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映画『フリーガイ』感想

予告編
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 以前に、映画『マトリックス レザレクションズ』の感想文を投稿しましたが、その中で本作について少しだけ触れていたので、本日は映画『フリーガイ』の感想文を投稿しますー。


……なんか本文のド頭からいきなり「今年の6月に~」とか書いてありますけど、あくまで書いた当時の文章をそのまま貼っ付けているだけなので、そこはご愛敬。


我思う、故に我あり


 今年の6月に公開された『映画大好きポンポさん』(感想文リンク)には、いくつもの素敵な言葉があり、その中の一つに「”泣かせ映画” で感動させるより、おバカ映画で感動させる方がかっこいい でしょ?」というものがある。その理論で言えば、本作は近年でも指折りにかっこいい映画だったと思います。完全に侮っていた笑。



 本作の主人公・ガイ(ライアン・レイノルズ)は、自身がゲーム内のモブキャラであることを知ってしまう。まぁちょっと変わったストーリーだよね。背景のような存在である彼らには実は意思のようなものがあり、皆それぞれの役割を全うしようという意思のもとに行動しているに過ぎないという、ある種『トイ・ストーリー』なんかにも似た世界観で、まずそれ自体が面白い。

けれど『トイ・ ストーリー』と少し異なるのは、ファンタジー一辺倒の世界観ではなく、ちゃんと理由があるという点(まぁ人工知能がどーのこーの言われても、無知な自分は「へぇ、なるほど」と納得するしかなく、科学考証的な考察は土台無理なので期待しないで下さい)。しかもその理由付けが説明的過ぎないというか、ちょっとロマンが垣間見えるSF感なのも素敵よね。


 仮想空間を舞台にしつつ、それを現実世界から俯瞰して観察したり、手を加えるなど介入したりする構図は、その仮想空間の中で起きている事象を現実社会のメタファーのように捉えることができる余地を与えてくれます。物語の導入部分のポップさ以上に、とても深く楽しめる作品。

なにより、「ここは仮想の世界だから」という大義名分が、無節操なパロディへの違和感を排除している気がします。要するに、”何でもアリ” 感、何をやっても許される感ww。そのパロディ一つ一つが面白くて笑えるんだけど、あまりにも数が多いので本項では割愛。あちこちに散りばめられたパロディやカメオ出演、サプライズ演出は、是非実際に観て楽しむことをお勧めします。



 しかしながら、どうしても語らずにはいられないものが一つ。様々なパロディの中に隠された、『紙ひこうき』を用いたオマージュが素晴らしいんです。
 『紙ひこうき』(原題:『Paperman』)とは、ディズニー映画『シュガー・ラッシュ』公開時に同時上映されていた短編アニメ。(多分DVD・Blu-rayにも特典映像で入っているんじゃないかな?)僕は個人的にこの映画が大好きなのですが、そんな『紙ひこうき』の音楽が本作で用いられているんです。それも、めちゃくちゃアガる場面で。
(公式のものなのかよくわからなかったのでリンクは載せておりませんが、YouTUBEで「Paperman Soundtrack」と検索すれば視聴可能です。っていうか本編も検索すれば多分見つけられると思います……。)

 勿論これだけでは上質なオマージュとは呼べないだろうし、引用という言葉で片付けられる程度のもの。しかし、敢えて印象的な瞬間にその音楽を用いることは、観ている者に『紙ひこうき』を思い起こさせ、最期の最後に再び同じ音楽が流れ出した際には、「うわっ、今度はこれ、『紙ひこうき』と同じ感じになってんじゃん!」と思えるような瞬間さえ訪れる。それは、ブラックアウトのタイミング、そして直前の構図、登場人物の関係……etc.  『紙ひこうき』のラストシーンと重なる部分がいくつもある。明確な根拠を示すのは正直難しいんだけど、『紙ひこうき』を知っている人ならそう思わずにはいられない。

 延いては、〈ゲーム内のキャラクターたちの自我〉〈決められた役割や運命に抗う〉という、物語の設定や内容とのリンクも相俟って、『紙ひこうき』自体ではなく同時上映の本編『シュガー・ラッシュ』をも連想させる。

先ほど、
「『紙ひこうき』のオマージュ」ではなく、
「『紙ひこうき』を用いたオマージュ」
だなんて回りくどい形容をしてしまったのは以上の理由から。こんな手法のオマージュ表現があるのかと度肝を抜かれました。


さらに言えば『紙ひこうき』は、本編である『シュガー・ラッシュ』が始まる前に上映される短編作品。「登場人物たちの物語はこれから紡がれていくのだ」と言わんばかりのその終幕は、本編が始まる直前に描かれる物語としては非常に素晴らしい着地。
ともすれば本作『フリーガイ』の着地を、「ガイたちが自由を手に入れたので物語は終わり」ではなく、「ガイたちの物語は ”これから始まる” のだ」とすら、認識を変えることができる。

一つにBGMによって思い起こされた『紙ひこうき』。その作品の設定や事情の諸々が多方面に呼応していく面白さを感じました。



 パロディやらオマージュやら、本編ではない部分ばかり書いてしまったので、そろそろ本題もね笑。

 自身がモブキャラであると気付いてしまったガイを中心に、「モブはこういうものだ」という考えがたくさん付きまとってくる。それを覆す姿がとてもかっこいいんです。「モブはこういうものだ」と、状況に甘んじてしまったり、役割をそのままに受け入れてしまい、変化を拒み、可能性を否定することが果たして是なのか。
逆に、「モブはこういうものだ」と決めつけ、役割を押し付ける現実社会の人間=プレイヤーたちのその考えは、何者かを「ああでもないこうでもない」という偏見の箱に押し込もうとする行為ではないのか。

そんな中で、ある時ガイは、「自分はモブだ」という現実を突き付けられ、それでも自身の気持ちに納得できずにいたのだが、同じモブキャラのバディ(リル・レル・ハウリー)の言葉に諭されて、自身の運命を変えるために行動を起こす……。この時のバディの台詞に、実は真実が隠されている気がします。その言葉は本項の見出しにも書いてある、かの有名なデカルトの哲学にも通ずる命題のような言葉。これが本作の全てを物語っているといっても過言ではない。



 テンプレ、ステレオタイプという不明瞭な枠組みに囚われることなく、プレイヤーが思い思いの楽しみ方ができる —— それが仮想空間というゲームの性質のはず。先述した通り、もしもこの物語の中のゲーム世界での事象を現実社会のメタファーと捉えることができるならば、決められた箱に縛られず、人々が自由を謳歌できる人生こそ、本作のテーマの一つなんじゃないかな。もしかすると、そんな仮想空間の壁をブチ抜いて外側の世界を目指すという終盤の展開も相俟って、こんなクサイ考えに至ったのかもしれません。


 ゲーム実況やオンラインゲームなど、現代のカルチャーだからこその物語ではあるけど、この普遍的ではない土壌で、普遍的なテーマを描くという本作を、改めてかっこいいと思います。


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