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私の心のシャッターはどうやら小5から装備されたようだと、実家に帰って気付く

↑↑上記記事のやや続き。(本記事は投げ銭制です。無料で最後まで読めます)


なんかお母さんのことが気になる。

お母さんのことを思い出しては、寂しい気持ちになる。

十分甘やかして育ててもらったはずなのに、「もっと甘えたかった」とか「今からでもべたべたしたい」という思いがずんずん育ち、なんと「お母さんのことを考えると泣きそうになる」という事態に発展した。

3/12に、物書き仲間のにぼしさんに、創作と家族関係についてインタビューをしてもらったり、3/21にカウンセラー?の方にボディワーク的なものをやってもらったりしたため、何かが掘り起こされているのかもしれない。

カウンセリングの翌日の22日は、カウンセラーさんの「慣れないことをしたから疲れが出るかもしれませんよ」という言葉で暗示にかかったようにこんこんと9時間眠り、更に起きても泣けて泣けて仕方なかったのでやけくそでベッドに仰向けに転がったら、自分がベッドに仰向けに転がって何もできない赤ちゃんに戻った気がした。

「ああ、こうやって転がってるだけで何もできない無力な時から、ずーっと今まで、お母さんに私は愛されてたのになあ。愛されてるのになあ」
と悲しくなって、わんわん泣いたらそのまま昼寝してた。

昼に見た浅い夢は、小学生の時に住んでた家が舞台で、私が母に存分に甘えているが、ふとしたタイミングでつれなくされ、階段下収納に逃げ込んで泣く、というもので、目覚めてから「ああ、でもあの階段下収納のある家はもう無いんだ……!」と悲しくなりまた泣いたりした。

あまりに泣いてばかりで使い物にならないので、翌日23日は母に連絡して実家に帰ることにした。実家は横浜。私の家から一時間半で行ける。

泊るつもりも無かったのに、ノリでなんと金土日で2連泊もしてしまった。

何をしたかと言うと何もせずずっと母と思う存分うだうだしていた。

この時ばかりは母が趣味充タイプじゃなくて良かったと思った。突発的に帰ったのに十分にもてなしてもらえた。(私が母だったら、「今日はライヴ」とか「読みたい本がある」とか言いそうなものだ)いつもそうだけど母は私が帰ると張り切る、というか、嬉しそうであるし、だいたい「泊れば?」と言ってくる。

まるで正月休みのようにちょっとだけ豪華めの食事を家族四人(父母私弟)で囲み、家族でだらだらした。(私が帰るとメシが豪華になる。)家族のアルバムを紐解いたりした。なんか20冊くらいあった。見ても見ても全然うちらがおっきくなんねーの。「えー! まだ小学校入らないの!? この一冊で何か月かしか進んでなくない?!」っていう。

カウンセリングでは、
「『どーせ分かってもらない』と思って対人関係で捨て鉢になりがち」
「心のシャッターが瞬速で閉まってしまう」
という私の悩みを相談した。

「相手にどう言ってもらえたら打ち解けて話せると思う?」
と聞かれ、
「もし相手に『子供の時みたいに自由に喋っていいよ』って言ってもらえたら、気楽に喋れると思う」
と答えた。

逆に言うと、普段の私は「大人だからちゃんとしなきゃ」「相手をもてなさなきゃ」「つまんないこと言わないようにしなきゃ」という気持ちが強すぎたのかもしれない。

逆に私が相手に対して「子供の時みたいに自由に喋っていいよ」というオーラを出せたら、打ち解けてもらえるのかもしれない。

……カウンセリングのことをあまり文字にすると体感が損なわれそうなのでやめとくけど、とにかくキーワードは「子供」だ。

アルバムを見ながら思い出した。

子供の頃の私は、おそらく小4くらいまでは、お喋りだった。
それは多分、自分が書いたものを母親に無邪気に見せていた年齢と呼応するし、アルバムで無邪気に笑っていた時期とも呼応する。(アルバムではどの写真でもまんべんなくニコニコデレデレしてた)
小5からは、小説を書いても母に隠すようになったし、写真が嫌いになったし、「ウザい」とか「マジ死んでる」みたいな言葉を、悪友と連発し始めた。(それは家庭で言ってたわけではなく、主にくだらないルールにあふれた小学校でだ)

何より、私は小5から自我が芽生えたという自覚があった。
小5の時、「ああ、私は今自我が芽生えたから、自分が大人になったら、すくなくとも小5以上は子ども扱いしないようにしよう」とハッキリ心に決めた記憶があるのだ。

小5から、私はきっと、
「つまらない話をしちゃいけない」「分からない人に分からない話をしてはいけない」「そして、大半の人は、私の話が分からない」と思い、心のシャッターを装備し始めたんじゃないかな。
それは多分、母親に対しても。

2連泊した間、母に、超どうでもいい話をしまくった。今ハマってる調味料とか近所のスーパーが潰れて遠いスーパーしかないとか。

母親に対してすら、超どうでもいい話をするモードになるのに時間がかかった。普段から相当ロックがかかってるんだと思う。てか、突如帰って来たくせに帰ってきた理由を話すことすら難しく、「甘えに来ましたー!」とも言えず、3時間経ってから「なんか最近元気無くてさー……」とおおいに迂回しながら話し出す始末だった。

母はそれまで、「どうして帰って来たの?」と聞かずにおいてくれた。それは、思春期のある時に、母が何かと質問するたび(断じて過干渉ではない、普通の範疇)、私と弟が「根掘り葉掘りババア」と渾名して茶化したからなんだけど。それ以来、母はもう最低限のことしか聞かなくなってしまったのだ。


本当に身勝手だけど、自分で遠ざけておきながら「もっと近寄れ」と思ってた。思ってる。

あー、マジ子育てってむくわれないなーーーーと思う。子供って超身勝手だ。

31歳になっても全然親孝行してくれないどころか「小5からの甘えの負債がある、甘えさせろ」と詰め寄ってくる。

当時は自分から「こっち来んな」オーラを出してたくせに。



今まで絶対しなかった、「私の小説に母殺しのモチーフがたびたび出てくる」話とか、彼氏の話とかもした。母の元彼の話とか、母の母の話も聞いた。

翌日の土曜昼は東京でライヴをしてきて、そのまま自宅に帰ればいいものをなぜかまた横浜の実家に戻り(ちなみにライヴ演目には「僕のお母さんは本当のお母さんじゃないんだ」というセリフがありキツかった)、実家のプリンタにつなぎ少々の仕事を片付ける。

日曜は二人とも用事が無かったので、初台~笹塚あたりをぶらぶらしつつ谷川俊太郎展の最終日に滑り込むことに。

父母は、私の貯金がなくなることを見越してなぜか40万ぶっこんでくれており、私はちょうどまさに今自分の貯金が尽きてその40万に手をつけるかのスレスレという状況なのだが、そんなこともあり母は色々買ってくれた。靴下とか……。私は、おごられるのも物を買ってもらうのも苦手なのだが(でもケチなので苦手といいつつちゃっかり買ってもらう)、今回ばかりは素直に買ってもらうことにした。わーーーーーい!!
展示会のチケットも昼食代も出してくれた。多分わたし一回も財布ださなかった。コンビニ行ってガム買う時も母に買わせてた。母がなぜか電車に乗る際私のパスモに1万円ぶっこんでくれたのには驚いた。ありがたくぶっこまれといた。



不思議なのは、私が超どうでもいい話をするのと同じくらい、母もどうでもいい話をしてたんだけど、私はそれをすごく穏やかな気持ちで聞けたことだ。
母はまあ3、4人の近所の友達の近況とか、スーパーでこれ安かったから買ったとか、祖母の具合とか、ユニクロの新製品が良いとか、なんだか本当に身の周りの話しかしない。今までならそれを「つまらん」と思ってたんだけど、のほほんと聞いてられた。

母が入りたがった、私が嫌いな類の店——笹塚の駅ビルに入ってる小鳥のキャラグッズばっかり売ってるファンシーショップ——でも、驚くことに退屈しなかった。というか、むしろ一緒に楽しめた。

こうやって、母の他愛ない話を聞けるようになったら、他の人の他愛なさも愛せるようになるのかな。そして私も他愛なくなれるんだろうか。

谷川俊太郎はとてつもなく他愛なかった。


母と別れた後は、ちゃんとさみしかった。あーさみしいと思えた。でも、ちゃんと思うと意外と大丈夫だった。

胸の真ん中あたりがへこんだ感じがしたけど、へこんだところが温かく、やわらかいスプーンでていねいにすくった摩擦熱のようだった。ちゃんとさみしさを感じると、その熱も感じることができる。


渋澤怜(@Rayshibusawa)

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★「ツイハイ」本文中の約3分の2がツイートという前衛短編小説https://note.mu/rayshibusawa/n/n02e6932e0b8a

★おすすめエッセイ https://note.mu/rayshibusawa/m/mb0d4bde3bf84
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