【連載】Vol.5 敦賀ラーメンの老舗「中華そば一力」
私は福島県会津の生まれで小中高まで会津で育った。ラーメン好きの父に連れられ、会津のいろんなラーメン店に連れて行ってもらった。並行して、小学生低学年の頃から一人でラーメンの食べ歩きを始めた。といっても小学生なので自転車で行ける範囲だ。会津にはご当地ラーメンとして有名な「喜多方ラーメン」がある。喜多方市以外にももちろんたくさんのラーメンはあるのだが、面白いことに喜多方ラーメンのようなラーメンが多い。つまり、麺は多加水の平打ちでスープは醤油の清湯。私にとってラーメンとは“そういうもの”だったのである。
大学進学にあたって上京。残念ながら一浪してしまったので姉の近くの昭島市にアパートを借りた。高田馬場の予備校に通ったので昭島から高田馬場までの定期を持っていた。根っからのラーメン好きなので定期で降りられる駅周辺のラーメンはことごとく食べた。当時から高田馬場はラーメン激選区と言われていたし、荻窪でもしょっちゅう途中下車して食べた。
「喜多方ラーメン」のようなものこそが“ラーメン”だと思っていた私には東京のラーメンは何もかもが新鮮だった。大学に行き、就職して営業職に就くとその好奇心はさらに加速した。いろんなラーメンに衝撃を受けたがその一つが下北沢の「一龍」(1984年創業)である。
初めて食べたのは30数年前。豚骨のようだが九州豚骨とは違う。しかし紅生姜がのっかっているのは、博多ラーメンにも似ている。ラーメン本やラーメン特集にはよく出ていたが詳細はわからなかった。しかし、インターネットが普及し、2000年も過ぎた頃にこの店は福井市にある「一龍」の姉妹店であることを知る。さらに調べるとそこは敦賀市にある「一力」で修業してから独立しており、「一力」を始めとする『敦賀ラーメン』と呼ばれていることもわかった。
いつか食べに行きたい!そう思っていたら、ラーメン仲間と一緒に行く機会に恵まれた。福井ラーメンツアーと称して福井県のラーメンを何軒も食べ回った。もちろん敦賀市の「一力」と福井市の「一龍」も食べた。『敦賀ラーメン』という文化に触れることができて、大変楽しかった。『敦賀ラーメン』の歴史は昭和28年、一台の屋台が登場し、それから屋台が増えていき、駅前の屋台は活性化していった。昭和40年頃から中華料理店もでき始め、多くの人がラーメンを楽しむようになった。屋台は国道沿いに移り、多いときには15台のラーメン屋台が立ち並び、ラーメン街道と呼ばれたりした。
いつしか敦賀は『ラーメンの街』になっていった。そんな中でも昭和33年、屋台で創業し、昭和52年に店舗を構え、長い間、敦賀のラーメン文化を引っ張ってきたのが「一力」。
この『敦賀ラーメン』の代表的なお店「一力」が「あの銘店をもう一度」 の第四弾である。簡単に特徴を言えば、豚骨や鶏ガラを使った醤油ラーメンで濁りがある。麺は多加水中太縮れの熟成麺。具はモモ肉チャーシュー、メンマ、ネギ。黒胡椒が一振り、かけられている。そして色彩鮮やかな紅生姜がのっている、ちょっと個性的な醤油味の中華そば。この機会に食べておきたい逸品である。
※福井市の「一龍」は2015年に閉店し、同じ場所に「一龍」で働いていた人が「天龍」として2016年に店を出している。
文/大崎裕史
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