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Vtuberとクリエイターの生きづらさを見つめる ——「死にたい」と言われた時の考え方と、能力主義の罠





色々なことを反省して、2年前にやっていたスタイルのnoteを書くことにする。
これは解釈ではなく単純な事実として、夢追翔の『共感性終止』の後半の歌詞には、ストレートに「希死念慮」に関する記述がある。

ここで一度、情報を集めておきたいのが、Vtuberの人が死を選んだり、その兆候があった場合、人は何を考えるべきなのかへの準備である。
Vtuberは見知らぬ他人の声にさらされている反面、その存在が誰かの支えになっている。彼らやそのファンが、命の危機を感じている時に、どのようなことを心がまえしておけばいいだろうか。
また「死にたい」という気持ちをVtuberや知り合いが言っていた場合、どのように考えるべきだろうか。


にじさんじの歴史を直視すると、強烈な誹謗中傷が実際にあり、裁判にもなったようなケースがある。だとすれば、こうした事態も予期しておかなくてはならないだろう。

今回は軽く、そのようなケースを考えるのに役立ちそうな書籍や情報を集めておいた。



以前より、Vtuberの健康に関してのnoteは書いてきた。


自殺学 ーー「死にたい」と人が言って来たらどうするのか(末木新教授の試み)

noteの「自殺予防マガジンJOIN」、YouTubeの「自殺学研究」は、末木氏による、自殺に対する良質の情報を広めるための活動である

和光大学の末木新教授は、自殺・自殺予防に関する研究を行っている心理学者である。末木教授によれば、社会的には自殺が発生する要因は次の三つが原因になるという。

「自殺手段へのアクセス」
自殺を起こすために必要な道具や環境があると自殺が起こりやすい。電車のホームドアの設置などで対策が進んでいる。
「不適切なメディア報道」
芸能人や政治家などの有名人が亡くなった際、その後自殺者が急増する(ウェルテル効果)。そのため、後追い自殺を防ぐため、現在では報道機関には慎重な報道姿勢が求められている。
「援助希求行動と関連するスティグマ」
例えば「死にたい」と感じ助けを求めようと精神科を受診しようとする(援助希求行動)とき、そのことが原因でマイナスのイメージがつくのではないかと考えてしまう

末木新『「死にたい」といわれたらーー自殺の心理学』「第1章 自殺はなぜ起こるのか」

さらにアメリカの研究者トーマス・ジョイナーは、自殺が起こる理由を大きくまとめて三つの原因にまとめた。それが

①自殺潜在能力
死に切る能力。自分の身体を傷付けると、通常無意識に手加減をするが、自殺企図を繰り返すことなどによって傷つけきれるようになる
②所属感の減弱
他者やコミュニティに所属している感覚がなくなり、孤独を感じていること
③負担感の知覚
自分が誰かの迷惑になっているといった、低い自尊心。

末木新『「死にたい」といわれたらーー自殺の心理学』「第1章 自殺はなぜ起こるのか」


そして末木氏は、人が「死にたい」と言った場合、まず緊急事態では110番や119番をするのを推奨する。一方で、もしもその人が切羽詰まった状況ではないときに「死にたい」と発した場合、その打ち明けは人生における重大な秘密であるため、最もやってはいけないのは相手の「死にたい」という気持ちに向き合わないことだという。上で書いたように自殺にいたる要因の大きな一つは孤独感・孤立感である。

そしてアドバイスや助言をすることよりも、「その人の死にたい気持ちをしっかりと聞くこと」が重要である。(末木新『「死にたい」といわれたらーー自殺の心理学』「第2章 自殺はなぜ起こるのか」)

同著ではこの後、人がなぜ死を選ぶのか、「幸福で死にたくなりづらい社会」を作るにはどうすればよいのかを描いている。
ここから先は繊細で複雑な議論にはいっていくので、是非、末木さんの動画をご覧いただきたい。



自殺に関する報道は、厚生労働省や一般社団法人「いのち支える自殺対策推進センター」が報道にあたってのお願いを出している。

「死にたい」と感じたとき、人によってはそれを告白した時の人の目線がきになる場合もある。そうしたときは「いのちの電話」をはじめとした相談窓口を活用してほしい。


アーティストが自殺を描いたら ーーまずは聞いて、よりそうこと                


David Bowieの「Rock'n Roll Suicide」やLogicの「1-800-273-8255」は、自殺しようとする人に対して呼び続けた曲であり、多くの死にたくなった人々を救った名曲である。

ここからは私の考えである。
バーチャルユーチューバーであれ、クリエイターであれ、世の中(特にインターネット)に自分の半身ともいえる作品を出している人々であれば、なぜ人が自分の作品に込めた想いを読んでくれないのかという悩みに常に付きまとわれているだろう。以前のnoteで取り上げたLinkin Parkは、20年以上も自らのトラウマについて語り続けたアーティストである。
いくら有名になって、人が周りにいても、孤立感はやわらがなかった。でもLinkin Parkのチェスターベニントンはファンとの対話を続けようとしていた

David BoweiやLogic、Linkin Parkのインタビューなどを見ると、やはり暗い歌詞を書いたときは完全に意気消沈していたケースがおおく見られる。ミュージシャンが自殺がテーマを描いた時は、まず一旦評価などを置ておいて、周りの人たちやファンが対話の姿勢を持つことが大事である。なぜなら、この曲たちも、やはり末木氏の言った通り、彼らの告白のひとつであるからだ。
そして夢追翔の曲も例外ではない、と私は感じている。

時間をかけて、聞いていく必要がある。


元にじさんじのVtuber、黛灰は精神科医の名越康文先生と自らの病気についてしゃべる機会を設けた。「メンヘラ」といった言葉で茶化すのではなく、こうした暗い場面について腰を据えて話す場所は必要である。
ただし、個人的にはライバーとファンという個対多の関係だけではなくて、ファン同士でこうした言葉を交換していい空気があった方がいいと強く思っている



生きづらさと能力主義 ーー比較の呪縛をほぐす


最後にもうひとつ、現代の生きづらさについて考えておく
YouTuberという仕事は一見自由そうに見えるが、多種多様な人がいすぎるからこそ、逆に人々の様子をしるモノサシが欲しくなってしまうことがある。

目的に向かって活動する二人以上の集団 (=組織)を専門にし、人と人の関係性に着目する仕事をしている勅使河原(てしがわら)真衣さんは、多くのコンサルでの仕事をする中で、「能力」や「センス」という謎めいた言葉で人に「あなたには足りないものがある」と不安をあおるような言説に疑問を持った
なにかのプロジェクトなどで問題があった時、ある人に責任があると言えれば、問題の原因がつく。しかし、勅使河原さんは「独自性がある」と言われて中途採用された人が「奇抜すぎる」「基礎能力がない」と言われたりする現象を目の当たりにし、「能力」という言葉の正当性の怪しさについて考え始めた。
「能力」は、求めれば求めるほど「欠乏」を増す。
探せば探すほど辛くなっていくものなのではないか。綺麗に能力でわけて考えことができないほど、人生は複雑だ。

特に、能力が足りないと言われた人は「誰も知らない本当の私」がいると考えて、自分自身の内面を掘り始めたり普通である基準を探そうとする。
勅使河原さんはそうしたしんどく、人の孤独を深める内面の深堀や能力の開発よりも、しゃきっと一言で言い表せない、横にいる他者との関係性や環境を見つめることを薦める。

バーチャルユーチューバーの世界は一気に巨大化し、お金の話や求められる「能力」(どんな商品をどれだけ売れるのか?どれだけ影響力があるのか?)を、Vtuberを知らない人たちから求められることがあり得るようになってきた。
しかし、その真ん中にいるのは、どんなに「能力」なんて言葉では分割してもしきれない一人の人であることは、忘れてはいけない。
それは、にじさんじでいえば、黛灰が示してきたことの一つである。


(参考文献)

末木新 2023『「死にたい」といわれたらーー自殺の心理学』ちくまプリマー新書
勅使川原真衣 2022『「能力」の生きづらさをほぐす』どく社

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