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「つらい」は誰にも否定できないもの 【“深く考える人”が幸せになれる 仕事の辞め方ガイド 1-1】


「退社した瞬間涙が出る」
「休み明けの出勤日はひどい精神状態だ」
「それでも仕事をするとそのことを忘れられて、皮肉にも精神が安定する。」
「死なないために生きてるのに、生きながら死んでいく。」

私が1社目を辞める前に書いていた日記の抜粋です。


なんだか共感する…という方がいたら、この先の文章もきっと共感いただけると思います。

上の文章は、複雑な表現をしていますが今思うと全て
「つらい」というサインだったなと思います。

なのにそのまま頑張り続けるということは、
自分の感じていることに「そう感じてはいけない」と、
追い討ちをかけていることと、同じだったんです。

この記事では、なぜそんな風に自分の感覚を抑圧してしまうのかや、
そうやって自分の首を絞める必要はないということ、
さらには具体的にどう対処したらいいか
ということを、話していきます。


この記事はこちらのマガジンの一部ですが、単体でもお読みいただける内容となっています。



「笑顔で働けちゃう」に騙されないで


心の底に何かしらの闇や違和感を抱えているのに、
毎日毎日、笑顔の仮面をつけて頑張っていたりしませんか?

私も、そうでした。

普段笑顔で仕事をこなしていた私が、
一人の時には冒頭のような暗い日記を書いているなんて、
職場の誰が想像できたでしょう。

「社会」の空気に触れた途端、
心が「健康的な社会人」を自動的に演じてしまい、
それを元に自分の表情や言動を構成することしか、
身体が選択してくれませんでした。

だから、仕事が終わって「自分」に戻った瞬間、涙がボロボロ出て
「自分はおかしいんだな」と思っていました。


でも、おかしいのは自分ではなかったんです。


本当につらい状態の自分って、人に見せられなかったりしませんか。

つらさの限界で人に見せてしまう、という場合もありますが、
たとえ限界だとしても他の押さえつける力が強いと、
無意識に「見せない」ことを選択するのではないでしょうか。

なんでそんなことができてしまうんでしょう?

「社会人は強くあるべきだから」
「みんな我慢してるから」「自分がおかしいから」
「だから頑張り続けるべき」

…そう言って自分に鞭を打ち続けてきたからではないでしょうか。
そうやって鞭を打つようになった原因が、
自分の外にあったのではないでしょうか。

でも、決してそんなことをし続けなくていいです。
そのままじゃ、いつか壊れちゃいます。

いくら自分の外側の環境に問題がないように見えても、
それを自分の内側で感じていることの否定の材料にしなくて良い
んです。

たとえ人間関係や業務量などが、一般的に見てほとんど問題なかったとしても、
そこで仕事をしていて「つらい」と感じる人もいる、というのは結構普通にあることなんです。
(もちろん、ブラック企業であればすぐに離れましょう。)

まずは自分が「つらい」と感じることを、
自分に許可しましょう

「つらい」と声に出して言ってもいいです。
独り言でも良いので、泣き言でもなんでも、言いまくりましょう。

まずは「自分は悪くなく、むしろ救われるべき存在である」ということを、
客観的に認識してください。

全てはそこからです。


自分を守れるのは自分だけ


なぜ私がこんなにも「自分がつらいということをまず認識して」と言うかというと、

最終的に自分を守れるのは自分だけだと思うからです。

これは厳しい現実を突きつけたくて言っているのではありません。

例え誰かが寄り添ってくれたとしても、
自分が「いや、私はつらくない。」「つらいと言ってはいけない」
と壁を作っていては、自分を助けることはできないんです。

逆に誰も助けてくれなかったとしても、
自分が自分を守れれば、十分な時だってあります。
そしてそれは、本来人間が当たり前にできることでもあります。

自分が、最後の砦なのです。

だから、自分で自分を虐めるようなことは、決してしないでください


「つらい」は誰にも否定できない


事実として、自分が感じることは全て本物であり、
それは誰にも否定できるものではありません。

なぜかというと、テレパシーでもない限り、
実質的な共有は不可能だからです。

どいうことかというと、
人の「つらい」に対して
他人が「いや、お前はつらくないだろ」と
判定を下すことは絶対にできないということです。

人間は、仮に相手の心の内を想定できたとしても、
それは単なる想定であって、事実ではありません。

あなたが「つらい」と感じるのなら、もうそれは確定なんです。

だから、自分がつらいという証明を、
なにも自分にかかっている負担を一つ一つ確かめて、
他人が納得するまでできるようになる必要なんか、全くありません。
(辛すぎると思うので、そんなことはやめてください)

そもそも、「つらい」は比較で生まれるものではないですよね。

自分のつらさは、自分しか感じられません。
他人は共感することはできても、本人のつらさそのものを味わうことはできません。

なので、周りの人が
「私も同じくらいつらいんだよ」
「俺の方がつらいんだ」
「そんなのは、甘えだ」
などと言い返してきたところで、こちらの「つらさ」の証明を奪われる筋合いは、全くありません。
というか、不可能です。

自分に一旦湧いてしまった感情や感覚に、他人が何と言うかはもう関係ないんです。

今、仕事をする生活に自分がつらさを感じるならば、
もうそれは自分のキャパシティを超えていて、限界ということなんです。

他の人は限界じゃなくても、自分は限界なんです。

つまり、そこから逃げていいんです。

「逃げ」は悪いことではありません。
ただ自分の自然に、帰ることです。

まずは、ここまでやってきた自分を褒めてあげてください。


自分を守る魔法の言葉


そうは言われても、
「自分は本当に『つらい』なんて言っちゃっていいの?」
「自分が『逃げる』なんてことがあってもいいの?」
と思ってしまう人もいると思います。

ここまでお伝えしたことが、まだ腹落ちはしていない状態だと思います。

そこで、ここからは
「『つらい』は誰にも否定できないもの」
をよりしっかりと自分のものにしてもらうために、
大事な考え方をお伝えします。


それは
正しく現実を見よう」ということです。

なんだか、厳しそうな言葉ですよね。
でもここで言いたいのは全く逆で、
自分にとても優しい考え方になります。


自分の気持ちや考えを吐き出しても、
頭の中で「現実」的な反論ばかり聞こえてきたりしませんか?

たぶん、今までそういう教えを受けてきて、
自分を鼓舞して、ここまで頑張ってきたんだと思います。

大人たちはよく「現実を見ろ」って言いますよね。

でも、本当に彼らが言うその「現実」だけが、現実なのでしょうか


私は退職してから、自分を観察していて
初めて気が付いたことがありました。

例えば、
嫌なニュースを見るとき、呼吸が止まっていたり。
デスクワークの後、肩こりが酷かったり。
否定の言葉を受けたとき、本当に胸に痛みを感じていたり。

普段気にも留めず、「当たり前のこと、我慢すべきこと」くらいに軽く流していたのですが、
よくよく考えると、これは私に起こっていた、現実でした。

無視し続ければ、健康被害に及んでいたかもしれません。


身体に起こっていることを「現実」として良いならば、
心で起こっていることも、「現実」として良いはずです。

現実とは、「実際こうであるという事実」のことを指すので、
心の中で思っていることはどうなんだろう
と思われてしまうと思いますが、

実際に気持ちが「有る」ということは、
本人が認識している時点で事実
です。

恋心に例えるとわかりやすいかもしれません。
好きなのに「あなたが思っているだけなのでそこに恋は存在しません」
なんて言われたら、意味わからなくないですか…?

そもそもつらいという気持ちが、
実際に涙や蕁麻疹となって出たりなど、
目に見えるものとして現れている場合もあると思います。

私たちは、私たちの外側で起こっていることと同じくらい、
もしかしたらそれ以上に、
自分の内側で起こっていることにも目を向けた方が良いと思うのです。

「現実を見ろ」って、本質的にはそういうことじゃないでしょうか?

そしてそれが現実である以上、
今まで「現実を見て」仕事や就活などに一生懸命対処してきたように、
今起こっている「つらい」という現実にも同じように
対処することにエネルギーを割いていい
ということになります。

今仕事がつらいということであれば、
つらくない仕事の仕方を探したり、
仕事から心理的距離を取る工夫をしたり、
仕事を辞めることを検討したり。

「つらい」から離れるために行動していいんです。

もちろん、誰かに頼るというのも立派な行動の一つです。

そういう自分の中にある現実に対処する隙がなく、
無視して自分を引っ張り回さなくてはならない「現実」があるのだとしたら、
それはあまりまともなものではないような気がします。

世の中の仕事って、
当たり前に起こりうるヒューマンエラーや自然災害なんかが全く起こらず、
かつ人間が心身ともに完璧な状態で働ける状態を想定して組まれることも多いですよね。
そもそもが、結構無茶だったりします。

で、結局できなくて謝ったり、
責められて、嫌な思いをしたり…。
それって非効率的で、むしろ非現実的ではないでしょうか。

仕事を辞めて自由に生きようとしている人たちを見ていると、
皆さんとても冷静で、自分のことをよく知り、
自分にとって心地の良いペースで行動しています。

そういう人たちを見ていると、
ああ、この人たちの方がずっと現実的じゃないか…
と思います。

自分の気持ちとしっかり繋がると、
本当の意味で地に足のついた人間になれる
んだなと思います。


とはいえ、今まで自己犠牲が当たり前だった方が、
今すぐにそうなれるわけではないと思います。

まずは、落ち着ける時間と空間を確保して、
自分の声をよく聞くタイム」をとってみるのはいかがでしょうか。

そして自分の声がある程度聞こえてきたら、
その現実に、何かしらアクションを起こしてみる
(ピンとこなければ、まずは自分に「行動を起こす許可」を下す)
といいんじゃないかと思います。


ここまでが、「つらい」が誰にも否定できないものであるという話と、
それに対処するための具体的な方法の話でした。

お読みいただき、ありがとうございました。


次回は、その「自分の声を聞く」ための、
さらに具体的な方法についてお伝えします。


マガジンの目次、全体像はこちらです。


↓こちらのマガジンを書くにあたっての思いを書いた記事です。


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