現状を受け入れているつもりが老化しているだけかもしれない話
人は歳をとる毎に
丸くなると言われたり
優しくなると言われたり
しますよね。
若い頃は性格的に尖っていて
納得がいかないことは
解決するまで
自分にも他人にも厳しく
最後まで諦めない!
的な人だったのに
歳をとる毎に
「まぁ…いいんじゃない?」
「明日修正すれば良いよ」
などと
寛容的に対応するように
なっていたりして
それを
大人の余裕
と言ったりしますよね。
それを人間の
成長の仕方のように
捉えられることもありますが
見方を変えると
争ったり
とことん突き詰められる
体力がないだけの
老化じゃないの?
という話をします。
◯考える体力も落ちていく
歳をとると
そりゃ体力も落ちるだろうなと
みんながわかっていると思うんですけど
体力というのは何も
走ったり
遊んだり
夜更かししたり
お酒に強かったり
そういう体力だけじゃないんですね。
知らない人と関わることや
新しいことに挑戦することや
考える力なども
体力が必要なんですね。
何かにハマったり熱中したり
人や物を追いかけたりする人って
若い人が多くないですか。
ちょっとしたことに
一喜一憂できるのは
体力があるからできることで
体力が落ちていくと
あらゆることに
執着しなくなり
「まぁそういうこともあるわな」
「なんとかなるよきっと」
と思えるようになる。
それを人は
達観している
とか
悟っている
などと
表現するんですけど
単純に感情を
動かす体力が無くなってきている
とも言えると思うんです。
◯体力が落ちると生きる活力がなくなる
ネガティブなことに対して
寛容的になることは
メリットではあると思うんのですが
今まで熱中できていたことに
冷めてしまったり
エキサイトする瞬間が
無くなってしまうと
感動するハードルが上がり
行動力も伴って落ちていき
生きる活力が
落ちてしまう。
世の中のことや
自分自身のことなど
現実を見えすぎてしまうのも
実はあまり良いことではなさそうだと
最近は思います。
意味は無さそうで
ましてや
今やるべきことではなさそうだけど
でも
なんだか面白そうだから
やってみよ!
という人の方が
若々しく生きていられるんですよね。
色んなことが
大体わかってしまうと
人というのは
飽きを感じたり
新鮮さを感じられなくなって
「どうせこんな感じだろ」
「何となくやらなくても良い気がする」
などと大体わかったつもりになって
手をつけなくなりがち。
そんな
自分や世の中に
期待ができなくなった状態が
果たして幸せなんでしょうか?
◯「まぁいいか」を無くしていく
争うべきか
受け入れる方が良いのか
これは結局バランスなんだと思います。
ただ
老いていくほどに
争ったり
好奇心を持つ体力は
落ちていくもので
生きる活力も無くなってしまう。
大きな夢や
野望を抱け
とまでは言いませんが
ある程度自分でも
「まぁいいか」
を潰して生きていく意識は
必要かなと思います。
先日のnote記事にも書きましたが
いい加減さや
ガサツさをコントロールしないと
優しさや
気配りなども
疎かになってしまいます。
何よりどれだけ
体力が落ちていく速度を
遅らせられるか?
は大事なテーマなんだ思います。
私もPCで色んなソフトを
インストールしたりしてますが
英語のサイトとかだと
適当に理解して
結果うまくいかないことがあるんですけど
その都度飽きずに
Google翻訳カメラを使って
英語のサイトを翻訳しながら
理解して先に進むように
しています。
こうやって細かいことでも
理解することをしていないと
考える体力は
どんどん落ちていくような
気がするんですよね。
身だしなみにも
なるべく気を使って
髭も整えて
家の掃除や片付けなども
キッチリして
丁寧に生きていくことが
繊細さや
考える力を
失わない生き方につながると思います。
たぶん特効薬はなくて
どれだけ遅らせられるか?
が老化との向き合い方の基本ルールで
それが精神的な体力を維持して
メンタルヘルスにもつながるよね
というお話でした😌
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