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映画『首』感想

予告編
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R-15+指定


人はいつまで経っても同じ


 念のために、一応「ネタバレあり」ってことで感想を述べていくのですが、かの有名な「本能寺の変」を描いた作品ですから、大まかなストーリーラインでいえば、ネタバレも何もあったもんじゃないのかもしれません。気になるようでしたらご注意ください。


 しかし、誰もがあらすじというか事の顛末を知り得る物語だからこそ、「どう描かれていくのか」を注視して鑑賞することができます。いや、「できます」というより最早「したくなる」。あの信長を、あの秀吉を、或いはあの戦いを、あの件の経緯を……etc. きっと観客夫々がスクリーンにかじり付かんばかりに、前のめりで鑑賞することを誘発されてしまうはず。

 本来であれば「今までに観たことがない時代劇」と形容するのが適当だと思うのですが、あくまで鑑賞直後の今だけは、「今まで観てきた時代劇の中で一番面白かった」と述べておこうかなと。過激な描写や刺激的なジョーク等々、演出・表現という点では創作や誇張も混ざっているかもしれませんが、根っこの部分にはとてもリアルなものも含まれているように思えてなりません。


 タイトルが『首』なのもまた良い。このシンプルさ故、物語や事象、テーマを言い切っていないし、その余白を探すように鑑賞してしまいます。この〈首〉というたった一つだけでも、何者の〈首〉なのかによって価値は大きく異なる。冒頭、真っ白いだけの映像が流れる中、突如として「首」の文字が映し出され、まさしく首を斬り落とすかのようにそのタイトルバックが真っ二つにされる。『首』という題名、そして大見得を切るかのようなド頭のタイトルバックは、「この〈首〉が、本作において如何に重要なものなのかと知らしめるようだ!」なんて思わせる……。なのに、そんな本作のラストのセリフが、もぉ最高です。物語の中でも様々な形で意識させられた〈首〉を「どうでも良い」って笑!!

 「何者の〈首〉なのかによって価値は大きく異なる」と先述した通り、雑兵のそれと大将のそれとでは大きな違いがある。一方で、そもそも、それ自体に価値など見出さない、感じ得ない者が居るのもまた事実。誰かにとっては大切だけど、別の誰かにとってはどうでも良い。振り返ってみれば、本作の中で描かれてきたことは全て、そういうものでした。そんな圧巻の着地を監督本人が決めて終幕することは、本作においての〈首〉を象徴する瞬間とも言えるよう。

(過激な描写なども相俟って人によって好き嫌いが分かれてしまいかねない本作ですが、もし仮に巷で賛否両論が渦巻くのであれば、「人によって感じ方や考え方が異なる」という、ここまでに述べてきた内容とも合致するものなので、もはや喜ばしい事態とすら呼べるかもしれません笑)

 しかしそれと同時に、監督としての「北野武」名義ではなく、あくまでも役に扮する演じ手としては「ビートたけし」でクレジットされていることで、その象徴が本作にもたらすものの中に「コメディ」というエッセンスが混ぜ合わされていることもより強く印象付けてくれるんじゃないかな。

 また、今思えば、冒頭でタイトルの文字が真っ二つにされていたことも、「首を斬り落とすこと」を表現しているだけではなく、同時に〈首〉という観念、概念、認識といったものを全否定していたようにすら感じられます。



 もちろん、ラストシーンを目にする前から、本作で散見される過激なシーンの数々は、ブラックジョークとして楽しむことが可能です。〈首〉の件と同様、あらゆる物事における価値観の相違が、本作ではユーモアへと変貌していた印象です。誰かにとっての大切なものを平然と無碍にするし、シリアスな場面や緊張の走る瞬間も、あくまで緩急を生み出すためのきっかけになっているだけのように思えることもしばしば。

 個人的に特に好きなのが、清水宗治(荒川良々)の切腹シーン。当の本人と外野の温度差が乖離し過ぎていて、可笑しくて仕方がない。なかなか始まらない切腹への「さっさと〇ねよ!」という秀吉のセリフも最高です笑。家臣が「武士の最後というのは……」と諫めようとして「俺は(元々)百姓だ」と言い返すのも非常に印象的。立場や境遇などが違えば他人の気持ちなど慮れないし、むしろ「その必要すらない」とさえ言い張っているかのよう。

 秀吉にせよ信長にせよ、他人の生死に関わるような笑えない冗談を平然と繰り返す。そのギャップを楽しむのも良いですし、その倫理観ぶっ壊れのパワハラ行為にドン引きしている周囲(或いは同じくドン引きしている観客)たちの様子を傍目から眺めるようにほくそ笑むも良し。人命ですら虚仮にする時代を、綺麗事無し、予定調和も無しに鑑賞できたような気がします。



 考えてみれば “価値観や認識の相違” というものは、現代社会でも様々な場面で見聞きし得るもの。それも、往々にして良くない形で。本作はあくまで映画という作り物なので、「コメディ」、或いは「大昔の出来事」として眺められることですが、先述したように「笑えない冗談」や「倫理観ぶっ壊れのパワハラ行為」は、本来は人を傷つけるだけのもの。

 同じく、「誰かにとっての大切なものを平然と無碍にする」ということも、今の世にも溢れている光景かと思います。SNS上など、目に見えない形でも蔓延るもの。「立場や境遇などが違う」という思考停止した言い訳だけでもって、「慮ろうとすること」を素知らぬ顔で放棄してしまう……。

 本項の冒頭で「根っこの部分にはとてもリアルなものも含まれているよう」などと述べたのは、そんな理由から。これだけ時代が変わっても尚、人は愚かしいことを繰り返してしまう。そんな滑稽な様を映し出しているという意味でも、本作のジョークがより一層トガって感じられて面白い。


 近頃の僕は、まるでバカの一つ覚えのように「エンパシーって大切だよね」みたいなことを述べている気がしますが、以上で述べたことの多くはまさしく、エンパシーが一切足りていないとも見て取れるもの。何かにつけて英雄視され、各所で偉人扱いされてきた傑物たちを、真っ向からクソ野郎かのように描くというのもまた、個人的には笑えてしまう要素の一つです。



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