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異文化社会で生きるとは

チャツウッドのウエストフィールドの中にあるALDIに買い物に行った。入口を入ってすぐのところでインド系のお婆さんが一人レタスを手に取ってみていた。と思ったら、なんとお婆さん、そのレタスを放り投げた。

放り投げたと言っても棚の中なのだが、しかし生鮮食品を放り投げて戻すなんて俺の頭には微塵もないから唖然とした。それもだよ、いくつも手に取ってみては、いちいちポンっと放って棚に返すのだ。

いやいやいやいや、特にレタスなんか傷みやすいんだから、触るのもそっと、戻すのもそっとだろう。日本ではちょっと考えにくい。が、それを良しとする文化の中で育ってきたのだとしたらどうすることもできない。

ジムのヘアドライヤーで髪の毛以外のあちこちを熱心に乾かしている人たちも大勢いる社会なのだ。

見たくないと思って足早にそこを離れて豚肉を見に行く。
がしかし、あいにく豚肉がどこをさがしてもない。えーまじか。こんなに肉が溢れているのにどうして豚肉だけALDIの商品陳列棚から消えてなくなっているのか。
ラムはいらん。食えんのじゃ。

と途方に暮れかけている俺の横で、ドサッという音がした。そしてその音の先にはさっきの婆さんが…何の肉だか分からない肉塊を、手にとっては放り、手にとっては放りしているではないか。

やり過ぎだ。

俺は頭にきて、「おい、その商品はあんたのものじゃないだろう。商品が傷むじゃないか。全部買うのか? 自分のものでもない、他の誰かが口にするかもしれないものを何ていう扱い方をするんだよ!」と、インドの言葉でスラスラ言えたらいいのになあ。と考えた。残念ながら俺は日本語しか話せない。

再度いたたまれなくなった俺は急いでその場を離れた。

もしかするとそれは彼女の国では一般的なのかもしれない。こっちが顔をしかめるような行いも、その国や地域では一般的だということは山ほどある。もちろん逆もしかりだ。腐って糸を引いた豆にタレをかけてぐちゃぐちゃにかき混ぜて白飯に乗せて食うのを見てオエーッと思う外国人もいるに違いない。

今日のボディコンバットのクラスでも、インストラクターのやることにこれっぽっちも同調せず、ただリズムにのって踊っているだけ、そんなオージーの若い女性もいた。先週も見かけたが、そのときも彼女はボディコンバットをやりに来た感はゼロだった。そして今日もこの間もクラスのコンセントを使って携帯の充電をしていた。インストラクターはそれもこれもを全然注意をしない。

我慢が出来なくなった俺は彼女の方をグッと見て「おい、ちゃんとやらないなら出て行けよ。音楽は鳴ってるんだよ。皆コンバットをやっているのにスマホ持ってウロウロしたり、ドアを出たり入ったり、なんなんだよ。もう帰れよ。」と彼女の手前にいるおっちゃんが突然言ったらびっくりだな。と思った。しかしおっちゃんは彼女のことなど意に介す様子もなく、ただ腰の引けたジャブアンドクロスを繰り返していた。

それだけではない。クラスがもう始まっているのにドアを開けて入ってきて壁に設置された濡れペーパータオルを数枚取ってまたドアを出ていく東南アジア系の男もいた。これも同じ人物が先週も同じことをした。

クラスが始まる前に入り口でわざわざ時間をとって名簿チェックしているのは何のためだ?ドアにもクラスが始まったら誰も入るなと書いた真っ赤な貼り紙がしているではないか。インストラクターはこれもを全然注意をしない。

堪忍袋の緒が切れた俺は「こら、お前、その真っ赤な貼り紙が目に入らないのか?部屋に入るなって書いてあるだろう。そんなペーパータオルなんか、そこらへんの壁にいくらでもあるじゃないか。我が物顔で入ってくんな。ルールを守れよ、バカ。」と柱の横でジャンプキックしてる中国人のお兄さんが思っていないか想像してみたが、お兄さんはジャンプしてキックのタイミングが上手く掴めずに何度もオットットってなっていた。

文化の違いはある。それは尊重しなければならない。
しかし、そういうなかでも最低ラインの共通認識というものがあってしかるべきではないか(いきなり人を殴ったりけったり刺したり絞めたりしない、とか)。

いや、そもそも俺の考えの出発点が間違っているのかもしれない。「地球外生物」ということだってあり得る話だ。

彼らが侵略の足掛かりをつけるべく調査で地球人に化けていたのが、文化習慣まで深く学べておらず、結果的に食べ物を粗末に扱うような振る舞いになってしまったり、ドライヤーで股の間を乾かしてしまったりしたのかもしれない。彼らにとっては食べ物という認識そのものがなかったということもありうるし、タオルで身体の水分をとる手段を知らなかったことも十分考えられる。もちろん地球の文字が読めない場合だってあろう。

だとしたらやっぱり仕方がない、と思うほかないのだ。
とても残念だけど、ないのである。

これからもボディコンバットのクラスに必ず出席しようと思う。
そして自分の殻に籠って黙々とストレスを発散し続ける。
異文化社会で生きるとは、ボディコンバットのクラスに通うことなのだ。

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