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【連載】Vol.18 ラーメン業界のステージを上げた佐野実氏のお店 「支那そばや」

「支那そばや」の思い出と言うよりは佐野実さん(「支那そばや」創業者)との想い出が多いかもしれない。

支那そばや創業者 佐野実氏(2001年撮影)

まだ鵠沼海岸にあった頃から噂を聞いて何度も通った。私が「臨時休業」を喰らった初めてのお店かもしれない。当時はSNSはもちろん、インターネットも無かったので行ってみて初めて「やってない」ことがわかるので、都内から1時間半くらいかけて行って貼り紙を見て膝が崩れ落ちるほど、愕然としたものだ。今でこそ、「臨時休業」で休みを取るラーメン店が増えたがその先駆けとも言えよう。とは言っても理由は「食材探しの旅に出ます」だった。愕然とはしながらもそんな理由を聞いて(見て)しまうとさらにおいしくなるのかと思い、また来たくなってしまうものだった。

支那そばや 創業の地 鵠沼時代の本店外観(1999年撮影) 

テレビで有名になる前から店内は緊張感に溢れ、私語厳禁だった。うるさいお客さんを追い出したりしたという伝説もある。それを知っていても私は「おいしかったです。ごちそうさまでした!」と大きな声で言って帰った。いつ出入り禁止になるかドキドキして帰ったものだ。でも、本当においしかったので私なりにちゃんと気持ちを伝えたかったのだ。もちろん他の店でもそうしている。

鵠沼時代の佐野さん(1999年撮影)

ちゃんと挨拶ができるようになったのは、「支那そばや」が新横浜ラーメン博物館に出店(2000年3月)してから。それからは話をする機会も増えた。
1993年に発行された「全国ラーメン食歩記」の情報提供をしていたことを知ったのもその頃。

全国ラーメン食歩記(メディア出版/1993年)

インターネット普及後、私はラーメン評論家としてラーメン本の監修などもやらせてもらったりしているが、情報を見つけにくい時代に佐野さんは全国のラーメン情報を知っていたのだ。ラーメン職人でありながら、ラーメン食べ歩きの方でも先駆者だったのだ。

全国ラーメン食歩記の巻末に SPECIAL THANKS MINORU SANOの文字が

佐野さんの家には全国のラーメン本がたくさんあることも聞き、私が地方に行って見つけてきたラーメン本は2冊購入して、1冊は佐野さんに送っていた。今はネットで簡単に全国の本の購入ができるようになったがそれはまだ最近の話である。

佐野さん監修のカップ麵は何種類も出ているが、こだわりの店主である佐野さんがカップ麵を監修するはずがない、と思われていたのか、あるいは断り続けていたのか、カップ麵は出ていなかった。私が佐野さんをカップ麺メーカーに繋いだのもその頃だ。「実は嫌いじゃないんだよ」と笑った顔が忘れられない。その打ち合わせなどの後に、食事や飲みに誘われたこともあったが、いつも「身体、大丈夫か?大崎君が身体を壊したら絶対ラーメンのせいにされるから身体を壊しちゃダメだぞ。健康には気をつけろよ!」と言われたものだ。私を気遣ってなのか、ラーメンを悪者にしたくなかったのか、今となってはわからないが優しい一面も多かった。

マスコミの人によく聞かれる質問に「いままで食べた中で一番おいしかったラーメンはなんですか?」というのがある。その際にはいつも「佐野さんが作った『禁断のラーメン』です。」と答えている。これはラーメン評論家の元祖・武内伸さん(故人)の5000杯実食記念として佐野さんが作ったラーメンをラー博のイベントとして提供したのであった。

禁断のラーメン(2002年撮影)

ラー博に来た時はいつも2杯か3杯を食べて帰っていたが、その時だけはその一杯で帰った。そのラーメンの満足感や“口福”がスゴすぎて、その後に、何も口にしたくなかったのだ。まさに『禁断のラーメン』だった。それを超えるラーメンはもう出てこないと思う。

第4回 禁断のラーメン晩餐会の厳選素材(2002年12月)

佐野さんの功績はラーメン業界のステージを上げたことだ。ラーメンは庶民の食べ物だったが食材にこだわるとおいしいラーメンができることを後のラーメン店主に教えていったのも佐野さん。「食材の鬼」と呼ばれたりもした。麺は製麺屋さんが作るもの、というのが常識だったが「麺へのこだわり」も大きかった。今でこそ当たり前に使われている「内モンゴルかん水」を日本に輸入できるようにしたのも佐野さんの力が大きい。

内モンゴル自治区のかん水採掘場

テレビでの鬼講師の立場で憎まれ役として出演していたが、そのことでラーメン業界は大きく進化することができたと思っている。今、全国のラーメン店でメニュー名に「らぁ麺」と使っているお店は佐野さんの影響を受けていると思って間違いない。口にはしていなくても、佐野さんの影響を受けたラーメン店主の数はものすごく多い。おいしいラーメン屋さんが増えた一翼を担っていたのは佐野さんだと言っても過言ではない。

「支那そばや」のラーメンは常に進化し続けてきた。「あの銘店をもう一度」第15弾として、2023年4月25日(火)~5月15日(月)まで、「支那そばや」が出店。鵠沼海岸時代の味で提供されるということなので、これはこれは楽しみである。

鵠沼時代の醤油らぁ麺(2023年撮影)

文/大崎裕史

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あの銘店をもう一度 第15弾 「支那そばや」
※支那そばやの詳細はコチラ
出店期間:2023年4月25日(火)~5月15日(月)
出店場所:横浜市港北区新横浜2-14-21 
     新横浜ラーメン博物館地下1階
     ※第13弾「元祖名島亭」の場所
営業時間:新横浜ラーメン博物館の営業に準じる。
     詳細はコチラ


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