うつ既往歴のある管理職

約2年の休職を経てうつから復職→退職→転職を経て今は成り上がりの管理職です。正社員雇用で5年以上継続就労しており、再燃・再発もなく、もう薬も飲んでいません。自分の闘病中の回顧録のデジタル化を兼ねて、『うつが改善するnote』を書いています。最近は更新が滞ってます(元気です)

うつ既往歴のある管理職

約2年の休職を経てうつから復職→退職→転職を経て今は成り上がりの管理職です。正社員雇用で5年以上継続就労しており、再燃・再発もなく、もう薬も飲んでいません。自分の闘病中の回顧録のデジタル化を兼ねて、『うつが改善するnote』を書いています。最近は更新が滞ってます(元気です)

最近の記事

【適応障害回顧録】8冊目の日記⑦雪が溶けて、わずかに見え始めた回復への道。

~私はフラッシュバックに囚われながらも、主治医の支援により本当に少しづつだが、回復の道を歩み始めた。同じ日々の繰り返しのようであったが、パワハラ上司からの拷問に苦しみ続けた私からすれば、同じ日々を繰り返す(また同じような日々が明日、訪れる)ことがどんなに平穏なことか実感し始めていた。雪が溶けて、わずかだが見え始めた道。当時は毎日ががむしゃらだった。~ 4月23日 安全なはずの実家で、フラッシュバック ~刻まれた記憶から逃げられない~今日は明け方の4時にようやく眠りにつき8時

    • 【適応障害回顧録】8冊目の日記⑥うつ病夫の私は妻を実家に帰らせ、一人。

      ~妻の体調不良は私の側にいるから・・・と考えた私、そして実家に帰ろうと思った妻。結婚したときには想像していなかった夫婦のかたち。あの頃の普通の毎日をもう一度、たったそれだけ願った日々。~ 4月15日(妻に”大丈夫”と言えた日)今日で、私が自分で自分の命を粗末にしようとしてから約1年経った。 今日が精神疾患になる前の私の命日だ。 妻は気分転換にヨガのレッスンに通い始めた。 私は午前中から図書館にいた。EMDRを受けるか悩んでいたのだ。 EMDRの第一人者の翻訳された著

      • 【適応障害回顧録】8冊目の日記⑤ 陽の当たる者に戻り、二年ぶりの桜

        ~転勤先でのパワハラを上申することを図った私は北海道支社、本社から要注意人物のラベルを貼られ、北海道では「いなかった人」にされ続けた。捨て身で本社帰任を引き出した私は休職者という立場を受け入れ、東京へ帰任する。休職者として新年度をスタートさせた私は自分らしさを信じ、行動し続けた。そして、減薬症状に苦しみながらも、陽の当たる者(存在する人)となり、二年ぶりの桜を見ることができたのだった。復帰への日々が始まる。~ 4月1日(減薬初日)2時就寝→8時起床 朝食、服薬 先週の診

        • 【適応障害回顧録】8冊目の日記④ 会うことのないはずだった初恋相手との再会

          〜東京に戻り、出身地であったはずの大都会の環境に適応できない私は居場所をなくしていた。そんななか、自分の人生で会うこともないと思っていた人に会うことになる。運命のイタズラというのは、ドラマの中の話だけだと思っていたが自分が主人公になるとは思ってもみなかった〜 3月19日 自分の調子を把握しづらい毎日どうも眠れず、寝るのが遅くなった。 まだ生活リズムが安定しない。 深夜2時半にようやく寝れたものの7時半まで寝て、その後、二度寝してしまった。起床後は図書館へ行ったものの疲れて

          うつ復職後の日々をYouTubeにアップ始めます!

          お久しぶりです。 皆さんいかがお過ごしでしょうか? 私は元気です。 最近は更新が滞っていてすいません。 仕事も忙しく、試験勉強もしています。試験日が8月下旬ということで、こちらのnoteを更新する気持ちの余裕がなく、数ヶ月経ってしまいました。 Twitterは毎日見ています。 Instagram はたまにといった感じなんですが、具合が悪そうな方のツイートを拝見すると、 一言コメントをあげたほうがいいのか、いいねだけでいいのかどうしようかなあと思うことがあります。 なる

          【適応障害回顧録】8冊目の日記③ 次の目標を探しはじめた頃の記録

          ~トップの写真は2019年の7月頃に撮影した旭川駅の南東、忠別川の川沿いです。私は闘病中、よくここを散歩していましたが今は数年の時を経て旭川北彩都ガーデンとして、北海道のガーデナーとタイアップして公園のように環境整備されています。この日記の話とは少しズレますが、自分が歩いていた川沿いに花が咲いているというなんとも不思議な体験をしたのです。北海道にお住まいの方は是非、訪れてみてください。~ 8冊目の日記、エピソード③次の目標を探しはじめた頃の記録~転院先の主治医に恵まれ、新た

          【適応障害回顧録】8冊目の日記② 新宿の魔女

          ~東京の実家での居候生活を始めた私は勤務先の契約しているEAPカウンセラーから紹介されたクリニックへ転院する。本社から紹介されたということでどんな医者か不安を抱いていた。ただ、この医者との出会いがなければ今の自分は間違いなくいない。ここまで回復し、正社員として、管理職として評価されながら働き続けるレベルを維持することはできなかったと思う。そういう意味では主治医と自分の相性というのはいわば”賭け”の要素がある。このnote、8冊目の日記②はそんな医者”新宿の魔女”との初診を含め

          【適応障害回顧録】8冊目の日記① 精神疾患を発症しなければ、ない光景と時間

          ~東京本社へ戻された私は本格的な療養のための準備を始める。この頃の写真は1枚もなかった。おそらく、妻と命からがら東京へ戻ってきたことで次の目的を失った私はガス欠状態だったのだろう。東京の中野にカフェ・ド・アラビカという喫茶店があった。当時、自分が安心できる場所がなかった私はここをよく訪れた。マスターにダッチ・コーヒーを教えてもらった。振り返ると当時の私は迷惑な客であった。今年の正月に久しぶりに近くに用があり、カフェ・ド・アラビカの前を通ったが2019年の12月で閉店してしまっ

          うつ病小説『蝉氷』を紹介します。

          こんにちは、うつ既往歴のある管理職です。 コロナウイルスに関するニュースを聞かない日はない位になってきましたね。みなさんいかがお過ごしですか? さて、私が闘病中の経験をテーマに書いた小説『蝉氷』が4/4からAmazonで購入いただけるようになりました! この『蝉氷』は私が人生で唯一、書いた長編小説でお恥ずかしながら後述の作品賞に応募した作品です。書いたきっかけや、この小説を通してお伝えしたいことを書きましたので是非、ご覧ください!! うつ病小説『蝉氷』の生まれたきっか

          【適応障害回顧録】7冊目の日記④ うつ病で休職する私は当時の支店長にパワハラを認めさせようと直談判する

          ~パワハラやセクハラ、マタハラといったハラスメントによって精神疾患を発症した者はパージ(purge、追放)される。休職が発令され、休職者となると休職期間の満了日までに復職できなければ時間切れで、自然退職である。つまり、自分が受けた被害に関してなんの主張もできないまま、誰にも知られずに会社組織から消えることになる。私は自分の受けた被害に関して刑事訴訟や民事訴訟での立証は困難であると認識していた。それでも、私は納得できなかった。私が殺されたのは事実だからだ。私は最後に旭川支店の最

          【適応障害回顧録】7冊目の日記③ 課長は私のパワハラ被害を認める。そして・・・

          ~旭川から東京へ戻るまで残り1ヶ月近く。私は本社の私への対応、つまり、メンタルヘルス不調者への対応があまりにひどく、一部、パワハラ隠しや就業規則といったルールから外れた対応がされたことに関して納得がいかなかった。そこで、コンプライアンス部門へ申し立てることになる。本社とのケジメをつけた後、私は旭川支店の管理職である笹島課長と話をしたくなる。~ 1月19日(交感神経がうまく働かない) 9時半起床 朝から体調が悪い。 脳の興奮が心身に良くない気がしている。 長い間、抗うつ

          【適応障害回顧録】7冊目の日記② うつ病になったあなたの居場所は職場だけではない。

          ~旭川を脱出するまで残り1ヶ月半となった。転居に向けて勤務先と連絡をせざるを得ないことがあり、人事部のスタッフの抑圧的な態度に失望する。一方で地域には私を見守ってくれている人がいた。勤務先で臭いものに蓋とされた私だが、私の存在を認識してくれている地域の人達がいるということは勤務先というラベルが剥がれたそのままの私も何か人に魅力に感じるものがあったのだろう。~ 1月15日(お世話になっているパン屋家族との新年会) 8時起床 午前中、除雪 13時 昼食 夕方、寝てしまう。

          【適応障害回顧録】7冊目の日記① もはやうつ病で変わった私にふるさとはなかった

          ~転勤した北海道で適応障害、うつ病を患い、パワハラ隠しに遭い、医療過疎の地域で療養していた私だったが休職と本社への人事異動が発令されることになり、東京へ戻るまで残り2ヶ月ほどとなっていた。事前の準備も兼ねて年末年始に東京へ戻った私は環境の変化というストレスに直面する。もはや私に安心できるふるさとはなかった。本社へ戻りたいと思っているのか自問自答する日々であった。~   1月1日(精神医療に薬はいらない?) 23時就寝→9時起床 朝食、服薬 本日は元旦

          【有料note】vol.2 ”うつ既往歴のある管理職”が勧めるうつ病休職中の過ごし方~序~

          ~トップ画像は北海道の旭川にある”上野ファーム”というところです。私が安心できる場所の1つで、1年に1回は必ず行きます。あの家には誰か住んでいるのかな?すごい綺麗な場所ですよね。~ どうも、”うつ既往歴のある管理職”です。 私は転勤先でパワハラに遭い、適応障害からのうつ病、その他色々な不安障害、パニック発作などラベルを貼ればきりがないのですが色々と経験しました。 当時の日記をデジタル化して、noteに【適応障害回顧録】として掲載していますが、ようやく転勤先で書いた日記を

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          【適応障害回顧録】7冊目の日記⑥ 東京への帰任。戻る場所のない休職発令

          ~勤務先からのパワハラ隠しによりそもそも、いなかった人にされかけた私の北海道での軟禁生活は終わりを迎える。身辺整理を終え、適応障害・うつ病になった自分に別れを告げ、自分を創り直すために東京へ戻る。私にもう一度、生きる決意を授けてくれた”先生”達が北海道のために作った北海道国際航空株式会社(現AIRDO)に乗り、「会社に評価されるのではなく、将来、振り返って自分で自分を評価できる生き方をしよう」と気持ちを新たにした。~ 2月23日(減薬して復職しないと辛くなる)昼食を妻と外で

          【適応障害回顧録】7冊目の日記⑤ 愛は人の徳を高める

          ~旭川にある神居古潭(カムイコタン)。”カムイ”とはアイヌ語で神のいる場所とされ、神聖な場所である。神居古潭は景勝地だが、流れている川は激流で生と死が隣り合わせの場所だ。冬の神居古潭を訪れる人はほとんどいない。訪れる目的が景色をみたり、観光目的ではないからだ。私は旭川を発つ間際、いわば自分の”最後の場所”として決めていたこの神居古潭を訪れた。かつての自分を捨て、新しい自分を創る決意を抱いて。~   2月17日(精神科も医療過疎) 今年は医療費が札幌へ通院したこともあり10