鳩の命も助け、鷹の飢えも満たすために自らの股の肉を切り裂いて鷹に与えました。
 鷹は続けて言いました。
「王の股の肉はわずかだ。鳩の量に達していない。同じぐらいの量の肉を与えよ」

  その時、尸毘王は天秤を持ってきて量り、鳩の重さと股の肉の重さと同等にしょうとしました。しかし同じ重さにならなくて、鳩の方が重く王の股の肉の方が軽かったのでした。反対側の股の肉を切ってまた天秤に載せましたが、やはり鳩の方が重く、それで王は肘の肉も切りました。しかしまだ鳩の方が重いのでした。また、背中の肉も切って天秤に載せましたが、やはり鳩の方が重いのでした。そうすると鷹は尸毘王に詰め寄って言いました。
「あなたの切り取れる肉はもう尽きたが、まだ鳩の量には及ばない。だから その鳩を返してもらいたい」
 王は答えて言いました。
「私はもうすぐ死んでしまうが、鳩を返すわけにはいかない。最後に私の体全体をその天秤に載せよう」
そうして天秤に乗ろうとしたが、すでに筋肉もなく力尽きて地面に転んでしまいました。しかし王は自ら心を奮い立たせて言いました。
「今わがこの苦しみは軽くて塵のようなものだが、来世に餓鬼道に堕ちたときの苦しみは須弥山(しゅみせん)より重い。なぜこの体の痛みに負けて、その天秤に登れないことがあろうか」
  王は倒れてはまた立ち上がり、転んではまた天秤にすがろうとしました。辺りが血だらけで、すべってしまったからです。それでも王は決して諦めることはありませんでした。

  その時でした。大地は大いに揺れ天より色々な花が降り注ぎ、諸々の天人が集まってきてその布施の行為を褒めたたえました。鷹は帝釈天にもどり、鳩は毘沙門天の本来の姿を現しました。
そこで帝釈天は言いました。
「王よ。自分の疵を見て悔やんではいないか?」
王は答えて言いました。
「まったく悔やんではいません。布施行のためならば心も痛みません」
帝釈天はまた言いました。
「その確証が無いので、信じる訳にはいかない」
王は答えて言いました。
「私が嘘を言っているなら、この疵は癒えないでしょう。しかしこの布施行の誓いが誠ならば、必ず私の体は癒えるでしょう」
  そう答えるや否や、王の疵はたちまちに治り、速やかにもとの体にもどったのでした。
  その時の尸毘王こそが、今の釈尊の前世でありました。

〇能施(のうせ)太子の時*④

 昔々、波羅奈(はらな)という国に一人の太子がいました。能施太子といいました。過去世から道心が固く、大変慈悲深く常々国民を憐れんでいました。山や海に遊んでいる時も、殺生の生業の者を見ては慈悲の心をおこしていました。しかしある時、生活のために羊の血をしぼり、あるいは食べていくために犬の皮を剥いでいる人を見て、「その殺生はどういうために行っているのか?」と問いました。
 それらの職業の人達は、「ただ自分達の衣食住のためにしているのです」と答えました。
 
  太子は大いに悲しんで王宮に帰り、自分の持っている宝物を国民に施しました。そして太子の宝物が尽きて、父である王様の宝物も施しました。ところが、大臣達は大変あわててそのことを国王に伝えました。
  それでも太子は諦めず、それならばと国民のために龍宮城に行き、海中にあるという如意宝珠(にょいほうじゅ)を求めに出ました。如意宝珠は宝物の雨を降らすといわれていました。その珠を受け取るため龍王に会いに行きました。そして一人の仙人を船頭に五百人のお伴を引き連れて船に乗り、仙人の念力よって進み、命を顧みず多くの月日をかけてついに龍宮城のほとりに着きました。
 
  そこは金の沙のある浜辺で、銀の山が見えるところでした。青い蓮の咲く池には青い毒蛇がいて、宝石でできた橋を渡り、そのはるか奥にいる龍王にわけを話しました。
 龍王は大変驚いて、「よほどの覚悟がない限りこの海の中の龍宮城には来られない」と言いました。
そして龍王の后は太子に、して欲しいことをいろいろと尋ねました。
 太子は答えて言いました。
「私は波羅奈国の王子だ。私一人で国民を救済するために精進修行をしてきた。そして修行の力がついてやっとこの龍宮城にたどり着いた。だから如意宝珠を賜り、国民に宝物の雨を降らせようと思う」
  龍王は太子の慈悲心を喜び、太子を七日間龍宮城に停めていろいろともてなしました。最後に如意宝珠を与え、すぐさま太子を波羅奈国へ返してしまいました。そして太子は、その宝珠を得て国民に多くの宝物を降らそうと誓ったのでした。

  その時、大海の竜神達は大いに驚いて、龍王の前に群集し、龍王に言い寄りました。
「如意宝珠は、龍宮城の最も大事な宝です。私達の貴宝でもあります。三千大千世界にもこれ以上の宝はありません。なぜ人間に与えてしまったのか?」
  そう言って諸々の竜神達は人間に化けて、太子の寝ているすきを狙い、最終的に如意宝珠を取り返し元の龍宮殿に納めました。太子は目を覚まし宝珠が無いことに気づきました。驚いた太子は、この仕業の犯行を思い、今度は一人で龍宮の海辺に向かい叫びました。
「竜神達よ。たしかに聞け! 一度与えたものを取り返すとは。大嘘つきの龍王か! もし返さなければ、ただちに大海の水を汲んで龍宮城を地上にさらしてやる!」
 龍神達はそれを聞いておおいに笑い、太子を嘲って言いました。
「金の山は朽ちてなくなるとも、大海は乾かすことはできない。たとえ天地にたずねても、誰が大海を干すことができようと言うのか。多くの塵点劫(じんでんこう)を送ったとしても、何時その水が絶えることがあろうか。もしこの大海の水をすべて移したとしても、どこの海に移すというのか。それが未来永劫続くとも、この龍宮城の大海の水を乾かすことはできない!」
 しかしながら、太子は不退転の思いを以て続けて言いました。
「生死の海というものは尽くし難い。しかし私が尽くしてみせる。無明の煩悩は尽くしがたい。だがこれも私が滅尽してみせる。無辺の衆生は度し難いが、私が必ず済度しょう。菩提の道は得難いがそれを成就しょう。いわんや有為の海水ごときが、どうして尽くすことができないことがあろうか。肉体が朽ち果てようとも、この願いを怠ったことはない!」

  太子は海辺に立ち、蛤の貝殻を手に持ち、それで海水を汲み出しました。たとえ今生では無理だとしても、生生世世に精進行を怠らないと固く誓願しました。そして七日間が過ぎました。
  その時、梵天、帝釈天、自在天が太子の振舞いの一部始終を見ていて、その誓願に歓喜して、力を貸すため各々下界に降りました。欲界色界の二界の諸天たちも天界より下り、太子に力を与えそれぞれに海を乾かしました。三十三天、四天王、毘沙門天を先頭に、太子は迷路のような海中をくぐり抜け、龍宮城のある海底に入りました。三十三天等は大海の潮を汲み上げて遠く空中に放り投げ、他の諸天達はそれを虚空で受け取って大鉄囲山の山の外に出しました。順次、天上界や人界の者達もそれに続いて海水を干し上げました。大海の潮は半分に減って、龍宮城があらわになってしまいました。
  竜神達は天を仰ぎ、龍王は慌てふためいてただちにその如意宝珠を取り出し、太子に再び献上しました。
  諸願成就して、太子は万の宝を国民に施すことができたのでした。
  この太子こそ釈尊の前世で、まさに精進の行でありました。

〇薩埵(さった)王子の時*⑤

  昔々、大車という王様がいました。財宝豊かで、軍隊も強く、国民に敬われていました。その王様に三人の子供、つまり王子がいました。長男は摩訶波羅(まかはら)、次男は摩訶提婆(まかだいば)、三男は摩訶薩埵(まかさった)と言いました。
  ある日、三兄弟は王様と山林へ遊びに出かけました。ところが三人は王様とはぐれ、深い密林に入って行きました。すると一匹の母虎が七匹の子供を産んで横たわっていました。その母虎は七日間も食べ物を捕っておらず、周りにいる子虎たちも餓死寸前でした。
  それに出くわした長男の王子が言いました。
「この母の虎は飢えにさいなまれ、おそらく子供の虎を食べてしまうだろう」
  三男の薩埵王子は長男の王子に問いました。
「この虎はいったい何を食べているのですか?」
それに対して長男の王子は、「この母虎は、温かい血肉しか食べない。他の食べ物では、この母虎の飢えは救えないであろう」と答えました。
  すると次男の王子は、「この母虎はもう余命幾ばくもない。我々にはそんな肉を与えることはできないし、誰がその虎を救えるのか。誰にもできない」と言いました。
  長男の王子は、「一番捨てがたいのは自分自身の体である」と言いました。 
三男の薩埵王子は、「我々は自分の身体に執着して、他に対して施さないものです。しかし菩薩というものは大慈悲をおこし、自分の体を顧みず常に他に対して利益を施します。自分はこのまま何百回と輪廻し、虚しく肉体を腐らしてしまいます。今私の体を母虎に与えて、その飢喝を救えるだろうか?」と言いました。
 三兄弟は、そのようなことを話し合って、その飢えた虎をじっと見つめながらもそこから去って行きました。

  しかし、三男の薩埵王子は、「私が身命を捧げるのは今しかない。病気で腫れ物ができたり、虫に刺されてただれた皮膚の汚れた体を捨てるのは、今だ。捨て去れば諸仏に讃えられ、この上のない法の体を得て、多くの生きとし生けるものに法を施すことができる」と思い、勇気を奮い立たせました。  
 二人の兄の何もしないその心を見抜き、二人に言いました。
「兄たちよ、先に帰ってください。私はしばらくしてから行きます」

  薩埵王子は竹林の中に入って行って、飢えた虎の前で衣服を脱ぎ地面に置きました。
「私は法界の衆生のために、大慈悲心をもってこの身命を捨て、無上菩提を求める。菩提は智者の求めるところであり、私は虎に捨身して苦界である三界に沈む衆生を安楽にしょう」
 そう言い終わると、体を虎の前に捧げて身を伏しました。しかし、虎はその慈悲に心をうたれ何もできませんでした。薩埵王子は、さらに高い山に登り体を放り投げました。
 そして「虎は衰弱しすぎて私を食べることはできない」と思い、乾いた竹を切取り、その尖った竹で自分の首を突き刺し、血を流し、再び虎に近づきました。
 この時大地は六種に震動し、風が吹き水があふれ、天は香ばしい雨を降らしました。
 そうすると、諸天はそのことを見ていて、「よくやった、菩薩よ!」と大きな声を上げ、詩を詠じました。
「菩薩の救済慈悲心は、等しく衆生を見ること自分の子供のごとし。勇猛歓喜して私情を捨て、苦を救い、その幸福は計り知れない。必ず勝妙の相を得て、永く諸々の生死の苦縛を離れ、久しがらずして菩提の果を得て、寂静安楽の境涯に入ろう」
  この時、飢えた虎は薩埵王子の首から血が流れるのを見て、その血を舐め肉体を噛み尽くして骨だけが残りました。

  長男の王子は、大地が振動するのを見て弟に言いました。
「大地山河が振動し、日が落ち、天の花が乱れ散るのは、弟・薩埵王子が身を捨てたに違いない」
 次男の王子も言いました。
「私の弟の薩埵王子の慈悲深い言葉を思い出す。『この飢えた虎はきっと自分の子供を食べてしまう。だから自分がその代わりになって身を与えよう』の声を」

  時に、その二人の王子は啼泣悲嘆して虎のところへもどり、竹林にある弟の衣服を見ました。辺りは髪の毛や骨が散乱し、血がいたるところに飛び散っていて、そのあまりにも多い血でそこは泥沼になっていました。二人はそれを見て悶絶し、その散乱した骨の上に倒れました。しばらして二人は立ち上がり、慟哭しながら言いました。
「我々の弟は容姿端麗で、父母はとても彼を愛していた。どうして一緒にその場を去ったのに、身を捨てて帰らぬ人になってしまったのか。そのことを両親に問われたら、我々はどう答えよう。むしろ我々もここで命を絶ってしまおうか……」
そして憔悴しながらも帰路につきました。
 その頃、王子の侍従たちは、「王子達はどこへ行ってしまわれたのか」と騒ぎになっていました。
  母の王妃は、お城の楼閣の一番上の部屋で寝ていました。そして「両乳が裂かれ、髪や歯が抜け、鷹が三羽の鳩を捕られようとして、一羽は鷹に捕らわれ、あとの二羽は怯えている」という夢を見ました。
 そうすると大地が振動し、その夢から覚めました。
 王妃は「大地が震動し、河川があふれ林が揺れ、日の光がささない。矢が胸を刺すような苦しみがあり、これはただ事ではない夢である。なにか災いが起こる前兆ではないか?」と言い、王妃の乳房からお乳が流れ出て、これは大変なことが起こったと思いました。
  そう思っている時、侍女がやって来て、「王子達を探していますが見つからりません」と告げ、城の内外で騒ぎになっていると王妃に伝えました。
 王妃は憂いて涙を流しながら王様の所へ行きました。
「王様、侍従達が言っているように王子がいなくなったのは本当ですか?」
王様は「残念ながら今のところ本当だ」と答えました。
 そして王様は夫人の涙を拭いながら言いました。
「心配することはない。今私も城を出て軍隊を総動員させて捜索に出る」
 すぐさま王様や大臣達や軍隊の大捜索が始まりました。
 しばらくするとある大臣が来て言いました。
「王子達は見つかりました。ただ一番年下の薩埵王子だけが見つかりません」
 王様と夫人は、そのことを聞くと大いに歎き悲しみました。
 またしばらくすると、今度は別の大臣が来て、薩埵王子が捨身したことを事細かに報告しました。

  王様と夫人は急いでその捨身した竹林の所へ行き、骨が散乱した現場を見て卒倒し、気を失ってしまいました。直ちに大臣たちは夫人を介抱しました。やっとの思いで夫人は正気を取り戻しました。そしてあらためて慟哭し、髪を取り乱しながら、手を地面に叩きつけて言いました。
「私の王子を殺したのは誰なのか。この悲しみは到底一人では耐えられない。あの夢が本当に現実のことになってしまったなんて……」
  王様と夫人と残された二人の王子は、散乱した骨を一つ残らず集めそれを箱に入れ、七つの宝で造った塔の中に納め、後々まで丁重に供養しました。

  その時の薩埵王子こそ今の釈尊であり、王様は浄飯王、母の夫人は摩耶夫人、第一太子は弥勒菩薩、第二太子は文殊菩薩、母虎は養母の韋提希夫人、七匹の子虎は五比丘と舎利弗と目連でありました。


他にも 〇儒童(じゅどう)菩薩*⑥、〇須陀摩王(しゅだまおう)*⑦、〇忍辱(にんにく)仙人*⑧、〇歌梨(かり)王*⑨、〇尚闍梨(じょうじゃり)仙人*⑩等 
釈尊の前世がありました。

「我 釈迦如来を見たてまつれば、無量劫に於て難行苦行し功を積み徳を累ねて、菩薩の道を求むること未だ曾て止息したまわず。三千大千世界を観るに、乃至芥子の如き許りも、是れ菩薩にして身命を捨てたもう処に非ることあることなし、衆生の為の故なり」
『妙法蓮華経』ー提婆達多品第十二ー



①『松野殿御返事』(定遺1267頁)、『日妙聖人御書』(定遺642頁)、『大般涅槃経』等。
②『日妙聖人御書』(定遺641頁)、『大智度論』等。
③『諸願成就抄』(定遺1957頁)、『千日尼御前御返事』(定遺1546頁)等。
④『諸願成就抄』(定遺1963頁)、『観心本尊抄』(定遺707頁)、『日妙聖人御書』(定遺644頁)。
⑤『千日尼御前御返事』(定遺1546頁)、『金光明最勝王経』捨身品第二十六等。
⑥『観心本尊抄』(707頁)、『兵衛志殿女房御書』(1293頁)。
⑦『日妙聖人御書』(定遺644頁)等。
⑧『日妙聖人御書』(定遺644頁)等。
⑨『日妙聖人御書』(定遺644頁)等。
⑩『日妙聖人御書』(定遺644頁)等。

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