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「違い」と「間違い」は違う

――「違い」と「間違い」は違うんだから、自分とは違う考えの誰かを否定するのはよくないし、よってたかってとがめるのも違う。意見を主張することはもちろんいいけれど、押し付けるのは違うよね


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「『違い』と『間違い』は違う」というテーマで話していこうと思います。

📚「違う」ということ

昨日、友達としゃべっていて、お互い「うんうん」と共感し合ったことについて記事にします。結論からいえば、「他人の気持ちを尊重しろ!」です(笑)

たとえば、恋人がいて、その恋人の趣味嗜好、価値観について第三者に話したとします。その相手から「え、それ意味わかんない」とか「私だったら別れる」とか「やめておいた方が良いよ」とか言われたとき、僕だったら、「いや、僕はそれでも恋人といたいの」と反論したくなっちゃうんです。

似たようなシチュエーションに出逢ったことがあって、当事者になったこともあるし、第三者になったこともあります。僕は、20年以上も生きてるんだから、価値観も趣味嗜好もみんな変わっているんだから、「違う」ことに対して過剰に反応せず、相手のことを尊重する姿勢を見せるべきだよねと思うんです。

昨日話した友達もそういう風に考える人で、めっちゃ分かる!って話になったんですよね。

この議論に関していえば、僕や僕の友達の主張が正しいと思っていて、自分の視野や価値観を広めるためには、自分とは違う対象に対する姿勢を改める必要があると考えます。


📚「違い」と「間違い」は違う

この前、同じ学科の子たちと呑みにいったんですが、大学生だからどうしても恋愛の話になります。飲んでいたメンツの中にカップルがいたからなおのこと。彼の考え方と、彼女の考え方は違うし、いろんなエピソードを聴いている周りの聞き手の考え方も違う。もちろん、僕の考え方とも違う。

浮気は許せるか、とか、異性の友達とふたりでご飯いってもいいのか、とか、まるで心理テストの問題みたいな話題で盛り上がっていました。「え、それはない」とか「僕はこう思う」とか「それなら許せる」とか、主張や価値観がばらばら。

僕はその議論を面白がって「そんな考え方もあるのね」くらいの気持ちで聴いていたんですが、人によっては違う主張、価値観の人に対する認識が変わるほど「違う」に対して反抗的、排他的になると思うんです。誤解を解くためにいうと、あの場にいたメンツがどうってわけではなく、世の中そういうことが起き得るよねって話です。

今や世界は、常識や普通を定義づけることが難しくなっていて、時代によって、場所によって、人によって正解が変わるじゃないですか。

そんな世界を生きなきゃいけないから、「違い」と「間違い」を見誤っちゃいけないんですよね。今や日常生活において「間違い」ってことはほぼほぼなくて、非人道的な言動くらいじゃないですか。それすらも、ひとつの「違い」として受け止めるべきかもしれないくらい、「違い」であふれているんです。

「違い」と「間違い」は違うんだから、自分とは違う考えの誰かを否定するのはよくないし、よってたかってとがめるのも違う。意見を主張することはもちろんいいけれど、押し付けるのは違うよねって話でした。


📚「違い」と生きる物語

今回の話に関連付けて、僕の過去の作品を紹介します。ちょうど1年前くらいにつくった『桃太郎』という作品です。よく知られた童話の『桃太郎』を現代版にアレンジしてみました。

従来の『桃太郎』って悪い鬼を他辞する勧善懲悪の物語だけれど、今の時代に求められているのは自分とは違う鬼と友達になる共生の物語だよねと思ったので、僕なりに書き変えてみました。

これからの未来を生きる子どもたちには、「違い」を受け入れる力、「違い」と共に生きる力を身に着けてほしいという願いがこめられた希望の物語です。

興味を持たれた方は是非、以下の記事をごらんになってください。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

20230120 横山黎



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