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第三章 幼少時代

 摩耶夫人は、4月8日の明け方、六牙の白象が右の脇より入る夢を見ました。それは大光明を発しながら入ってきたので、太陽を身ごもったとも思いました*①。
  その日の日中*②、 師子頬王(ししきょうおう)の孫、浄飯王の嫡子として、また摩耶夫人を母として悉達太子(しったたいし)は誕生しました。童子のころはそのため「日種(にっしゅ)」とも呼ばれました。生まれた場所は、中天竺の迦毘羅衛(かぴらえ)国の蘭毘尼(らんびに)*③の園でした。
  悉達太子は、生まれてすぐに七歩歩き
「天上天下  唯我独尊  三界皆苦  我当度之(てんじょうてんげ ゆいがとくそん さんがいかいく がとうどし)」と十六文字を唱えました*④。

 浄飯王は驚いていろいろな占い師に、白い木綿の布に包まれている悉達太子を観てもらいました。そのうちのある占い師は言いました。
「私の持っている預言書では、この子に三十二相が調ったならば、在家にあっては転輪聖王となるでしょう。また出家すればまさに仏となるでしょう。このふたつ以外にはないでしょう」
 そのように言って占い師達は出て行きました。そのころには悉達太子はすやすやと眠っていました。
 その時でした、阿私陀(あしだ)仙人*⑤が神通力で遠方から突然やって来て浄飯王に言いました。
「私は天の耳をもっている。諸々の神や鬼神達の間での噂を聞きつけてはるばるやって来たのだ。『浄飯王のもうけた子供はどうやら仏身の相をもっている』という噂を……」
 浄飯王は大変悦んでさっそく太子を観てもらおうとしましたが、侍者の者が言いました。「太子様はもう眠りについてます」と。
 阿私陀仙人は「聖王というものは、一切の人々の願いを聞くのであるから眠っておられるわけはない」と言って、白い布に包まれた太子を抱き上げました。太子のお顔を上から下までゆっくりと観ていると、仙人から涙が止めどもなく溢れてきました。浄飯王はびっくりして、仙人に尋ねました。
「阿私陀仙人よ。どうしてそんなに泣くのか。なにか不吉な相でもあるのか?」
仙人は答えて言いました。
「いいえ違います。絶対に雨が降らない金剛大山の頂上に雨が降ったとしても、太子のお顔は不吉な相などございません。それよりまさに仏の相をなっさているからです。先の占い師達の『転輪聖王か仏か』というのは間違いです。わたしの天眼をもって観れば、必ず太子は仏になられます。ただその時、私はすでに120歳ですからこの世にいないのです。それが悲しくて悲しくて泣いているのです」*⑥

 ところで母の摩耶夫人は、悉達太子をお生みになったちょうど七日目にお亡くなりになりました。その時太子はまだ凡夫なので、母の生まれ変わられたところをご存じありませんでした*⑦。  摩耶夫人は、善覚(ぜんがく)長者の長女で八人の姉妹がいました。太子は、その後叔母にもあたる長者の一番下の娘の摩訶波闍波提〈憍曇弥ともいう〉(まかはじゃはだい・きょうどんみ)が継母となって養育されました*⑧。

  一方父の浄飯王は、阿私陀仙人の預言を憂いて太子に出家させないように五百人もの才色兼備の女官を奉公させました。また夏、雨期、冬の季節が快適にすごせるよう三ヶ所別々にそれぞれの宮殿を造りました。その宮殿は七つの宝で装飾されていて、季節ごとの豪華な衣装なども用意されていました。しかも宮殿の門が開いたら、四十里離れていてもわかるような装備まで付けました*⑨。

 太子が七歳の時でした。父の浄飯王は、学問を身につけようとして国中の教育係のできる婆羅門を探しました。その中で五百人の弟子がいる跋陀羅尼(ばつだらに)にが王のところへやって来て教育係を引き受けました。王はそのために大講堂を造り、豪華な椅子や机また学問の道具を用意しました。
 婆羅門は、四十九種の書体の本を教えながら読ませました。
ところが太子は「これはどういう書物か?世界中の書物にはいったい何種類あるのか?そしてこの阿の一字はどういう義があるのか?」と逆に教師である婆羅門に問い返しました。
 婆羅門は全く答えられず、座より立ち上がり太子の足を礼して言いました。
 「太子は生まれてすぐに七歩歩き『天人之中 最尊最勝』と仰せられました。そのことは妄語ではございませんでした。ただ願わくば世界中に何種類の書があるのか私に説いて頂けないでしょうか!」
 太子は答えて言いました。
「世界中には、梵書、佉楼(きゃろ)書、蓮華書等六十四種の書がある。この阿字はこれ梵音声である。またこの字義とは、不可壊なり、無上正真道なり。その義の説明は無量無辺である」
 婆羅門は逆に教えを受け、慚愧に堪えなくて、王に教育係の任務を解いてもらいました。王はそれを聞き、おおいに悦び、未曽有なことだと跋陀羅尼を手厚く供養しました。
 そのころには、太子は諸々の技芸・典籍・議論・天文・地理・算数など悉く知り尽くしていました*⑩。



①例えば「教主釈尊をば日種と申す。摩耶夫人日をはらむとゆめにみてまうけ給る太子なり」『報恩抄』(定遺1231頁)。
②『智妙房御返事』(定遺1826頁)。
③『四条金吾許御文』(定遺1823頁)。
④『月満御前御書』(定遺486頁)。
⑤『撰時抄』(定遺1009頁)。
⑥『大智度論』二九巻(『国訳一切経』経論部二 343頁)。
⑦『刑部左衛門尉女房御返事』(定遺1806頁)。
⑧『師子頬王鈔』(定遺1954頁)。
⑨『過去現在因果経』(『国訳一切経』本縁部四  24~25頁)。
⑩『過去現在因果経』(『国訳一切経』本縁部四  26頁)。


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