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まあいい歳をした大人なら、そんなこと当たり前だろ、と思うのだろうが、なんだかな。

冬に向かって突き進んでいるシドニー。
今日は気温が20度程まで上がったようで、
こういうのを小春日和というのか、言わないのか。

空は絶好調に青い。

視線を下に向ければ、落葉の季節もあってか、
道に花びらや枯葉が落ちまくっている。
色どり豊かとみるのか、散らかっていると見るのか。

さて、俺がおめでたい、ということがまた判明した。
結果が分かってから振り返ると、考えが夢見がちなのだ。
率直に一言で言えば、馬鹿なんだな。

手品に種なんかないと思っている、いや、
そもそも種って何?とその存在を考えたことすらない、的な。
そんな奴いる?と思うかもしれないが、いるじゃないか、ここに。

でもまあ今のところは無害なのが唯一いいところかもしれない。
いや、もしかすると誰かに害を与えているのかもしれないが、
文句を言われたことがないので良しとしよう。

ご存じのようにシドニーにはでっかい木がそこいらじゅうに生えている。お役所もそれらをなるべくそのままに努めているようだ。形作られた街の風景がなるべく自然を壊さないようにしているように感じられる。人の手が加わったものと天然との共存、調和。

それが強く感じられるものの一つに、よく見かける、電線を見事に避けて立っている大木の景色があるのだ。その木を単独でみると変な形ではあるのだけれど、電線を避けているという事実と重なると、なんだか「共存」という言葉が具現化しているようで、俺はとても好ましく思っている。

という状況があるものとして、だ。
今朝、作業服を身に纏ったおじさんたちが、道路脇のでかい木を伐採アンド粉砕しているところに遭遇した。

電線の邪魔になりそうな箇所をガシガシ切っては、
粉砕機でドドドとおがくずを作って、トラックの荷台に飛ばす。

そうなのだ。俺はぼんやりとではあるけれど、「電線を見事に避けて立っている大木」さんたちは、大木たちがなんとなく電線を察して避けて伸びていってる気がしていた。だからほんのちょっと残念に思ってしまった。

電線「おい、木。おまえそれ以上俺に向かって伸びてくるとあぶねえぞ。ちょっとあっち向きに行け。」
木「あ、そうだね。じゃあ向こうに伸びてみるよ。」
電線「おお、そうしてくれ。すまねえな。」
木「いや、いいんだよ。これからもよろしくね。」

そんなんじゃなかったんだな。

まあいい歳をした大人なら、そんなこと当たり前だろ、と思うのだろうが、なんだか見ない方が良かった気がしてしまった。

空は青くて、風がちょっと肌に冷たい。

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