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生れを忌避されたことが君はあるかい

「今すぐ死ぬべき脳の病気」と言われた日

 私は障害者だ。さらに詳細に言うなら、発達障害、自閉スペクトラム症積極奇異型とADHD不注意優勢と双極性障害Ⅱ型の3重奏だ。自閉スペクトラム症と言う名前がわかりづらければ一昔前の「アスペルガー症候群」と言う名前で呼べばわかりやすい人がいるかもしれない。そうだ一時期、ネットスラングとして、あるいは現実で、心なき言葉として軽口として「このアスペが」「お前アスペだろ」と「このガイジ」「ガイジが」と同じくらい軽い言葉として使われていた言葉だ。手帳の色はミドリさん、などと場所によっては馬鹿にされる障害だ。
 そして昨今、と言うかつい最近、トレンドで「脳に欠陥のあるメンヘラやキ〇〇〇(放送禁止用語である)は恩知らずで死ぬべき」といった暴論が支持を集めた。その主張者は以前からそういった疾患の人物を見つけては叩いていた人物だった。それなのに、今更。私は怖かった。生まれつきの疾患で、命まで狙われ、命を受けたことを呪われ、存在を否定され、そして何よりそれに賛同する人々が多い世の中俄かにが恐ろしくなった
 ネット配信だってそうだ。ツイキャス等で、相談枠として本気で障害について相談をするために上がると、障害を揶揄されて傷ついて終わる。あの場所は見世物小屋で、障害者がどう見せられるかは小屋主の匙加減ひとつ。私がそう悟った瞬間だった。何が「お悩み相談」だ、何が「ショタカテ」だ。垢晒しも、匿名リスナーによる疾患への誹謗中傷も平気で行われる。
 5chでは言わずもがな、有名になった発達障害者はヲチ板を立てられてウキウキウォッチングされるらしい。これは躁状態だった当事者がツイートしていたので間違いないだろう。というより、そのような板の被害者に会ったことがあるので知っている。
 反応するからげらげら笑って小突かれる、反応を辞めろ、反応するな、ネット断ちしろ、そういう当事者もいっぱいいるだろう。ご助言有難い。しかし、私の精神は極限に達しており、ヘイトスピーチ規制法も何ら機能しないこの現状の中で、ただ、ただ慟哭したいのだ。自分の命を自分だけでも肯定するために。
 
 なぜそこまで、脳やら遺伝子やらと「自分にどうしようもないものの仕組みで」命まで迫害されなければいけないのだろうか。我々は「何か」したのだろうか。いや、しているのだろう。個々のケースとして、ディスコミュニケーションや相手をカサンドラ症候群にしてしまう、裏切ってしまうようなことをしてしまう加害性があることは認める。
 それでも、我々発達と精神の障害者の存在を、命を、生まれてくることを大衆に指さしてげらげらと否定されるほどの何かをしているのだろうか。妖怪やけだもののように逃げ隠れして、狩りのように追われて狙われて撃ち殺される、そんな存在でしか生きて行くことを許されないのだろうか。

抜け出せない悪夢

 今私は、横田弘氏の『障害者殺しの思想』という本を読んでいる。この話で殺されている障害者は脳性麻痺の人々である。しかし、脳に問題があるという点では我々も同じだ。脳は未だ医学でも手の届かない領域、海外では意識を保ちながらの切開手術なども行われているが、発達障害や精神障害が脳外科手術で治癒したという例はトンと聞かない。それほどまでに複雑な、感情や理性を司る部分に神なるものは爆弾を幾つも埋めていった。それならばいっそ生み出さないでくれ、と言いたくなるほどに。


発達障害と脳。引用元はhttps://h-navi.jp/column/article/35027050

 双極性障害は脳もさることながら遺伝子に乗っかって来るというのがもっぱら最近の見解だ。遺伝確率8割。親ガチャではなく遺伝子ガチャ、そのようなものどうやって判断をつけようか。隔世遺伝などもあろうものを。
 そうして生れ出た「欠陥品」、欠陥品としての頭角を現し始めると幸いにして「健常者として生まれたお歴々は「都合のいい時はウェイの乗りをして輪の中に入れ」、「都合が悪い・機嫌が悪い・ウザくなってきた」時は掌返して総叩きにする。存在まで許さない程に。法的に準備してまで。彼らにはそれが出来る、何せ頭も回る、元気もある、財力もある健常者なのだから。そして擦り寄っていられる自称マッチョ系の発達・精神当事者もそれに追随する。弱いものが更に弱いものを叩く夕暮れ。
「被害者面するなよ。お前は加害したんだ」
 それが四方八方から四六時中飛んでくる。弓矢のように。
「自己憐憫するな」
「きも~」
「死んでほしいですね」
「アタオカなんですよ」
 いつしかそれは目に焼き付いた残像のように、取れなくなる。耳の中で反響して、自分を永遠に責め続ける。静かな部屋にいても、ネットを遮断しても、道路を歩いていても常に責められて見られている。そんな気がする。
 だって「そんな人々」が世の多数派だと証明されてしまったのだから。
 職場のあの人もこの人も、両親だって親戚だってそう思っているかもしれない。昔からの友人だってそう思っているかもしれない。信用している医師だってそうかもしれない。謝っても許さない、局所的なことにしか謝らないから。もっと謝れ。もっと謝れ。どこにいても、街中でも、裏路地でも、自分の部屋でも、夢の中でも。どれほど静かでも、声は迫って来る。


出典:ぱくたそ



「もっと謝れ。死んでも謝れ。死ぬのは甘えだ。死に逃げするな」
 そう言いながら私を土下座させる手の中には、同じ発達障害者の手もあって。
「お前自分が加害してないと思ってるんだろう」同じ障害者が頭を押さえる。
「お前みたいな勘違い野郎が迷惑なんだ」
「死ね。今すぐ死ね」見知らぬ掲示板の人が頭を押さえる。
「脳に欠陥があるんだ」まとめのコメントの人が頭を押さえる。
「生きてる意味ない」
「仕事の迷惑にしかなってないんです」職場の上司が押し付けて来る。
「いいんじゃないですか、勝手にすれば」仲のよかった人が押さえる。
「死ぬべきなんです」まとめの元に成ったインフルエンサーが押さえる。
「結局頭がワヤで恩知らずなんですよ」大合唱されて、私は頭を折れるほど垂れて謝る。首が折れる。

 これがずっと、ここ最近の夢だ。起きるのが怖い。生きるのが怖い。私に戻るのが怖い。薬はこれ以上強くできない、昼間の生活が出来なくなるからだ。生きるのも死ぬのも眠るのも怖い。私は自衛する「何か」の購入を検討している。だって「強い発達障害者」の皆さん、「弱い発達障害者」で結婚もできない孤独な人間には、もうそれしか道がないんですよ。誰にも守ってもらえない、もう何が来てもおかしくない。ずっとクスクス、ヒソヒソ、本物かどうかもわからない声がしているんですよ。ずっと反響する、配信者やVtuberの
「メンヘラくっそうぜぇ」
「いやほんと、迷惑なんでwごめんwってなりますねw」
 という、自分に向けたものでもない嘲笑。それが絶え間なく頭の中をぐるぐると。


出典:ぱくたそ


 絶望への道にはばけものがひしめいている、いくらわたしがつみびとでも、少しでも生きていたい。

生まれながらのつみびとより

 私は皆さんの言う通り、生まれながらのつみびとで、この世に不要なものかもしれません。いるだけで人を傷つける邪悪でごみのような、いえ、ごみなのかもしれない。いやごみなんだろう。本当に、あの破砕する機械に飲み込まれてぐじゃぐじゃになってしまったら、喜ぶ人は男性女性2名ずつくらいは思いつく。
 けど、いつも悩むのだ。障害者と言うのは、特に治すことも除くことも、介助することも難しい脳の障害遺伝の障害というのは、そんなに存在がゆるされてはいけないものなのか、と。帰ってきたウルトラマンのサブタイトルにあった「許されざるいのち」のように、必ず死を約束されねばならない、そうでなければ猿回しの猿のように、生殺与奪を常に他人に握られ見世物小屋の見世物にされなければならない存在なのか、と。
 先程「今読んでいる」と言った横田弘氏の『障害者殺しの思想』の中で、横田氏の事務所に投函された「健常者のはがき(私には公的機関に届く怪文書と同レベル)」が引用される場面がある。それを更に引用する。

人間としての権利を奪われたとは何事だ!
お前たち〇〇〇(障害者を指す差別用語)者は世の中を遠慮して
ソット生きて行け!それでこそ始めて我
々五体健全な人達から同情が得られるぐ
らいの事はいくら脳性○〇(罵倒語)でも
解ると思う
親の因果が子に報い!因果律という言葉を知らないのか!
逆上せ上がるのも程々にしろ!
○○○(上記と同)奴

改行は原文ママ。横田弘『障害者殺しの思想』より

 呆れる内容である。正直に言う。因果律というものがあるならば、このはがきを書いた下手人は帰り道に車に撥ねられて大怪我の半身不随やら麻痺を患うだろう。それくらい、頓珍漢なことをさも大義名分のように言っている。
 そんなレベルの人々が今でも、大手を振って私達に「死ぬべき」と騒いでいる。脳障害や精神障害を馬鹿にして、サンドバッグにしている。「メンヘラ」と言う便利なお札を貼って。
「うるせぇッ!!」
 そう言って私はそれを剥がしたい。私もお節介だろう。積極奇異型はお節介と相場が決まっている。だからなおさねばならない。だが、それは大衆の仕事ではなく医師の仕事だ。
 だが同時にお節介は私の頭を押さえつけるお前たちだ。横田氏にはがきを送りつけた奴と同じ性質のお前たちだ。因果律と言う言葉を信じるならば、お前たちの何人が死ぬまでに他人の手を煩わすことなく正気で生きられるだろう?他人の手を煩わすことなく五体満足でいられるだろう?
 事実、若くして脳梗塞で麻痺状態になる人もいるというのに。

  因果律と言う言葉を知らないのか?逆上せ上がる(この言葉も健常者と言う割にはよくわからん言葉だ)のも程々にしろ!そのままお返ししようその言葉。
 さらに言うなら、我らの存在がそんなに社会悪ならば、何故安楽死は未だ我が国で合法化されない。かの悪名高き「優生保護法」を成立させ、安楽死の合法化を叫んでいたとされる議員「太田典礼」が

「植物人間は、人格のある人間だとは思っていません。無用の者は社会から消えるべきなんだ。社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性を持っているのであって、重症障害者やコウコツの老人から『われわれを大事にしろ』などといわれては、たまったものではない。」

横田弘『障害者殺しの思想』より

と言ったとされる。その癖本人は85歳まで見事「コウコツの老人」として生きたのだからお笑いだ。ここで叩きの対象とされているのは肉体的に動かない障害者だが、その矛先は今や精神的に自律できない障害者にも向かう。障害者の中から安楽死合法化論が出るほどに。そして言うだけ言って先人が言い逃げしたからこそ、今中途半端な自殺中継やリストカットやODが流行する。そしてそれらが所謂嫌われているメンヘラになる!あるいは、さらに突っ込めば何故あの「鼻からスプーンを突っ込んで脳を〇〇〇する手術」が復活しないのか?ノーベル賞すら取ったというのに!結局廃人になるからだろうか?廃人になって死ぬのがお望みなのが大多数ではないのか!

 結局、お互い膠着状態、どうしようもないんですよ。私達に死ね死ね言ったって、結局私が、私達のうち誰が死んだってアナウンスがないとわからないでしょう。誰が仇討ちに行くわけでもなし。障害者の仇討ちなんて、誰がするものですか。
 私が加害者だとしても、もう謝ってもみんな無駄なんでしょう。
「加害者が謝ったって無駄」と、同じ障害を持った人が言っていましたので。
 だから私は、毎日の声に怯えながら、毎日の声に反発しながら、毎日を過ごすだけなのです。毎日耳元で
「脳に欠陥がある今すぐ死ぬべき人なんですよ、あなたは」
と絶え間なく言われながら。そしてその声に
「うっせえんだよぉっ!!そんなに言うなら殺しに来いや!!」
と叫びながら。

#創作大賞2023

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