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映画『バーナデット ママは行方不明』感想

予告編
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社会性


 日本では今年の公開となりましたが、本国では2019年、奇しくもコロナ禍直前に制作された本作。コロナ禍を経て、他者や周囲との付き合い方が大きく変化し、距離感や繋がりも曖昧になった今に、本作を鑑賞することの意味を考えさせられてしまいました。わざわざ「奇しくも」なんて気取った言葉を用いたのは、そんな理由から。



 「社会性とは何ぞや」と思わされたんです。言葉の意味なんて今時、調べればすぐにわかりますが、そんなのが知りたいわけじゃない。本作の主人公・バーナデット(ケイト・ブランシェット)は、自他共に認める“社会の厄介者”。本心なのか強がりなのかは判然としませんが、自嘲気味というよりは面白がりながら自称していたくらいなので、本人としては社会性なんて気にならない質(たち)なのでしょうか。人間はあくまでも社会性の動物。でもそんなものに縛られない彼女の姿が、本作の序盤では多く描かれます。それらは敵意や悪意と解されかねない所業の数々ですが、社会の厄介者を名乗るバーナデット自身が逆に社会を、或いは社会性とかいうものを厄介事のように鬱陶しがっていることが窺い知れます。


 そんな彼女が暮らす家は、大きな屋敷。家の壁一面に蔦が絡まっていて、庭には強靭な根を張るブラックベリーが生い茂る。自分を守る城、その周りには外界からの侵入を阻む塀のようなブラックベリー、そして長い間その状態が続いていることを暗示するかのような蔦……。どこか世間と隔絶されたような家の佇まいは、まるで彼女自身を象徴しているようにも思えます。彼女はずーっとそうやって生きてきたのだと。

 そんな中、庭のブラックベリーを伐採することになる中盤。ある種、周囲との壁を排除するかのような変化。周囲との繋がりが生まれるんじゃないか、コミュニティとの関わりを持つんじゃないか……。しかし起こった事と言えば、またしても厄介事。壁を排除してしまえば、言い換えれば、社会と関わってしまえば、結局はトラブルを誘発することになってしまう。彼女に改めてそう思わせ得るには十分な展開だったと思います。



 ある時、彼女は〈自分〉というものを見失ってしまう。これこそが本作の肝。邦題では「ママは行方不明」となっていましたが、原題『Where'd You Go, Bernadette』——直訳してしまえば「どこへ行く、バーナデット」——に照らし合わせれば、周囲だけではなく本人にとっても行方不明なことがよくわかります。今思えば、「彼女自身を象徴している」と思えた家の中で、愛犬のアイスクリーム(←犬の名前)がクローゼットの中に閉じ込められてしまったシーンは、「どうやって入ったの?」という彼女自身のセリフも相俟って、これこそバーナデットの暗喩のように思えてくる。



 本作の後半以降に描かれる、バーナデットの南極への大冒険は、予告編を観る限りはいわゆる「自分探し」みたいな印象の方が強めでしたが、作中で目にするそれは、現実逃避の側面の方が色濃く映ります。社会性は無かったかもしれなくても、〈家族〉というコミュニティのために自分の好きな仕事を手放したバーナデットが、現状から逸脱し、“どこかへ行ってしまったバーナデット” を探そうという物語。

 どんな展開になっていくかが気になる方は、是非とも実際にご覧になって頂くのが最良だと思います。めちゃくちゃ素敵な作品でしたが……いやぁ長いこと映画の感想文を書き続けていますが、未だに上手く言葉を紡げないことが多々あって困ってしまいます笑。



 そんな素敵な本作は、着地の仕方も素晴らしかったです。ラストに流れるのは、バーナデットの娘・ビー(エマ・ネルソン)のモノローグ。そこで語られるのはジェンツーペンギンの生体についてのこと。ジェンツーペンギンの夫婦は一生添い遂げるらしくてですね。でも最近の研究で、実はそのうちの20%は違うと判明したんだとか。そう、あくまでも一生添い遂げるのは、一生添い遂げることを選択しただけってこと。主人公家族の在り様も含め、家族の在り方を一つに決め付けない、素敵な締め括りです。


 たしかに足並みを揃えるというか、社会性ってのは大切なこと。でもそんな社会性の有無は義務感ではなく、あくまでも選択の一つ。決して同調圧力になってはならない。社会に溶け込もうとした結果〈自分〉を見失ってしまったバーナデットでしたけど、自分を無にして社会性を保つのはまた違うはず。アイデンティティや生きる理由・活力などなどの〈自分〉があった上での社会、その上での選択。

 たとえば家族や親友という近いものから、学校や職場など、はたまたご近所さんや地域など、そしてどんどん広がっていく。世の中は、そんなコミュニティの連なり。まずは〈自分〉が無きゃ!と思わされます。それはつまり、自分という〈個〉の受容、延いては周囲・他者の〈個〉の受容でもあると言える気がします。


 改めて、(本項冒頭の言葉の繰り返しになりますが)コロナ禍を経て、他者や周囲との付き合い方が大きく変化し、距離感や繋がりも曖昧になった今に、本作を鑑賞できて、とても良かったです。劇中でも彼女が歌っているなどして何度も流れていたシンディ・ローパーの『Time After Time』の歌詞も、物語内とリンクする部分があって面白い要素でした。


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