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じぶんで考えたり決めたりできる人には絶対にわからないことがあるんだ。


ぜんぜん感情を書けない……っていう人にたまに会う。
クリエイティヴ・ライティングの講座を始めて、いろんな文章に出会うんだけど、感情混じり気ゼロ的な文章を読んだ時は「おお〜っ」って思った。

「不思議だ。この文章、書いている人の顔がぜんぜん見えない!」
本人も困ってる様子。
「えっと、何か感じたことがあるでしょ、もやっとするとか、ドキっとするとか?」
「あー、ありますけど、そういうこと書いたほうがいいんですか?」
「書いたほうがいいってわけじゃないんだけど……」

もしかしたら、自分っていうものがとっても淡ーい人たちがいるのかな?と思った。自分がどうだとかこうだとか、そこの部分はどうでもよくて「書いたほうがいいものを書きますよ」みたいな感じ。

「自分の文章だから、自分の好きなように書いていいんだけどね」
「好きなように書くのがいいんですね?」
「えっと、そうではなくて、感じたことを自由に書いてもらったらいいんだけどね」
「感じたことを自由に書くのがいいんですね」

どう説明したらいいのかな、もしかしたら「自由にする」とか「好きなように」っていうことが、どういうことなのかわかっていないのかな?
自覚はないかもしれないけれど、誰かの何かしらの意見や好みに従うことしかできない感じなのかな?

でも……、だとしたらかなり淋しいだろうし、生き辛いんじゃないかなあ。だって「こうしたほうがいい」ことしかできないわけだから。「こうしたい」とかいうのが出てこないとしたら、それはとても苦しいよな。

人間って、悲しいかな自分の心の世界しか見れない。だから、私は「こうしたほうがいいならそうします」という人の心の世界の景色がよくわからない。それはどんな世界なんだろうって、想像してみる。

「あのね、この時はどう思ったの? たとえばさようならする時にすごく悲しいとか、辛いとか、そういうことはあった?」
「そうですね、やっぱり悲しいですよねふつーに」
「ふつーに?」
「はい、ふつーに悲しいと思う」
「ものすごく悲しいってことはないの?」
「ありますけどー」
「そういう時のことを書いてみたらどうかな?」
「ものすごく悲しいことですか?」
「うん」
「そうですねえ、飼っていた犬が死んじゃった時かな。車にひかれちゃったんですけど」
「それは、辛かったね。その時のことを思い出せる? 無理しなくてもいいけど、感情が動いた時のことを書いてみるのはいいかもしれない」
「思い出せますけど、でも、うーん。子どもの頃だからなあ、それに姉貴になついてた犬だったんで、僕の犬じゃなかったし」
「一緒に世話をしたりした?」
「どうだったかなあ、でも犬のことを書いたほうがいいんなら思い出してみます」
「えっと……じゃあ、その犬が亡くなった時、お姉さんは悲しがっていたかな?」
「ずっと泣いてました」
「だったら、お姉さんのことを書いてみたらどうかな?」
「姉貴のことをですか?」
「うん、お姉さの犬が車にひかれた時のこと。ちょっと辛い出来事かもしれないけれど、お姉さんとどういう会話をしたとか、些細なエピソードでもいいの。そういうことが小説の種になったりするからね」
「どうだったかな……。あんまり覚えていないんですが……。その日は姉は塾は休んでいましたね。僕は行きましたけど」

ひっかかりがなくて、話しているととりとめない気持ちになる。なんか変だなあって思うんだけど、なにが変なのかよくわからない。とっても軽い。軽いけど固いような……。

「たとえば、やりたいこととか、あると思うんだけど、これからどんなことをやってみたいか、そういうテーマでも面白いかも?」
「やりたいことは、いっぱいあります」
「それはステキだ!たとえば?」
「まず、この社会をもっと良い社会にしたいと思う」
「デカイね!」
「社会のしくみを変えたいですね」
「社会変革か、それはスケールがデカイね。どうしてそう思うの?」
「貧しい人が報われない社会はダメでしょう」
「君んちは貧しかったの?」
「うちは、そんなに貧しくはないですけど。親は銀行に勤めてますし。でも自分がいいからこれでいいとは思えないです」

ふーん。何か説得力ないんだけど。でも若い時って自分もこんなだった気がするし、もしかしてこういうものなのか? こんな感じだったような気もする……、考えが浅くて大人にバカにされた。そういう時はすんごく悲しくて悔しくて、自分の無力が苦しくて、そう、心はもっとゴーゴー嵐が吹き荒れていた。

吹き荒れている感じはない。むしろ平穏そうにすら見える。実際はどうかわからないけれど、まるで心配事なんかないみたいな……。

ときどき現れる「風のような人たち」は、雰囲気、軽やかで、一見とても自由そうにも見える。頭もいいし、文章もそこそこ書けるのだが……、自分に見えている風景しか書かない。内的な出来事に入って行かない。他愛ないけれど自分にとって印象的なエピソード、そういうものを拾い上げるのが苦手で、そこに興味がないようにすら見える。

最初は不思議だった。写実的というわけでもない。こんなに何も起きないし、何も始まらないのは、むしろ才能なのか?

「あのさ、変なことを聞くけどいい?」
「はい」
「自分のこと、好き?」
「ん〜。まあ、ふつーに好きですよ」
「そうか……」

そして思った。この「ふつー」ということばは、つまり「世間一般的な見方をすればたぶんそうなんじゃないかな」ってことなのだと。
自分なりの基準がないのかもしれない……と。
なにかしら自分以外の外側の尺度でもって自分を計っているようだ、と。そして、そのことにたぶん無自覚なんじゃないか、と。

「クリエイティヴ・ライティングはね、ちょっと変わった文章講座なんだ」
「そうなんですね」
「書くテーマは、だいたい自分にとって都合が悪いことなの」
「へー。どうしてですか?」
「都合の悪いことのなかに自分を知るヒントがあるから。それをね……、時間をかけて見つけるの。そうするとね、自分のことがだんだんわかってくるの」
「忘れていたことを思い出すとか?」
「……それもあるけれど、もっといろいろ。本当はこんなこと感じていたんだとか、すごく淋しかったとか、辛かったとか……そういうこと。そういうことって、そっとしておいたほうがいいっていう意見もあるんだけど……、でも書いてみると意外な発見もあったりしてね」
「難しいなあ」
「とっかかりはね、むかっ、ぐさっ、ちくっ。これです。これを感じた時にすかさず、来た!って思ってつかまえるの」
「むかっ、ぐさっ、ちくっ」
「そう、この感覚が起きた時にすぐ、おー書くネタが来たって思えばいいの。そして、なぜこの感覚が起きたのかを探ってみるの」
「そういうこと、考えたこともなかったですけど」
「自分の感覚をつかまえていくと、少しずつ、同じ感覚を他人が感じているのもわかるようになる。感覚の共感っていうのかな……」
「それって、小説を書くこととどんな関係があるんですか?」
「うーん。つまり、小説って葛藤なのね。主人公の葛藤が小説のテーマなの。葛藤するためには他者が必要なの。他者に共感しちゃうことで葛藤が生まれるわけ。共感がなければ、自分だけの世界で完結できるから、すごく楽なんだよね。でも、そういう世界は淋しいんじゃないかなって思う。自己完結しちゃったら、小説にはならないのよ」

「実は、あんまり小説を読まないんですよね」
「そうか……」
「でも、今度、読んでみます。なにかおすすめの小説はありますか?」
「本屋に行って、文庫本の棚の前でタイトルが気に入った小説をまず読んでみたら?」

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勢いとリズムで書いています。文章のプロなので読みやすいはずです。不定期ですが、最低、月2回は更新します。

「ムカっ」「グサっ」「モヤっ」ときたことを書いています。たまに「ドキっ」「イタっ」「ホロっ」ときたことも書いています。読んでハッピーになる…

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