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雨、濡れる、待つ

 今回の記事は、見出しのある文章を連想でつなげてあります。それぞれ断片としてお読みください。


雨、濡れる、待つ


 雨、濡れる、待つ。

 この三つが出てくる歌はとても多い気がします。私は音楽には疎いので、数えたことも調べたこともありません。そんな気がするだけです。

 そういえば、初めて買ったレコードが雨の出てくる曲でした。これは待つ歌ではありませんけど。

 私が初めて歌い覚えた(聞き覚えた)歌にも雨が出てきます。こちらには、雨、濡れる、待つが出てきます。

『コインロッカー・ベイビーズ』

 
 村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』に登場する固有名詞は、じつに多いです。主人公の一人であるハシが歌手になる話ですから、海外のミュージシャンだけでなく、日本の演歌歌手や流行歌の歌い手の名前もたくさん出てきます。

あなたを待てば雨が降る、濡れて来ぬかと気にかかる、ああビルのほとりのティールーム、雨も愛しや歌ってる甘いブルース、(……)

 講談社文庫の旧版の『コインロッカー・ベイビーズ 下』p.81では、このようにフランク永井の歌った「有楽町で逢いましょう」の出だしが引用されたりもします。

 幼かった私が初めて歌い覚えた歌なので、この作品が出版されて間もないときに、この箇所を読んで思わず声をあげたことを覚えています。村上龍と私は年が近いのです。


 いま頭の中にあるのは日本語の歌です。雨の歌が多いのは、雨の季節がある風土も影響しているにちがいありません。

 雨がほとんど降らない土地が世界にはたくさんあるようですが、そこで歌われる歌には雨は出てくるのでしょうか。

 雪にまみれながら、あなたを待つ。砂嵐の中であなたを待つ。それなりに情緒を感じます。

     *

 雨が降る。雨粒が落ちてくる。こぼれ落ちる。垂れる。

 空から、天から、遙か彼方の上のほうから落ちてくる。雨は天の使者。天のお使い。

 恵みの雨もあれば、命を奪う雨もあります。人は天に左右されます。天の気持ちが天気なのでしょうか。気象とはその気持ちが形となったあらわれなのでしょうか。

 雨に身を任せながら、あなたを待つ。

 あなたも私も同じ空で同じ雨に降られている。雨が降ることで、待つどうしの一体感や連帯感が生まれるのかもしれません。

 雨が出てくる歌には誰もが思いを重ねることができます。

     *

 一方で、雨は人を内に向かわせます。内省的になります。

 雨の日は、ぼんやりとした頭で、思いは内に向かいます。

 雨に濡れる景色を見ながらも、その目は遠くをながめています。遠くを見ながらも、きっと内をながめているのでしょう。

     *

 雨という漢字を見ると雨が降っているさまが見えます。読むのではなく見ないと見えない気がします。見ないと見えない。

 濡れるにも、雨が降っていますね。これも見ないと見えない。よくできた文字です。濡れて、ぶるぶるっと身を震わせたときに飛び散る水も見えます。

 見ないと見えない。こういうのはたぶん読んではいけないのです。眺めるのに適した文字もあるのではないでしょうか。

濡れる


 雨に濡れているさまを想像すると悲しくなります。わびしいですね。寄る辺ないです。かたわらには雨に濡れた木もあります。道も濡れている。空は薄暗い。

 歌謡曲ばかりでなく、古文の詩歌でも雨や濡れるは出ているにちがいありません。古文も、古くから日本にある定型詩にも、私は不案内なので、想像するだけです。

     *

 恋愛をうたった詩や歌で「濡れる」が出ていれば、性的な意味を度外視するわけにはいきません。そこまで読まなければ、詠んだ人に失礼だという気もします。

 女性も男性も濡れます。雨に。

 ほのめかすというのが、詩や歌だけでなく、広く文学ではおこなれています。

 濡れるは潤うでもあります。

 日常生活でも人は頻繁にほのめかします。直接的に言うよりも、ほのめかすほうがずっとぞくそくするからでしょう。

 あからさまに口にするのは興ざめです。

 におわすという言い回しもいいですね。ほんのりとにおう。ほんのりとした香りがする。

     *

 雨の匂い。

 これもいい響きで、そのさまを頭に浮かべると、鼻腔が刺激されるようで、ぞくぞくします。つんと頭に来る感じもします。

 雨の匂いがあたりに立ちこめる。

 雨が降りそうな気配の中で、雨の匂いを最初に感じたときの、あの鼻の中に広がるいがらっぽさが好きです。あれは濡れた土や埃の匂いなのでしょうか。有機物と無機物が絡みあったような不思議な匂いです。

     *

 人が濡れるということをもっとも感じされてくれるものは目ではないでしょうか。

 目を見ると濡れています。間近で見るとよく分かります。瞳も濡れていると、そこに自分がいるのがよく見えます。

     *

 濡れて、そこに映るのです。そして、そこに写り、移る。

 ここからそこに、こちらから向こうに、容易には移れません。困難な「移る」の代わりに、容易な「映る」と「写る」があるのでしょう。

 おそらく、「映る」と「写る」は「移る」の代償行動なのです。カメラやスマホを思い浮かべるとよく分かります。

 川端康成は「うつる」の多義性に敏感な作家だったと思います。「写る」と「映る」の世界にいながら「移る」をつよく求めていたのではないでしょうか。狂おしいくらいにです。

待つ


 待つときほど、ときを感じるときはありません。ときときとき。ときが詰まっているのが待つだという気がします。時間ではなく、ときです。

 時が持続だという言い方に説得力を感じます。

 待つには何かがぎっしり詰まっている気がします。何かが連鎖しています。その「何か」は人それぞれでしょう。

 ぼんやりと待つは待つではない気もします。別の行為をしているのではいかという意味です。

     *

 待つは苦しみである場合があります。「何か」がぎっしり詰まった「待つというとき」が顔面を押しつける真綿のように人を苦しめます。窒息しそうになります。

 待つが耐えがたくなるのです。

 それがつらくて、人は待つ間に別の何かをします。つらさを誤魔化しているのかもしれません。

 楽しみであるからこそ、苦しい。そんな待つの思い出がありませんか。

あなた、貴方、彼方


 あなたを待つ。貴方を待つ。彼方を待つ。

 遠くにいる彼方、愛しい貴方。両方があなたという言葉で結ばれている。

 あなたと口にすることで、あなたが私の中にいる。遠くが私の中にいる。愛しさが私の中でふくらむ。

 貴方、彼方と書き分けることで隔たりがあることに気づく。別れがあることに気づく。

待つ、来ない


 待つ。来ない。

 このふたつもよく歌に出てきます。来ないが来ることで、歌は盛り上がります。涙を誘います。涙を流すことが快感であることは、みなさんご承知のとおりです。

 自分のことを回想すると、彼方にいる自分に涙します。他人のことを見ていても涙が出ます。距離を置くことで、涙は快さに転じます。

 うれし涙とは別の話です。

     *

 待つ。来ない。

 来るか、来ないか。待つときの中で、人は宙づりにされます。木の枝に掛かったミノムシやクモのように。ぶらぶら。

 賭けなのでしょう。任せるしかありません。何に任せているのは分からないまま任せるのです。

 賭ける。掛かる。

 雨が降り続ける。来るか、来ぬか。小ぬか雨が降る。雨が木に掛かる。あなたのことが気に掛かる。

とっかかり、きっかけ


 かける、かかる、かかわる、かかわり。かかわりを作る、切っ掛けを作る。取っかかり、取りかかる。

 始める、始まる、しかける、しはじめる、しだす。呼びかける、話しかける、問いかける、押しかける。

 走りかける、歩きかける、動きかける、落ちかける、あがりかける、のぼりかける。

声を掛ける


 声を掛ける、言葉を掛ける、息を掛ける、息を吹きかける。切っ掛け。何かが始まる。かかわることで、かかわりあいが生まれる。

 肩に手を掛ける。体に手を掛ける。体重が掛かる、体重を掛ける。寄っかかる。体を預ける、体を委ねる、体を任せる。

 重みが掛かる、ゆだねる、あずける、のせる、もたせかける、たくす。自分が相手にうつっていく。同時に相手が自分にうつってくる。

 移す、映す、写す。伝える。伝わる。移る。届く。通じる。

触れる、触る、触られる


「掛ける」は「掛けられる」、「掛かる」。触れる、触る、接する、接触する。

     *

 息が顔に掛かる。唾が顔に掛かる。液が体に掛かる。人と人との関係が生じる。

 風が顔に掛かる、雨が顔に掛かる、水が体に掛かる。土が顔と体に掛かる。火の粉が体に掛かる。物と人との関係が生じる。

 雨が木に掛かる。蜘蛛が枝に引っ掛かる。蜘蛛の巣に蝶が掛かる。物と物との関係、生き物と生き物との関係が生じる。

     *

 食べると食べられる。喰うと喰われる。殺めると殺められる。生と死はかかわりあう、かかわりあい。

 双方が無傷であるかかわりあいはないのかもしれない。

かかわり、かわり、かえる


 かかわりあいは、つぎのかかわりあいの予告なのかもしれない。つぎのかかわりあいで、立場が逆転しない保証はない。「喰う」の逆は「喰われる」しかない。

 かかわり、かえし、かえる。帰る、変える、孵る、替える、還る。

 土を掛けて、土に返す。土に変わる。土に帰る。いつかまた変わる。よみがえる。

 新しいかかわりあいが始まる。それが自分か他者かにかかわりなく始まる。くりかえす。繰りかえす。糸を掛け繰る繰る回る無数の輪。

気掛かり


 何かが顔に掛かる。何かが体に掛かる。何かの重みが体に掛かる。その分だけ心が重くなる。

 気掛かりになる。心懸かりが生じる。懸念が生まれる。

 心の重みを解消するのは難しい。相手が「それ」であれば、それだけ難しい。相手が「何か」であれば、よけいに難しい。

 名づけられない「何か」に掛かられることほど、気掛かりなことはない。

かかわりあい


 する。される。掛かるは、相手に触れること。そのまま体重をかけ続けることもある。一方的なようで、一方向的なようで、そうではない。

 触れれば必ず触れられることになる。「掛ける・掛かる」は、相互的であり、双方的なかかわり方、つまりかかわりあい。

 かけるとかかるを切っ掛けにして、かかわりとかかわりあいが生まれる。

 さわる・さわられる、ふれる・ふれられる、おす・おされる、なでる・なでられる、さする・さすられる(こする・こすられる)、あてる・あてられる、つねる・つねられる、ひっかく・ひっかかれる、たたく・たたかれる。

(いやらしく聞こえたら、ごめんなさい。)

 なぐる・なぐられる、ひっぱる・ひっぱられる、つきだす・つきだされる、つつく・つつかれる、ひっぱたく・ひっぱたかれる。

待つ、来ない


 待つ。来ない。

 待って裏切られることがあります。せつないです。悲しいです。うらみます。憎しみを覚えます。

 でも、好きなら許してしまうのです。何度、裏切られだまされても、許す場合があります。その繰りかえし。

 雨と同じ。降ってや止み、止んでや降る。それも、いつかは終わるはず。

     *

 歌は終わりません。頭の中で繰りかえし繰りかえし出てきて鳴っています。昼間の夢うつつや、寝入り際にもやって来る友です。

 きっと最後の最期にも来てなぐさめ、いやしてくれるはずです。数々の歌で歌われているあなたとは歌なのかもしれません。

思い出


 私が初めて買ったレコードです。

Was she reality or just a dream to me?

 僕が夢を見ていただけなのか?

ザ・カウシルズ「雨に消えた初恋(The Rain, the Park & Other Things)」

     *

 私が初めて歌い覚えた(聞き覚えた)歌です。

あなたを待てば 雨が降る 
濡れて来ぬかと 気にかかる

フランク永井「有楽町で逢いましょう」

memories


 memory という文字列に memento mori という文字列を見てしまうのは私だけでしょうか? memory の語源を調べると mourn(悼む) と同源とか書いてあって、出任せでもなさそうなのです。

 それはともかく、バーブラ・ストライサンドの歌う「追憶(The Way We Were)」の出だしが好きです。

 memories と複数であるために、「記憶」(memory)のように抽象名詞っぽさがなく、「思い出」の一つひとつが情景として浮んでくる気がします。おなじく複数形である corners と呼応しています。こういう細かい詩の読み方を教えてくれた先生がいたのです。バーブラ・ストライサンドに似ていました。

 バーブラ・ストライサンドはゆっくりと力強く歌い上げていて聞き応えがあります。

Memories light the corners of my mind

 思い出が心の隅々を照らしてくれる光であることは確かなようです。

     *

 ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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