私を支える「誰か」
皆さん、こんにちは。綺羅です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
昨日から「STAY HOME」が合い言葉のように、飛び交っていますね。
今年のゴールデンウィークも、電車や飛行機で帰省する人に向けて「オンライン帰省」を勧められています。
今の時期ほど、人恋しいと思ったことはない人も、いらっしゃるのではないでしょうか?
緊急事態宣言が宣言されて、正確には、まだ1ヶ月も経っていません。
それでも、ここまでオンラインによる交流会や飲み会が、日々どこかで開催されていることを考えると、人間は「誰か」が必要な生き物なんだな、と思います。
その「誰か」がいることは、当たり前のようにいると思っているけれど、ある日突然、消えることもあります。
「誰か」の存在に支えられて、私は今、ここを、生きていられるのだと感じます。
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私自身、どちらかというと、人と何かを共有したり、一緒に過ごすことは、あまり得意ではありません。
ですが、人と居るのが得意ではないからと言って、独りで生きてこられたわけではありません。
どこかで「誰か」に迷惑をかけ、「誰か」に助けられ、「誰か」の存在に支えられています。
今こうして、noteに気持ちを綴り発信できることも、noteというツールを作ってくれた「誰か」のおかげであり、私のnoteを読んでくださる「誰か」のおかげです。
私の場合、自分一人だけの表現であれば、文章の脈絡や、漢字の誤字・脱字、段落の開け方など、気にすることはありません。
自分一人が分かっていればいいだけです。
ところが「誰か」に読んで貰える環境になると、少しでも読んで貰えるように、文章の書き方を学びますし、漢字も、異口同音の間違いがないか注意しますし、レイアウトも気にして作るようになります。
そうして、いろいろなことを学んでいくと、また1つ、新しい世界が見え、新しい視点が開け、周りのものすべてが大きく見えてきます。
自分が既に知っていた世界は、また知らない世界になるのです。
「自分は知っている、だからもう学ぶ必要はない」という、自分の高慢さに気が付くことができるからです。
私の中での「人恋しい」と思う心は、自分の知っていることを刷新して、新しい視点を授けて欲しい、自分の高慢さと向き合いたい、という気持ちがあるからです。
ずっと「誰か」と一緒にいれば、その「誰か」に染まった判断基準を持つことになるし、だからといって、一人で居続けることも、嗜好に凝り固まった判断基準を持ち続けることになります。
そうなることに、とてつもなく嫌悪を感じるのです。
周りの人は「ゆっくりやっていけばいいよ。」と、私を気遣い、励ましてくれます。
とても、暖かい言葉です。
その暖かい言葉の中で、自分が気が付いたのは、私は自分をもっと高めていきたい、同じ所で立ち止まったままでいたくない、ひいては、暖かい言葉を貰ったまま終わりたくない、ということでした。
きっと「そのままでもいいよ。」「立ち止まってもいいんだよ。」という、優しく暖かい言葉をかけてくれる「誰か」は、見返りなど気にも留めないで、励ましてくれていると思います。
ですが、私は、そんな「誰か」に応えたいです。
暖かさと優しさを授けてくれる「誰か」に、私の生は支えられているのですから。
支えていてくれた「誰か」がいなくなったとしても、私が、助けを必要としている「誰か」を支えられるのならば、私もまた「誰か」の支えになっているのでしょう。
自分の関わり方で「誰か」を支えることができれば、本望です。
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トップ画像は Riku Hydrangea様 からお借りしました。
ありがとうございました!
それでは、今日はここまでです。
皆さん、いい週末を!!
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