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【適応障害回顧録】8冊目の日記⑦雪が溶けて、わずかに見え始めた回復への道。

~私はフラッシュバックに囚われながらも、主治医の支援により本当に少しづつだが、回復の道を歩み始めた。同じ日々の繰り返しのようであったが、パワハラ上司からの拷問に苦しみ続けた私からすれば、同じ日々を繰り返す(また同じような日々が明日、訪れる)ことがどんなに平穏なことか実感し始めていた。雪が溶けて、わずかだが見え始めた道。当時は毎日ががむしゃらだった。~

4月23日 安全なはずの実家で、フラッシュバック ~刻まれた記憶から逃げられない~

今日は明け方の4時にようやく眠りにつき8時に起床した。

体調が良くなったと誤認しているせいか、動いてしまう。動きすぎてしまうことで体調が悪くなる。今日は早く寝たいと思う。

昨晩は悪夢を見た。昨日の昼、薬を飲み忘れてしまったことでセパゾンの血中濃度が変動してしまったためか変な夢を見た。私は夢の中で旭川にいた。

何をしていたかはっきり覚えていない。

寒く、凍りそうになった夢だ。

8時に目が覚め、母に薬を持ってきてもらうように頼んだ。

薬を飲んで体温を測ったら35度7分だった。気温20度の東京で毛布にくるまって再び寝た。

足の裏を揉んで、血流改善を図り、深呼吸を口ではなく体全体で頭で行っているイメージをしながら寝た。

10時に目が覚める。割と行動できそうだ。

11時から12時、家の近くの喫茶店へ行く。

少しぼーっとするのでアイスコーヒーを飲み、目を覚ました。

今、足りないものはまだまだ多いが体力をつけないと・・・

1日を生活するだけの体力がない。でも、今は昔と違って、目の前の道が、可能性が無限大に見える。

旭川では、自分の存在を自分で消したくなる日も多かった。でも、そんなときは足が雪に引っかかり、自分の存在を教えてくれた。

夕方、図書館に行った帰り、見晴らしの良いベンチで一人座り、景色を見つめる。なんだか寂しい・・・

ふとパワハラにあった頃を回想し、本社時代の当時の上司の言葉が思い出された。

「政治的判断には従え」

組織人である以上、勤務先の決定に従う事は当然である。

しかし、私は人事部に従うことができなかった。

自分のこれまで生きてきた生き方、自分自身の考え方、信念だけは捨てられなかった。旭川の地域の方々に支えていただいて、私はより強くなった。

これからどうなるかわからないが、私は私を信じる。

図書館から帰宅した後、パワハラで経験した不条理な出来事、そして私を間接的に傷つけた人達が頭に浮かんできた。

父親が夕食の時、缶ビールのフタを開けたのだが、「パチン」という音がなんの前触れもなく、私にとってフラッシュバックの起爆スイッチになってしまった。

なにがフラッシュバックのきっかけになっているのかわからない。

安全なはずの実家で、私は勤務先での養育放棄の日々に囚われ、怒りが収まらない。防衛本能が解除されず、常に緊張状態、エネルギーゼロといった感じを繰り返している気がする。

4月24日(もうあなたは「うつ」ではない)

8時半起床、服薬

朝、起きてもまだ少し混乱していた。9時に主治医のクリニックに電話をして9時半に診察をしてもらうことになった。

主治医の診察結果は次の通り

何か原因があって不安、焦燥、錯乱、混乱、特に錯乱が目立つ。

パキシルが25mgから37.5mg台で安定しない。早くパキシルを切りたい。

鬱ではもうない。長期服用で疲れ果てているからしばらく休むことを意識するよう。本日から25mg+5mgでパキシルの服薬量を固定する。

パルブロ酸ナトリウムを追加されることになった(私の飲んでいた錠剤はデパケン)。臨床心理士にEMDRを行ってほしいので、紹介状は書いておく。

次回の診察は月曜日。入院するならストレス緩和病棟が良いけど、今は、まだ入院する必要はなさそうとのことであった。

主治医のクリニックから帰宅し、昼に家の近くのカフェに行く。

その後、服薬し、13時から16時まで寝て、ようやく落ち着いてくる。

16時から18時、部屋を片付け18時から19時は公文に行く。

20時から家の近くを散歩して、21時夕食、服薬。

22時入浴、23時就寝。バルプロ酸ナトリウムの副作用か23時過ぎから猛烈に眠い。精神症状は安定している。フラッシュバックに勝ったというより堪えたといえるかもしれない。

この1年、この時を回復する機会を待ち続けた。私は自分の生き方を変えてみせる。


4月25日(薬で行動量がセーブされはじめる)

24時就寝、8時起床、朝食、服薬。

目が覚めたがやたら眠い。バルプロ酸ナトリウムの副作用だろうか・・・

午前中、外出し帰宅して昼食をとり午後1時から3時まで寝てしまう。

夕方、家の近くの喫茶店で小説の執筆に入った。結構、文章を書のは疲れる。

20時 夕食、服薬

21時頃、だるくなって眠くなり、そのまま寝てしまった。

 4月26日(同じような日を繰り返す、その先に働ける状態がある)

この日の行動開始は10時頃。

バルプロ酸ナトリウムのせいか、眠い。行動が制限されている感じがする。それを目的とした処方であれば、あの医者(主治医)はすごいと思う。

11時 高校の同級生と久しぶりに再会した。久しぶりに友人と会うのは楽しかったが、いかんせん頭が回らない。おそらく、薬の関係だと思われる。

13時 帰宅、服薬。14時半から18時まで調子が悪くて横になる。

19時 夕食 

夕食後、家の近くの喫茶店へ行く。毎日、同じような時間を繰り返しているような気がする。1歩進んで2歩戻る。でも進み続けないと再び、働ける状態まで到達できない。私はあきらめない。がむしゃらに、時を待つ。

4月28日(パキシル断薬を目指し、気分安定薬の服薬へ)

前回の診察から四日間しか経っていない。本日が元々、予約した診察日だった。主治医には次のように話した。

・考えていたよりすぐに薬が効いた。服薬の初日から23時台に強烈な眠気が来て、眠くて寝ている。

・主治医は薬の効果が現れたことに満足していた。なぜ、パルブロ酸ナトリウムを処方されたかと考えていたが、2日目位に体で分かった。

・パキシルより、気分安定薬の方が良いかもね。パキシルはなるべく早く減らしたい(主治医)。

・葛藤に費やすエネルギーが減った気がする。かなりの眠気が来るから行動を自制する薬という感じがする。行動が制限されてる気がする。

・昼に薬を飲んだ後、寝てしまうといっても睡眠リズム自体は不規則になってないから、まぁ、いいんじゃないか(主治医)

・体力の衰えを感じた。基礎体力が整えられれば、こんなに眠気も来ないのだと思う。

・運動とかはまだ先で良い。

・臨床心理士へEMDR施術の紹介状は次回診察の際にもらうことになった。

4月29日(風は吹いているが、今は向かい風ではない)

気分安定薬であるバルプロ酸ナトリウムが効いているのか、やたら眠い。

次の診察で朝・夕の1日2回の服薬に変更して良いか聞いてみよう。

次の診察の時にむけて、午前中、ファイルの整理をした。

昼食後、13時から15時まで寝てしまい、夕方、家の近くの喫茶店へ。

20時 夕食。夕食前から不定愁訴が弱く出てきて、眼精疲労の感覚がある。

今日は両親の結婚記念日だった。両親は何もできず、私に気をつかっている様子である。申し訳ないと思った。

もう少し時間が欲しい。風は吹いているが、もう向かい風ではない。


4月30日(東京では目の前の雪が溶け、わずかだが道が見え始めている)

この日は明治神宮に行ってみた。原宿駅から明治神宮までの道は今日ほど神聖に感じられた事はなかった。

私は次のように祈った。

「病気になって1年、こんなに精神疾患が辛く、他社に理解されず、偏見を受けるものだとは自分がその立場になるまで知らなかった。私以外にこういった境遇に遭う人が少しでも少なくなる活動に力を注ぎたい。どうか私に追い風をお願いします」

その時、ものすごい風が吹いた。

その風は向かい風でも追い風でもなく、横殴りの風だった。

今は、自分の心身を自分で整える時期である。そう思うと、笑った。

久しぶりに自宅周辺やクリニックまでの往復以外の場所へ向かったことは私にとって楽しかった。途中で体調が悪化しないか、少し不安だったが自信になった。10時から16時半まで外にいた。

17時から19時まで寝た。疲れを自覚しているが早めに寝れば大丈夫そうだ。


東京へ戻り、主治医と出会った。旭川では自分の心身の調子に耳を済ました。出来る限り、自分の体を調べ、減薬に耐える日々・・・

病による不調(病気を原因とする不調)と薬理による不調(薬を服用することによる自分の体調の変化)の違いは自分にしかわからない。

最後は自己責任だから私は私の道を貫く。

試練を超えた今、雪が溶けて道が見えた。安らぎの場所のない東京にて。