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【教育論】教師とは司会者である。

――中田敦彦のYouTube大学でおなじみオリラジのあっちゃんよりも、しゃべくり007の上田さんとか、さんま御殿のさんまさんとか、カジサックこと梶原さんの立ち回りが求められているということです。


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「教師とは司会者である」というテーマで話していこうと思います。


◆教師とは司会者である

普段は創作に関する記事を投稿しているのですが、実は僕は教育学部に所属しておりまして、現在教育実習中ということもあり、教育に関する記事を投稿しています。


今回は、教師とは何なのか、という疑問について語っていこうと思います。タイトルにもテーマにもあるように、結論からいえば教師とは司会者です。

最近の教育現場をあまり知らない人からすれば「?」が浮かんでいると思います。

「分かりやすく教えることじゃないの?」
「退屈な勉強をどれだけ面白くさせるかじゃないの?」

確かにどれも大事です。しかし、今の教師に求められているのは司会者の立ち回りなのです。

分かりやすく芸人さんでたとえてみます。中田敦彦のYouTube大学でおなじみオリラジのあっちゃんよりも、しゃべくり007の上田さんとか、さんま御殿のさんまさんとか、カジサックこと梶原さんの立ち回りが求められているということです。

あっちゃんの授業はめちゃくちゃ分かりやすいです。そして、面白いです。1時間の動画だろうと、飽きずに楽しく授業を受けることができます。でも、分かりやすく面白く伝えることだけではなくて、いや、それよりも上手な司会をすることが大切なのです。


一度、司会者とは何かを整理しておきます。

①「進行する」
②「場をつなぐ」
③「自分の意見を言わない」

この3点が挙げられるかなと思います。1つずつ丁寧に語っていくのと同時に、じゃあ教師にはどんな立ち回りが求められているのか、解説していこうと思います。


①「進行する」

これは、話題を展開していったり、タイムキーパーをしたり、その場の流れを進めることですね。テレビ番組でもシンポジウムでも、基本的に時間が決められていて、だいたいの段取りは決まっているじゃないですか。司会者は台本をもとに、自らの判断で会議や討議を進めていかなければいけないのです。

教師も同じです。授業1回分は45分とか50分とかです。その時間制限の中で、授業を展開していく必要があります。ですから、「ごめん、終わらないから少し時間オーバーしちゃうけど続けるね」は進行しきれていないので、教師の進行ミスということになります。

そうならないために、省いてもいい活動は省いたり、短くしたり工夫を凝らす必要があります。その場その場の判断が重要になってくるのです。


②「場をつなぐ」

聴衆の意見を受けて別の聴衆に意見を求めたり、一つ一つの意見を簡潔に整理したりすることです。テレビ番組の司会者はゲストの芸能人の方々みんなに発言の場を設けます。一人のゲストの発言に反応した別のゲストがいたら、「え、◯◯さんどうしたの?」とか「何か意見あります?」とか質問するじゃないですか。聴き手の間で議論が活発になったり、コミュニケーションが成立したりすることが理想で、司会者はそのサポートに回る姿勢が求められます。

教師もまさにそれで、学習者の間で意見を交換し合う環境を整えることが大切なのです。教師対学習者ではありません。学習者對学習者。そこで完結させるために、教師は発問したり、いろんな子に「君はどう考えるの?」と意見を求める必要があるのです。


③「自分の意見を言わない」

意外と大事なのが、これです。司会者は自分の意見を言いません。自分の意見を言う場面があるとするなら、それは台本に書かれてあるときか、「進行する」あるいは「場を回す」必要があるときです。

ワイドショーで司会者がコメンテーターの人に意見を求めたりしますが、あれも台本通りじゃないですか。白熱した議論にして面白くするために、あえて司会者がそれに反発するような意見を言ったりします。そのほとんどが決められたものであり、進行するためか場を回すためのものです。

授業においてもそうです。教師は自分の意見を言う必要はありません。むしろ言わない方がいいのです。②でも述べたように、学習者間で意見を交換し合うことが理想なのだから、そこに教師の私的な考えはいらないのです。


◆教師は主体ではない

最後に、どうして教師は司会者の立ち回りを求められるようになったのか、考察していきます。

形式的なことをいえば「学習指導要領が変わったから」ですね。さっきも触れましたが、「主体的な学び」というワードが、今の教育では最も注目されています。学習指導要領でも「主体的・対話的で深い学び」の実現に重きを置くようになりました。

学習者が自ら課題を見つけ、考え、調べ、表現すること。そして、誰かと共有すること。簡単にいえばそういうことです。

教師から教えられて終わりではなくて、それをもとに自分の頭で考え、時に疑問を持ち、自分で調べたり、自分の考えを言語化したりする学習を目指さなければいけないのです。また、他者と語り合い、学びを深めていく学習を目指さなければいけないのです。

正解がコロコロ変わりゆくこんな時代だからこそ、学校教育で主体的な姿勢を養おうということになったのでしょうね。


そんなこんなで「学習者の自主性」が尊重されるようになったので、授業の在り方も教師の立ち回りも変わったというわけです。

「学習者が主体」ですから、授業では学習者が話し合ったり、意見を交換し合う環境を設計しなければいけません。必然的に教師は主体ではなくなるわけですから、死に役を徹底しなければいけません。

意見を言うことも、でしゃばりすぎることも、タブーというわけです。


ということで、今回は「教師とは司会者である」という話をしてきました。僕もこの記事を書いて教師に求められることを整理できたので、実習中に担当する自分の授業でも意識していこうと思います。


最後まで読んでくださりありがとうございました。

20220904 横山黎




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