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ヒッチハイクは乗る人より、乗せる人がすごい

ナマステ!
今日は大阪の心斎橋でライブ。久しぶりにライブハウスっぽいところでのライブなので懐かしい気持ちでいっぱい。

本日は
「ヒッチハイクは乗る人より、乗せる人がすごい」

24歳の12月にバンドが解散した。僕は就職もしていなかったので、これから人生をどう生きていこうか迷える子羊状態だった。

ただ、解散して早い段階でネパールに行くことを決めた。ネパールに行くのは半年後。それまで割と時間があったので、何か新しいことにチャレンジしたくなったのだ。

15歳から始めたバンド。10年続けたものに終止符を打った。少し不安もあったけど、まだまだなんでも出来るのではないかと思っていた。当時は、とにかく時間があったので経営者の自伝を読み漁っていた。その時、ヒッチハイクのことが綴られていて、僕には一番刺さった。

「まあ、とりあえずやってみるか」くらいの感覚で始めた。今では馬鹿だと思うが、僕は初めてのヒッチハイクでいきなり京都から鹿児島まで行こうとしたのだ。結果的に行けてしまったあたりが面白いのだが、今考えるとめちゃくちゃだなと思う。(笑)

そんなこんなで始めたヒッチハイク。初ヒッチハイクは1人だった。僕はかなり楽観主義なので「楽勝でいけるやろ」と思っていたのだが、まあそう甘くはなかった。

その日は水曜日のど平日。9時から始めたのだが、とにかく車が少ない。そしてトラックばかりの三連コンボ。2時間粘ったが成果なし。正直もう諦めそうだった。

京都、桂のPAにて

後から気づいたのも馬鹿だが、京都からいきなり岡山に行く車なんて皆無だったらしい。通り過ぎるトラック運ちゃんにそう言われた。でもそんなこともヒッチハイク初心者の僕は分からず2時間ひたすらスケッチブックを掲げていた。ただ、このまま何も成果を上げられず家に帰るのは嫌だったので、行き先を岡山→神戸に変えた。するとものの10分で見事記念すべき1台目の車が僕の前に止まってくれた。

2時間後に岡山から神戸に書き換えてヒット!

「伊丹の近くまでやったら乗っけてあげるよ」と優しいお兄さんが乗せてくれた!「ありがとうございます!」と半分泣き顔でなんとか乗せてもらった。

そこからは5台乗り継いで北九州市まで行った。北九州に友人がいたので二日ほど遊んでそこから鹿児島に向かった。その時も調子良く2台の乗り継ぎで鹿児島まで行くことができた。1台目の車にスケッチブックを忘れるという大ポカをやらかしたのだが、サービスエリアでコピー用紙の裏紙を借りてなんとその場を凌いだ。(笑)

鹿児島の高速道路入口前で40分粘っている時の図

帰りはなんと鹿児島から大阪まで2台で帰ることができた。1台目の人は山口県まで乗せてくれて、2台目のトラックの運ちゃんは山口から大阪まで乗せてくれた。(スケッチブック新しいの買いました。笑)

最高に優しかったトラックの運ちゃん

山口から大阪までの帰り道で、ラーメン2杯、コーヒー3杯をご馳走になった。僕がご馳走しなければいけない立場なのに「若いもんはいっぱい飲んで食べえ!」となんて心が綺麗で優しい人なんだろうと感激。

これに味をしめたのか、親友と大阪から東京まで往復でヒッチハイクをしたりもした。ただ、最初が1人だったので2人でやるヒッチハイクは心は気楽だったが、人数が多いため中々苦戦した思い出もある。

「ヒッチハイクするなんて勇気あるね」とたまに友人や知人に言われるのだが、逆だ。ヒッチハイクに乗せる人の方が勇気がいるのである。だって見ず知らずの人を、いきなり信用して車に乗せるって中々出来なくないですか?本当にこれがきっかけで、僕もヒッチハイクをしている人がいたら、迷わず乗せてあげようと心に決めた。

ヒッチハイクの出会いは一期一会だが、本当にいい思い出ばかりで。そもそも見ず知らずの自分を乗せてくれている時点で、少なからずドライバーの方達は僕に興味がある人なので、話がめちゃくちゃ弾むのである。道中で何度も爆笑した。

広島から山口まで乗せてくれた方は、定年退職をしたばかりの方で「話し相手になってくれてありがとう」と逆に感謝されてしまった。そんな素敵な人との出会いがあるヒッチハイク。もう流石にアラサーなので、今からやろうとは正直思わないが、20代前半に経験することができて本当によかった。

単純かもしれないがヒッチハイクを通して、困っている人がいたら迷わず手を差し伸べたいと思った。ある意味ヒッチハイクで乗せてあげることも、誰かのチャレンジの「応援」なのかもしれない。フェリベトウンラ!

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