なんで私って離婚したの?
ふと考えたんです。また私は離婚するんじゃないの?同じことを繰り返すんじゃないの?やっぱり1人の方がいいんじゃないんだろうか。
正直、原因になりそうなものはいっぱいあって絶対にこれ、ってものはない。産後でメンタルがやられてたのだって大きい。
けどそれ以前に人間関係の考え方が歪んでいたんじゃないかなと。そんなことを思うんです。
3000文字を超えているんだけど「これだ!」って感じてるのでぜひ付き合ってほしい。繰り返さないための過去の整理です。
自分の主張は通らない
元を辿れば親子関係に行き着くんですが、小学生の頃の私は自分の本当の主張は通らないものだと感じていました。けれど、末っ子で1人だけ女の子だったのである程度のわがままは通りました。
通ってきたわがままといえば買い物に行きたい、どこかお出かけに行きたい。文句を言いながらも親は私を連れ出してくれました。
けど、宗教に関して言えば違いました。私はある宗教の4世として生まれて両親はそれ関係で見合い婚をしています。とても信仰心の強い親の元に産まれました。
そんなサラブレッドな私は小さい頃は素直に受け入れても、次第に違和感を覚えるようになります。
幼少期の話
小学生の頃には親が私の友人宅へ選挙を頼みに行くようになりました。親同士なので角を立てることはありませんが、私はそれがとてもイヤで友人から変なふうに思われてしまうことに気が気じゃありませんでした。
けれど親は「それくらいいいじゃない」と全く聞く耳を持ってはくれませんでした。毎年その時期には親に向かって騒いでいましたが悲しいくらいに気持ちは届きません。
思春期の頃には自宅にパソコンがあり自分で調べ、宗教のおかしさを親に訴えたことがあります。
そんなことをしても意見は聞き入れてもらえず、宗教活動への参加を義務付けられていました。
少しずつ親も私が嫌がっているのを感じ、回数は減らしてくれましたが必ず月に数回はいく"約束"でした。
あなたは何不自由なく幸せに生きてきたでしょ、と親からよく言われたので自分がおかしいんだとずっと考えていました。
何回宗教活動に参加しても私の心は全く晴れなくて、なんで親だけそんなに元気なのか本当に分かりませんでした。
「信じれば救われるのに…」そんな母の友人の言葉が残っています。私だって無条件で信じたい。その方が幸せそうだから。でも、それができない。
親が1番大切にしているものを拒否している罪悪感をずっと抱えていました。
大人になってから恋愛を
そんな私も親以外に自分に愛情を与えてくれる人に出会い、自分を受け入れてくれる存在に癒されました。
お付き合いが長くなってそろそろ結婚する流れなのかな…?とそわそわしていた頃、彼が東京へ引っ越します。遠距離恋愛になりました。
ほどなくして世帯年収4ケタ万円欲しいから東京の公務員試験を受けてほしい、とまとめサイトが毎日毎日鬼のように送られてくるようになりました。
彼は元々東京の学生で、周りの目を気にしていたのかもしれません。結婚をするには産休育休が取れて北海道の平均年収くらいの仕事をしてほしい、と。
大学中退の私でも若い年齢のうちは公務員試験が受けれるから、と。
当時の私は田舎のアパレルで働いていて年収はその半分ほどです。大きい昇給がある仕事ではありません。それまではキャリアなど考えたこともなく、雲の上にいけと言われているような感覚でした。
公務員に全然興味がないしなれる自信もない。私は既に潮時だったアパレルを辞めて必死こいて公務員じゃない仕事を見つけ、全国転勤のある事務員になりました。
地方にしてはいいお給料で事務のお仕事をすることができました。親の期待には応えられなかったけど、彼の期待には応えられる。
公務員という道ではないけれど、産休育休がとれるし転勤して昇給すれば北海道の平均年収ほどは稼げる。人生で1番頑張っていた時期だったと思います。
けど現実は甘くなくて気質がベンチャーな会社だったのでどんどん仕事が舞い込み、精神的に追い込まれてしまいました。
私は彼の期待に応えたいからここに就職しただけであって、別にやりたいことではありませんでした。
ずっと苦しくて、これからもこの苦しみが続いた上に結婚があるのなら私は結婚の道を選べない。そう思ってお別れをしました。
誰の期待にも応えられない
そうして事務にしてはいいお給料という仕事だけが私の手に残りました。人間関係はいい職場だったので苦しくても助けられ、親や恋人以外にも優しくできる人たちに出会い人間的に成長できました。しかし。
これから先、どうしよう。
自分から手放したものの、あるはずだった結婚がなくなってどうしたらいいものかと漠然とします。生活の大きな一部でした。
そんな時に1人の男性と出会います。何度か一緒にご飯を食べて、面白い人ですね〜と思っていたらある日告白を受けます。好きってなんだ?と感じたのが正直な感想でした。
相手から好意を受け取ると意識してしまうのが人間なのでしょう。その後に私が嫌がらない距離感で、だけど情熱があるんだなぁと感じるアタックを何度も受けているうちにお付き合いをする流れに。
言えなかった違和感
お付き合いをすると酒をよく飲むというのは聞いていましたが、家へ行くと見たことない量の酒缶が袋に捨てられておりちょっと怖くなりました。よく笑うのになんとなく不安そうな人でした。
あまり比較するのは良くないのは承知の上なのですが、元カレは将来設計だったり自分の夢を強く持って自発的に行動できる尊敬できる人でした。しかし、一緒にいることに息苦しさを感じてしまっていました。
そんな生活が慣れていたので新しい恋愛が始まっても「お酒にだらしないくらい許そう、私もだらしないところあるんだし…」と、自分を許すつもりで相手を受け入れました。
決まって夜が更けて酒が深くなると口から出てくるのはネガティブなことばかり。ときには私を否定してくるようなことを言われ、自分を見つめ直しました。
知れば知るほど、深い闇の奥に入っていくような恐怖がありました。次第に疲れて彼から少し離れようとすると浮気を疑われ、そんなことは初めてのことで困惑しました。
違和感だったはずのものをしまい込んで「自分を下げられて彼を理解できる謙虚な私」を作り出しました。
見て見ぬふりして揉め事から逃げたかった。次こそは大切にしてくれる人の期待に応えたい。
いつの間にか精神が不安定な彼を心配し続ける日々になりました。私だって好きなことしたいけど、いまは時期じゃないのかもしれない。
そうしていくうちに心がすり減っていきましたが、妊娠していることが判明します。正直、産みたくないと思いました。私も彼も明らかに状態が悪いからです。
新しい世界をみたかった
けど、かといってこの命を私の判断で無かったことにしていいのか。もしかしたらこれが私の運命なのだろうか。なんだかおかしいけど、彼を支えるのが一つの使命なのかもしれない。
そうして、不安定な私は不安定なまま突き進むことにしました。この時期は友人に会っても笑うことができないから、誰とも会いませんでした。
しかし、違和感は増すばかり。昇給のある仕事に就いていたこともあって最悪シングルになってもこの会社にいれば大丈夫だろう、と腹を括りました。(のちに辞めてしまうんですけどね)
結婚となれば彼も安心するだろうし私も向き合う覚悟はしました。
お互いの精神的なものは落ち着き、安定した生活が待っているのだと思いました。子どもができたから。それだけの理由で。
考えたくなかったので"案ずるより産むがやすし"だと言い聞かせて考えるのをやめました。絶対に生活が変わる。不安定な生活が、絶対に変わる。とりあえず産んでみよう。
離婚をした理由とは
本人の努力でしか現実は変わりません。子どもができたから、と結婚をしましたがお互いに自分のことしか考えられていませんでした。
自分が我慢すればこの人は笑ってくれる、と思っていた人は結婚すると予想とは違う顔をしていました。
私が離婚したのは本音で声を上げることをしなかったからです。我慢することに慣れてしまっていました。
親に本音を伝えても届かなかった過去から、恋人にも届かないんだと思い込み、求められる相手の理想を演じていました。そうするのがお互い1番楽しくて、平和な日々が続くのだと。
けど現実は違いました。自分の素直な気持ちを相手に伝えないと何も届きません。伝えないと自分が苦しくなってしまうのです。
届かないだろう、と最初から諦めるのと届くよう努力して届かないのはまた別の話です。
違う人間同士が関わるんですから、伝えても届かないことがあるのだと知った上で伝える努力をする。骨が折れる作業ではありますが、それが人生の学びなのかもしれません。
一度失敗した経験を未来へ活かせるように決意表明でした。読んでくれてありがとうございます。
ありがとうございます。味の素の冷凍餃子をきゃぴるんるん食べます。