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田島先生と南先生。二人が職員会議で毎回血で血を洗う関係だったら今更ながらだがすごく嫌だな。

中学のある時期、国語の先生は「田島先生」だった。
ある時期、というのは3年間のどの学年のときに田島先生に習ったか覚えていないからだ。この先生のことは前にも書いた。

漢文の授業中、孔子が出てきた時に、孔子がその中心にすえた倫理の規定や人間関係の基本を「仁」と言ったことを説明をしつつ、突然俺の名前を挙げ、「矢野の名前なんてまさにこれですよ」と仰ったのだ。

自分の名前がそんなところから引っ張られてきたことなど考えもしてなかったのと、担任でもないこの先生が自分の名前のことまで気にしてたこと(今考えれば出席簿にあるからざっと見れば漢字は拾えるんだけども)に驚いたのを覚えている。

田島先生は田舎に似つかわしくない、というと地元の人に怒られるが、学者の雰囲気のある言葉遣いの丁寧な先生だった。高圧的だったり暴力的であったりしなくても、生徒はこういう教師の言うことに耳を傾けるだろう。

この田島先生の授業中の「みなまでは言わないけれど…」という含みを持たせた発言を覚えている。

現代文でも漢文でもなく古文の時間だったと思うが、「麻呂」という言葉がでてきた。それが「柿本人麻呂」の「麻呂」だったのかそうでなかったのかまでは思い出せない。でも「太安万侶」なら古事記の撰者だから国語より歴史ででてくるはずだから、やはり人麻呂の麻呂だろう。

当時の理科を南先生というこれまた穏やかな声のトーンの初老(に見えたが違ったかもしれない。もっと若かったんならごめんなさい)の先生に教えてもらっていた。とても美しい板書をする先生だった。人柄がよく表れている字で、すごく優しい先生だった。

俺は南先生に犬猿雉にも分かるくらいに丁寧に教えてもらったが、残念ながら俺の理解力が犬猿雉以下だったようで本当に申し訳なく思う(このことはまた別に書きたい)。

その理科の南先生のことを国語の田島先生がほんの少しいじった。もちろんお二人が仲が良く、信頼の厚い関係が背景にあったものと信じたい。(二人が職員室では闘争を繰り返していて、職員会議で毎回血で血を洗う状況だったとは聞いたことが無いし、今更ながらそうであってほしくない)

さて、貴族や武家では男子が生まれると魔除けのために汚い名前を付ける習慣があった。鬼は臭いを嫌ったようで汚い名前を付けていればさらわれないと考えられたのだ。

たとえば織田信長の長男信忠の幼名は「奇妙丸」。次男信雄は「茶筅丸」、四男秀勝は「於次丸」、五男勝長は「御坊丸」という具合である。
豊臣秀吉の幼名も「日吉丸」だった(信長は吉法師)。

ここでやっと先述の「麻呂」に話が繋がってくるのだが、古代「マロ」はうんちのことで、転じた「マル」もその意味を継承した。

話がちょっとだけ逸れるが、地元で豊前では「うんちをする」ことを「クソをまる」と言う。「まる」というラ行五段活用の動詞が存在するのだ。「まらない」「まります」「まる」「まるとき」「まれば」「まれ」「まろう」と活用する。

小便を漏らすことを「しかぶる」というが、うんちを漏らすことは「まりかぶる」と言っていた。「まりかぶらない」「まりかぶります」「まりかぶる」「まりかぶるとき」「まりかぶれば」「まりかぶれ」「まりかぶろう」と活用する、これもラ行五段活用の動詞だ。

活用はまあそうなるが、あらためて見てみると「まりかぶろう」って何だよってなるのは俺だけではなかろう。「クソをもらそう」って言うなんて一体どんな状況なのか。

そんなことはさておき、「マル」と言う言葉がこうして九州で残っているなんて、光村の国語の教科書に載っていた柳田国男の方言周圏論を思い出すだろう。え、思い出さない?どうして??

まあいい。

子供の便器の「おまる」も意味は同じだ。言葉にはちゃんと脈々と繋がった歴史があるのだ。そう、これは下ネタ話ではなく、列記とした日本語の伝統と歴史の話である。人によっては「うんちと麻呂とおまる」しか脳裏に刻まないかもしれないが、それは自己責任でお願いします。

南先生のことをご存じない方は一体何の話をしているのだと怪訝に思っていると思う。前置きが長くなって申し訳ない。

南先生は恐らく大変よい家柄のお宅のお出だったと推察される。南家のご先祖様は間違いなく貴族か武家に繋がるはずである。ご両親は最愛の息子が鬼にさらわれたりしないよう「光麿(ミツマロ)」と言うお名前をお付けになられた。

田島先生はあからさまに全てを言ったわけではない。
ただほんのちょっとにおわせただけだった。



※写真は極楽鳥花



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