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狂人のしあわせ

――夢追い人は、夢に狂っているんです。狂っているときが一番楽しいし、その間はずっとしあわせだったりします。


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「狂人のしあわせ」というテーマで話していこうと思います。



📚屋上の狂人

一ヵ月くらい前に、菊池寛の『屋上の狂人』という物語を読みました。大学のゼミで読書会のようなものを行っていたんですが、その中で出逢った作品です。

戯曲形式で書かれた短い物語で、喜劇のように軽妙なテンポで展開していくのでとても読みやすいです。かつ考えさせられる内容になっているので、読みごたえがあるんです。

屋上が好きでずっと屋上に居続ける義太郎という若者がいました。義太郎にだけ見える神様の姿、雲の上の城に心躍らせる狂人です。ある日、父親が巫女を連れてきて、義太郎をどうすればいいのか訊いて、木で吊るして火あぶりにしようとするのです。そこへ学校から帰ってきた弟の説得もあり、どうにか難を逃れるわけですが、義太郎はその後もすぐに屋上へと昇り、夕暮れ空に見えるはずのない城と聞こえるはずのない笛の音にときめくのです。

メッセージは何かというと、狂人にとってのしあわせを尊重するべきなのではないかということ。狂人に無理に普通のしあわせを強いても酷な話で、狂人が心狂わせるものを奪わず、認め、理解し、寄り添うことが、本人にとってのしあわせになるのです。


📚アルジャーノン

『屋上の狂人』の中で明記されているわけではありませんが、義太郎のことをいう狂人とは、ここでは病的な原因がそこにあるのではないかと予測できます。精神的な障がいのある人なのではないかと。

そこから連想される物語といえば、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』。知的障がいのあるチャーリーが人口実験の結果、天才になるも、知ることで知りたくなかったことまで知り、まわりとの関係がうまくいかず悩むことになります。結局元の知的障がい者に戻ってしまうという物語です。

タイトルのアルジャーノンとは、チャーリーの前に同じような実験を受けていたネズミの名前で、作中で大事な役割を担うキャラクターです。

そういえば、数年前に、山下智久さん主演でリメイクドラマが公開されましたね。脚本の野島伸司さんが好きだったこともあり、当時リアルタイムで見ていましたが、本当に胸を打つ展開でしたね。

『アルジャーノンに花束を』を読んでも、『屋上の狂人』と似たようなメッセージを受け取ることができると思います。知識を得るから、社会的な地位や関係に縛られるから、しあわせになれない、言い換えれば、知的障がい者だったからこそしあわせでい続けられたのです。

普通とは違う人たちがしあわせを感じる瞬間も、普通の人が感じるそれとは違います。普通ではないものに笑い、普通ではないものに泣き、普通ではないものにしあわせを感じるのです。


📚確かに迷いながら

夢にとらわれた人も、言ってしまえば狂人で、普通の人とは違う場所を目指しているし、普通の人とは違う瞬間にしあわせを感じるものです。普通とか特別とか、そういう言葉はあまり使いたくないけど、便宜上使わせてくださいね。今さらですが、断っておきます(笑)


僕は幼稚園児の頃から創作に目覚めて、絵を描いたり、詩をつくったり、演劇したり、音楽つくったり、YouTubeやったり、いろんなことをしてきました。いろんな場所を味見して、戻ってきたコーナーは、小説でした。理由は単純です。一番おいしいと思ったから。

小学校の卒業アルバムの将来の夢の欄に「売れる小説家」と書いてから、かれこれ10年。寄り道をしながらも、この道を歩いてきました。歩いたり、走ったり、立ち止まったり、たまに振り返ったり。道中に会った人と話したり、いろいろな出来事を経て、僕は今、確かに迷いながら、この一本道に佇んでいます。

それもそのはず、もう大学4年生。何かを決断する、何かを手放す季節です。

まわり見渡せば、同じように夢を追いかける人は少なくなってきたし、子どもの頃みたいに「楽しい」や「面白い」だけで決断する人が少なくなってきました。それでも僕はそうするから、きっと普通ではないんだと思います。どこか狂っている部分があるんだと思います。

狂っていなきゃ、自分の思いを物語にしないし、本を出さないし、手売りしないし、自分の本でビブリオバトルに出ないし、ライブをやろうなんて思わない。


夢追い人は、夢に狂っているんです。

狂っているときが一番楽しいし、その間はずっとしあわせだったりします。誰かから、社会から普通を強いられたとき、はじめて狂っていることに気付かされ、悩むことになるのです。

普通が悪いとか、狂人が偉いとか、そういう話ではなくて、しあわせの形は人それぞれだし、相手が狂っているものに対してとやかく言うのは酷だよねということです。その人からすれば、狂っている対象そのもの生きる全てだったりするわけです。とすると、それを奪うことは命を奪うことにもつながる。

だいぶ大袈裟な話になりましたが、あながち冗談ともいえなくて、僕から作家とか小説とか、夢中になれているものを取ったら、何も残らないような気がして恐ろしくなりました。これからも確かに迷いながら、夢に狂っていこうと思います。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

20230330 横山黎



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