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【童話訳】 絵のない絵本・第19夜 (1837)
巨匠アンデルセンが月に託して語る
「芸術は長く人生は短し」の寓話
第十九夜
今宵も月が語ります。
「ある夜、ぼくの下には劇場があった。大きな立派なところさ。新人俳優の初舞台だからって溢れんばかりの入りだった。
楽屋の窓に、その俳優がいた。ふさふさのヒゲを生やした騎士の恰好で、ガラスに張り付くようにぼくを見上げて、涙を流している。
第一幕で、観客たちにさんざ笑われ冷やかされ扱き下ろされたんだ。
かわいそうなやつ! 彼の方は心から芸術を愛しているのに、芸術の方は見向きもしてくれないんだね。
第二幕のベルが鳴った。ト書きに「騎士、意気揚々と登場」とある通り、彼は奮い立って、再び舞台へ上がった────
幕が下りるやいなや、影がひとつ楽屋口から出てきた。外套をすっぽり着込んで、裏方たちの耳打ち流し目を足早にすり抜ける、あわれな元騎士だ。
「首を縊るのは見苦しい。でも毒なんて持っていやしない」
その二つばかり思い詰めて、みすぼらしい部屋へと駆け込んでいった。
彼は、鏡に映る青白い顔を見ていた。ときどき目を閉じぎみに、死んだとき美しく見えるかどうか試してさ。人間って、いざという時でも見栄を張りたがるものだね。
そうして夜じゅう泣いていた。悔しくて、悲しくて、苦しくて、情けなくて、自死の意思さえ流れてしまうほど────
🌕
それから一年が経った夜、ちっぽけな劇場で、ちっぽけなドサ回りの劇団が、喜劇を上演した。
その団員の中に、ぼくは見知った顔を見つけた。彼だ。くるんと巻きヒゲをつけて、頬にはチークを塗りたくっている。
彼はぼくを見つけて、にっこり微笑んだ。ほんの一分前、粗末な舞台の上でみじめな客たちに散々バカにされ虚仮にされてきたところだった。
夜が更けたころ、一台の葬儀馬車が町から出てきた。付き添いは誰もいない。自殺者だ。
彼だよ。元騎士の、元ピエロの、誰にも認められず誰からも嘲笑われた、あの彼だ。
自殺者の行先は墓地の隅っこ、墓守が雑草を捨てるところだ。彼の墓はすぐ刺草に埋もれてしまうだろう、お手入れなんてされないから。
誰も、彼を見送りはしなかった。ぼくを除いて、誰もね」
おしまい
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ジャン・デルヴィル (1887-90)
○『絵のない絵本』は、貧乏孤独の画学生にスケッチの足しとなるよう月が窓辺で語った物語、という体裁で、第33夜まである(初版では第20夜)。
○西洋では古来「月=女性」と擬人化されがちで、英訳版序文でも"the moon"の代名詞には"she"が使われている。
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