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ねがわくば


 三一書房版の『夢野久作全集』を読み進めていたら、四巻『ドグラ・マグラ』に至ってある画が思い浮かんだ。春めく淡色の構図で万朶の桃色をまとった木がぽつり、風景画である。

 おどろおどろしい文脈にそぐわなくてハテと目を窓に遊ばせたら、街路のイチョウがふさふさ黄葉をそよめかせている。まさか、と見直すや寒々しい枝と枝ばかり、三月下旬のうららかな午後だ。

 白昼幻覚なんていよいよ名高い奇書の呪いかと心躍らせるも束の間、風景画が気になる。「だれ」の「なに」なのかてんで思い出せないのだ。最近こんなことばかりだ、色や字句や音階をよそに作家作品名が出てこない。

 気になって仕方なく、本棚をひっくり返して画集をあさってみる。印象派らしい感触だがスーラまではいかない。シスレーに近いようで、手持ちのものには見当たらない。

「いいかい、脳っていうのは元来からっぽの屋根裏部屋みたいなものなんだ。[…]際限なく広がりを持てる場所だなんて思うのはまちがいで、いずれ何かを記憶するたび何かを忘れてしまう時がくることは覚えていたまえ」

アーサー・コナン・ドイル

 しかと思い出せるのは耳の痛い至言ばかり、せっつかれるように陋屋を出た。もう冬のそれじゃないのどかな色した午後の日差しの中、かぐわしい風にやわらかく背を押されながら徒歩数分の公共図書館へ向かう。

 めあては『世界美術大全集 西洋編』全28巻、学部生のころ毎日のように通いつめては開いていたものだ。館内の隅、一般図書の奥、職員しか入れない地下書庫への階段口そば背の低い棚に、相変わらず追いやられたように勢揃いしている。

 手際よく「印象派時代」の巻を抜き出し棚の天板でめくっていると、ほどなく一幅が油膜のようにこびりついている偶像とぴったり重なった。

『薄紫の思い出』 フィンセント・ファン・ゴッホ (1888)

 これが猟奇と狂気の行間に誘い出されたわけは不明、だが閲覧席でうたた寝している翁の奥の窓に覗いている寒梅が血ほどの朱の幾片をつけていて、ひとまずスッキリして閉じる。

「フン、フン、フン、フフフン、フフフン、フン、フン、フン、フン」

 しぜんこぼれくる陽気なメロディア、「これはムソルグスキーの『展覧会の絵』である」と念じながら図書館を出た。

 ふところに手巻き煙草を一本のんでいたので、そのままぶらぶら散歩する。あてどなく行って、ささやかな水路にかかる昔ながらの石橋にさしかかった。ほとりに一本の老桜が立ち、古ぼけた切り株がそばにひとつある。

 もともとつがい﹅﹅﹅だったのが一方は電線に引っかかって切られたのだろうとは、15年前の初見から感づけるものがあった。しなだれかかる宛なく所在なさげに立つ他方は、傾く日を背に幹を陰翳ごわごわしく、縦横くねる枝あちこちに薄紅をつぼませている。

「そん時分じゅぶんにぁケンも咲いとうよ」

 こないだ例年どおり帰省できそうと母に電話したら言っていた。上京してからは年度末をまたいで一週間ほど実家へ帰ることにしている。ケンは庭に植えてある桜の名前で、かつて飼っていた柴犬から取っている。

 ケンは冬生まれなのに冬ぎらいだった。夕方から灯油ストーヴの前に陣取っては点火を急かすように動かぬこと山のごとし、

そげんそんなに近えと燃えようよ」

 母の忠言にも片耳ぴくりとさせるだけで、仕事帰りの父を「グゥゥゥ」と威嚇し追い払ってはぬくぬく独占べったり横ざま倒れ込み、

「ズゴゴゴゴ」

 そうとしか書けない大イビキを立て始め、静まったと思えば「ハォン」と語尾上げの寝言を発し、転がったまま空を駆けて、挙句ぷすうと放屁して自ら驚きね起きていた。19の年まで生きた。

 春、霞がかった白内障の両目で、もう見えないのに久しぶりの顔をまじまじ見上げてきた。乾いた鼻に鼻を寄せたらペロンと舐めてきて、その翌朝死んだ。柴犬にしては珍しい長寿だと獣医を感心させたほどの大往生で、老衰による多臓器不全だった。

 荼毘だびに付して庭の一角へ、憔悴しきる母を休ませて、父と黙々と埋めた。その翌年に帰省したとき、墓がこんもり盛土されてソメイヨシノの苗木が植えてあった。父が手ずからやりながら、

「あっぱれじゃなあ」

 ぶつぶつ唱えていたと母から聞いた。これまで一度も堅い枝につぼむものはなかったのに、いま初めて小さなとき色が点々あるという。

「今年ぁ咲くど、今年ぁ──!」

 母の後ろで父がわんわん息巻いていた。

 一服を終えたら、風が出てきた。水路ばたの枯れ尾花がカサカサひそめいている。老桜の細長いひと枝が目と鼻の先で手招きのように揺れている。

 やんわり押しやると、湿ったように冷たい内を貫く頑固な芯が、軋まず折れず、しなやかにがってゆく。

「ぶしっ」

 ふいに響いた犬くさめ、とっさに腕を引きこめた。あたりにはだれもいない。

「……」

 離した枝が揺れている。右へ、左へ、また右へ、大きくかぶりを振っているみたいだ。その反復に、なぜか、ストーヴ前を占拠するふてぶてしい横顔が見えた。

「今年もケンは咲かないな」

 そんな直感があった。帰路を踏みだして少し行ってから振り返った。まだ揺れていた。遠ざかってみたら、しっぽを揺らしているようだった。



ねがわくは花の下にて春死なむ
そのきさらぎの望月のころ

西行






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