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#32 どうか期待しないでください

期待とは、

あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

僕はこの言葉があまり好きではない。
理由は二つある。
一つは、「期待」が僕の脳を媒介すると、それが「重圧」になるから。
もう一つは、「実現するだろう」ことが実現しなかったときに想像以上に落ち込んでしまうからである。

他人から自分への期待=重圧

職場や学校で、上司や先輩からこう言われることが多い。

「期待しているよ」

本人は何の気なしに使っている言葉なのだと思う。
本当に期待しているのかもしれないし、仲良くなるために伝えているのかもしれない。
しかし、僕はどうしてもそれを——

「き、期待されてる……! 頑張らなきゃ!」

という具合に、「重圧」に変換してしまうのである。
僕が適応障害になったときも、上司からそう言われたことが重圧となって、自分の精神を追い込んでいた。
そうなると普段のパフォーマンスが発揮されず、ミスも増える。
すると、頭の中にいる上司がこう囁いてくるのである。

「お前には期待していたのに、とんだ期待外れだ」

そうして上司の目が怖くなり、さらにパフォーマンスが落ちてしまう。
他人の言葉を真面目に捉えすぎだよ、と人はきっと思うだろう。
自分でも思う。
我ながら、変に真面目な性格をもって生まれてきたんだなと思っている。

自分から他人への期待=落胆の種

例えば、明日友達と遊ぶ約束があったとする。
あれもしたいし、これもしたい。

ああ、楽しみだなぁ!

と、思っていた矢先、友達がドタキャンをしてきたら、どう思うか。
過去の僕は、裏切られた気分になり、友達に対し落胆を覚えた。

これは友達への、そして友達と遊ぶことへの期待があったからだと今では分析している。
辞書の言葉で言い換えると、
あれもしたい、これもしたいという実現するだろう望みが絶たれたから

先に挙げた上司の言葉も、決して言われたことではないけれど、
もし本当に上司がそう思っていたとしたら、
「こいつはいい仕事をするだろう」という望みを絶たれたから、自分に対して落胆したことになる。

なので、他人への期待というのは、見方によっては落胆の種になりかねないのである。

自分から自分への期待=呪縛

上記の記事で、「鼓舞はいつしか否定に変わる」という項を書いた。
ここでいう鼓舞というのを言い換えると、
「自分から自分への期待」なのだと思う。
noteでの執筆で例えるとこうなる。

「自分ならもっといい文章が書ける!」
「まだまだいい記事が自分には書けるはずだ!」

それがいつしか否定になるというのを上記の記事には書いたけれど、
もう一つ言えるのが、それは「呪縛」になるということ。

もちろんnoteに上げるからには、良質な記事を書くことを目指したい。
けれど、絶対に良質な記事を上げなければいけないわけではない。
そんなルールは、noteのどこにも書いていないはずだ。

過度に自分へ期待してしまうと、
「絶対に良質な記事を書かなければいけない」という呪いに縛られ、書いては消し、書いては消しを繰り返し、終いには自己否定になってしまう。

自分を肯定することはとても大切だ。
けれど、「自分ならできる」が呪縛となりそうになったとき、ふと我に返ることが大切なのかもしれない。

僕がしている期待への対策

他人から自分への期待対策:期待を受け取らない

僕は今年の4月から、図書館の責任者になった。
例のごとく、僕は館長から「期待しているよ」と言われた。
けれど、それが重圧になることがわかりきっていたから、僕はこう言った。

「いやいやいや、ごめんなさい、どうか期待しないでください。
 その代わり、無理せず全力で仕事に取り組みますね」

館長や周りからの「期待」が、僕の中で「重圧」に変わるのを防ぐ対策としてそう伝えたのである。
他人からの期待を受け取らなかった、とも言えるかもしれない。

自分から他人への期待対策:ダメになったときを考える

ほどよく期待はするものの、
ダメになったら何をするか」と頭の片隅で考えるようにしている。
これは寂しいと思われるだろうし、信用されていないと思われるかもしれないけれど、メンタルが落ちないための方策である。

その代わり、上記の例で言えば、約束通り会ってもらえたときは、
「今日は時間を作ってくれてありがとう」
と、感謝をするようにしている(口にするかどうかは別にして)。
いつ何時、何が起こるかわからない。
誰かと会うことだって、有難いことなのだから。

自分から自分への期待対策:全力を出すだけ

身も蓋もないが、自分から自分への期待対策は期待しないの一言に尽きる。
ただ、期待とは少し違うのだが、過度な目標を設定しないようにもしている。

「1記事500スキを目指す!」
「一か月で何百人フォロワーを集める!」

という現状の自分に合わない目標を掲げると、重圧や呪縛となるからだ。
そして、できなかったときに自己分析すればいいものを、自己否定してしまうのである。

なので、自分に課す目標は一つだけ。

全力を出す、ということのみ。

全力を出しても、いい記事を書けるとは限らない。
実際、今までも自分の思ったように書けなかった記事がほとんどだ。
だけど、全力を出したのであれば悔いは残らない。
よりよい記事を書けるように日々研究するだけである。

目の前のことに全力を出すだけ

いかなる期待も、僕は矢印があると思っている。
他人→自分
自分→他人
自分→自分
という具合に。

これらの矢印を取っ払って、目の前のやるべきことに全力を出す。
仕事であれ勉強であれ何であれ、それだけやることができれば満点なのではないかと最近思うのである。


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