集団ゆでガエル
子供の頃は「夢を持ちなさい」と言われ、大人になれば「諦めなさい」と言われる。
どうして、こんなにも子供と大人では見えている世界が違うのだろうか。
大人の世界では、金にならないものは「趣味以下」のレッテルを貼られてしまう。
それどころか、自分の人生に害をもたらすものとさえ思われてしまう。
子供の頃に全員が持つ夢は、基本的にやりたいことが混ざっていると思うが、大人になってから持つ夢は全てお金が絡んでいる。
もちろん生きていくにはお金が必要なことは分かる。しかし、全員が我慢ばかりして、何かに耐え忍んでいることを免罪符になんとなく生きている状況には少し懐疑的になってしまう。
自分がやりたいことをやっているのではなく、やりたくないことを耐え忍んでいること、自分がつらい状況にいるアピールさえできれば、特に何もしなくていい免罪符を与えられているような感覚がするのだ。
よそ様と話をするときに、自分が体験した嫌な出来事を話せないと大人ではないというような風潮がある気がする。
そういう大人達を見て、少し違和感がする。大人の人達がおっしゃる通り、歳を取ればとるほど背負うものが増えていくことは確かだろう。
だから、「世の中そんなに甘くないから」という言葉が出てくるのだ。
毎晩「最高に楽しかった」と思って一日を終えている人は一体どのぐらいいるだろう。
「毎日楽しい」という人間が現れたら、「まだまだ子供だな」「社会のことを分かっていないな」と思われてしまうだろう。
ただ、「自分の夢や理想から逃げ続けること」は、がんを放置することと同じだと思う。
時間が経てば経つほど、治療困難になる。
「世の中そんなに甘くない」と主張する人達は、その一般論、正論を笠に着て自分を守っているだけじゃないだろうか?
嫌々生きていることを周りにアピールできれば「お宅も大変ですね」「社会は厳しいですよね」と意気投合する人を見つけることができる。
でも、そういう人は十年後にきっと後悔する。
そのとき、その年齢でしかできないことが絶対にあるはずだ。
例えば、二〇代や三〇代でないと、体を思いっきり動かす遊びはなかなかできないだろうし、四〇代や五〇代のお金に余裕がある状況でないと、質の高い娯楽は堪能できないと思う。
ゆでガエル理論というものがある。
カエルは、いきなり熱湯に入れると驚いて逃げ出すが、常温の水に入れて徐々に水温を上げていくと逃げ出すタイミングを失い、最後には茹で上がって死んでしまうというものだ。
徐々に起きる変化に気が付かずに対処しないと、大変なことになるという意味の言葉だ。人は毎日少しずつ自分に嘘をつきながら生きている。
自分のやりたいことを目指さない言い訳は、たくさん転がっている。探せば果たすべき義務や責任はいくらでもある。
だから、自分の心の声を無視して生きていくことは、簡単に出来てしまうのだ。でも、そんな人生つまらないじゃないかと思う。
時間は帰ってこない。
英語で過去はPast(パスト)未来はFuture(ヒューチャー)そして、現在はPresent(プレゼント)という。
自分が今生きているこの瞬間は、神様から与えられた貴重なプレゼントなのだ、という意味が込められているらしい。僕達は与えられたプレゼントを、どぶに捨ててはいないだろうか。
自分の未来もどぶに捨てるような行為は、与えられるプレゼント全てをどぶに捨て続けることに繋がる。今の大人たちは集団ゆでガエルにしか見えない。
僕がおかしいのだろうか?
今も少しずつ水温は上昇し続けている。茹で上がってしまう前に、何か手を打たなくてはいけない。放置すればするほど、自分を騙して生きていくことは癌のように自分を蝕んでいってしまう。
僕は、せっかく生まれてきたのだから少しでも自分が楽しいと思うことをしたいし、自分のコップから溢れた分の幸せを周りの人に分け与えていく人生にしたい。
「現実は甘くない」「現実は厳しい」と言ってくる大人の人達は、確かに僕よりの現実社会のことを分かってはいると思う。
でも、その大人の人達が死ぬ前に自分の人生を後悔しないという保証はどこにもない。
「やりたいことをやっておけばよかった」と後悔するかもしれないし、実際そういう人が多いのではないかと思う。それに、大半の人が何らかしらの後悔を残しこの世を去っていく。
でも、何かやりたいことを突き詰めようとしたときに、僕の前に立ちはだかるものがある。
「そんなんじゃあまともな大人にならないぞ」という目に見えない世間の声だ。でも、基本的に生物としては極論食って寝ていればやることはやっていることになる。
自分一人が死なない程度に生きていく分には問題ない有難い社会だ。
確かに、贅沢をしたり家族を養ったりはできないけれど、僕は自分の理想的な生活を手に入れるためには貪欲に頑張っていきたい。
皆さんも、いいのだろうか? 本当にその今の生き方で。もっと、理想を追求していくべきなのではないかと思う。
「社会は甘くないぞ」とか、「現実を見なさい」と言っている人達がかなりいるが、そういう人達はいずれ自分が死すべき運命にあるのだという現実に向き合っていないように思う。
明日を夢見ても、今日は変わらない。今日を変えなければ、明日は変わらない。僕らが動かせるのは、今この瞬間の自分だけなのだ。
そもそもなぜ生きているのかが曖昧であるし、人それぞれ得意不得意もあるし、望んでいるものも千差万別だ。
だけど、少なくとも我慢しなければいけない人生ならば僕は生きている意味がないと思う。
だから、少しでも自分に与えられた一回きりの貴重な人生を大切に歩んでいきたい。
自分の人生に向き合っていない人達が他者非難をしたり、何かに依存したりしている。僕は、少しでもそういう人が減ればいいなと思う。
まずは、自分が楽しいと思えることを突き詰めていけるように、頑張っていこうと思っている。
自分がやる価値を見いだせないものは、自分が価値があると思ったものをやり尽くした後でやりたい。温度が上昇している社会という容器から、僕は飛び出していきたい。
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