ゆっくり急げ。
Festina lente。ゆっくり急げ。
中学時代の担任の口癖だった。
Festina lenteはラテン語の格言。ローマ皇帝アウグストゥスの座右の銘。
ゆっくりと人生を歩んで、やるべきことをやりなさい、
急ぐ時ほど慌てずに、
という意味だと言っていた。
「日本語の急がば回れ、とも違うんだよ」とも言っていたけれど、どう違うんですか?という生徒の何気ない問いに、ニヤッとだけした表情のが印象的だった。
そして、「ゆっくり」「急ぐ」のだから、結局は急ぐんだな、急がないといけないんだなと、先生が言うたびに落ち着かない気分になっていた。
***
けれど、改めて考えると、
急いでいる時、すなわち何かを早く遂げたい時でも、誰かが「待って」くれるような気がする。
もっと言えば、誰かが自分を優しく見守っていてくれている気がする。
ここまで考えて、ふと、旧約聖書の「信ずる者は慌てることはない。」(イザヤ書28:16)という言葉を思い出した。
わたしはクリスチャンではなく、中高6年間毎日礼拝に出席し、毎週最初の授業を受けていた程度の知識しかない。
(しかも、礼拝中寝てしまうこともあった)
けれど、イエスキリストがいつもそばにいてくださる、苦しい時には一緒に苦しんでくださるという話は覚えている。
(その時、牧師先生は、「私達が海に溺れた時に、浮き輪を投げるだけでなく、神自身も飛び込んで一緒に苦しみを味わう」という例えをしていたと思う)
その時は実感があまり湧かなかったけれど、それでも心強いかも?とは思った。
***
今、別にキリスト教の話がしたいわけではない。
ただ、誰かが「待って」くれる・見守ってくれているという感覚、安心感は似ているなと思ったのだ。
(先生もクリスチャンだったので、もしかしたら、もしかしたらだけれど、同じ感覚があったのかもしれない)
キリスト教のイエスキリストに限らず、それぞれに心の拠り所はきっとある。
けれど、焦っていると忘れてしまう。
自分一人でどうにかしないと、と思ってしまう。
Festina lente。ゆっくり急げ。
先生は急かすつもりだったわけではなく、何かに焦っているわたし達を落ち着かせたかったのかもな、と約10年越しに思った。
実際のところは、わからないけどね。
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