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【適応障害回顧録】8冊目の日記① 精神疾患を発症しなければ、ない光景と時間

~東京本社へ戻された私は本格的な療養のための準備を始める。この頃の写真は1枚もなかった。おそらく、妻と命からがら東京へ戻ってきたことで次の目的を失った私はガス欠状態だったのだろう。東京の中野にカフェ・ド・アラビカという喫茶店があった。当時、自分が安心できる場所がなかった私はここをよく訪れた。マスターにダッチ・コーヒーを教えてもらった。振り返ると当時の私は迷惑な客であった。今年の正月に久しぶりに近くに用があり、カフェ・ド・アラビカの前を通ったが2019年の12月で閉店してしまっていた。伝えられない感謝もある。北海道の旭川から戻った私のほろ苦い復職への日々が始まるのでした。~

3月1日(うつ病・適応障害にならないと味わうことのなかった平穏な一日)

朝7時 起床 

朝8時 朝食、服薬

9時半頃外出をし、家の近くの駅の周りを歩く。

家で昼食をとり、午後は図書館へ向かった。

3月2日(やはり夕方に具合が悪くなる)

9時起床

11時から1時までは家の近くの喫茶店で、北海道にいた時にお世話になった”先生”へ手紙を書いた。

13時 昼食

14時から16時まで横になる。16時ぐらいから体調が悪くなってくる。

夕方、EAPから記録を求められている生活記録表を作成し、夕食前、横になる。 体調がやはり良くない。 脈拍は70と低めである。

19時 夕食

夕食を食べた後、妻と家の周りを散歩した。

就寝前に読書。24時就寝。

 3月3日(実家に身を寄せても家賃が6万円かかる理由)

東京にいた頃に通っていた池袋の美容院に髪を切りに行った。 

旭川と東京は街のスタートリズムが違う。旭川は観光地だが農業が盛んな地域でもある。そのため、街は7時には始まっている。一方、東京の始業時間は9時からだからスタートが2時間ずれるのだ。この1日の始まるスタートがずれるからどうしても夜の就寝時間が遅くなりがちなのだ。 

結局、10時から行動を開始した。午前中の使い方をどうするか考えたい。

池袋の美容院で髪を切った帰りにまっすぐ帰れば良かったのだが、読みたかったお店に寄り道をした結果、 フラフラになってしまいタクシーで帰宅した。動きすぎてしまうことを気をつけたいと思う。

夕方、17時頃から不安発作や手の痺れが出てくる。

引っ越しの荷物が旭川から届く。 荷物の量が予想以上に多くて、実家に入りきらないからもともとトランクルームを借りる予定だったのだが、妻からトランクルームをもう一つ借りた方が良いのではという話があった。たしかに入りきらないが、1つ借りるに3万円程かかる。2つ借りると傷病手当金では東京で夫婦が住める賃貸を借りるのが難しく、家賃に傷病手当金を当てるのを避けたいから実家にいるのに6万円程かかってしまう。

3月4日(休職開始の日)

午前中、免許更新のために妻と免許の更新センターへ向かった。 

一度帰宅して疲れが出ないうちに区役所へ行き、自立支援医療の申請を行った。今は、どうかわからないが私が自立支援医療を受けていた頃は引っ越すと転居先の市区町村で自立支援医療の住所変更の更新を行い、新たな受給者証が来るまで待たないといけないのだった。

夕方、帰宅し、近くの喫茶店でコーヒーを飲む。

今日はとても疲れた。

18時から不安発作や耳鳴り、目の眼精疲労といった症状が出てくる。まだ東京のストレスに慣れないようだ。

東京に来ると、旭川のスーパーで手に入ったような魚介類や新鮮な野菜が手に入りにくく食欲がなくなってしまった。痩せるかもしれない。

私はこれまで幸いにも有給消化と欠勤扱いで療養していた。そのため基本給は保証される形で療養をしてきたが、正式に休職が発令されたことで休職者となった。 休職期間は今日から1年である。

砂時計は動き始めた。

3月5日(初めて飲んだダッチコーヒー)

この日は1日中、雨だった。

午前中、荷物整理をしていたらあっという間に時間が過ぎた。

午後、旭川から車が届いた。 旭川では生活に必要なために運転をしていたが、東京では交通量が多く、 薬による副作用もあることから、運転は危険だと思われる。 せっかく旭川で仕事をするために車を買ったのだが、 ただの荷物になってしまった。 残念である。

ほとんどどこにも行かなかったので、家の近くの喫茶店でダッチコーヒーというお酒のようなコーヒーを初めて飲んだ。 ちびちび飲めるところが今の私の体調に合っていた。次からダッチコーヒーにしよう。 

外出を多くしなかったためか、今日は精神・身体症状共に現れなかった。

3月6日(同じ店なのに違う店のように感じられた思い出)

妻が実家に用があるとのことで、駅まで妻を見送り、そのまま図書館へ向かった。メンタルヘルスマネジメント検定2級の勉強をした。 

1時間ほどたって頭が重い感じがしてきて、しまったが、結局2時間ほど図書館にいた。

昼食を食べに図書館の近くのまだ中学生や高校生の頃によく行っていたうどん屋に行ってみた。 

もちろん働いてる人も変わってしまっている。

昔、自分がよく言っていた店なのに違う店のように感じられた。 自分の思い出が消えていた点が残念であった。

帰りは歩けない気がして 図書館近くのバス停からバスで家に帰ってきた。 夕方、家についてそれから何をしようかと思ったが、 休もうと思い横になった。 20時頃まで寝てしまった。

24時就寝

3月7日(東京と旭川の気圧・気温の違いによる影響)

9時半起床

寝過ぎてしまった。昨日、寝るのが遅かったからだろう。 午前中の時間の使い方を考えたい。11時ぐらいから体が動くようになって頭が回るようになる。

旭川から持ってきた荷物が多く、結局午後は荷物を整理していた。整理整頓というのは結構、脳を使うらしい。

疲れてしまって、また夕方寝てしまった。 東京の方が熟睡感がある。 しかし、環境負荷が大きい。 頭痛が減ったのは、もしかしたら旭川の気温や気圧と東京の気温や気圧というのが関係しているのかもしれない。

19時 夕食

20時 服薬

22時 入浴

24時 就寝

22時半ぐらいから頭が重くなってきて、頭を左右から押さえつけられるような感じがした。耳鳴りや目の重さの症状である。寝る前にまた症状が出てしまったのがつらいところであった。