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「自己探究」が対話と場に与える影響

コーチングと出会い、「あり方」が育まれるとはどういうことかを考え始めてから、私は自己探究を続けています。
いまこのnoteを読んでくださっている方の中にも、自己探究の重要性について耳にしたことがあるかもしれません。では、一体それはなぜなのでしょうか。
今回のnoteでは「コーチはなぜ自己探究をするのか」「それがどう場や対話に影響するのか」について、私の内側にある感覚を言葉で表現したいと思います。

コーチはなぜ自己探究をするのか

人の内側にある複雑で繊細な感情や感覚を扱うコーチング。コーチは、目の前のクライアントの刹那的で微細な変化を扱い続けるからこそ、自身の内側にあるそれらを味わい、自覚的であることが大切だと考えています。

たとえば対話の中で、クライアントが心の底から美しいと信じるものとつながって出てきた言葉が、日常で使うような何気ないワードだったとき。
コーチ自身が自己探究を通してつながった美しさの感覚をもち、その美的感覚と深くつながっている場合は、クライアントが感じる美しさを鋭敏に掴み、流さず踏み込める。
相手の内側にある美学に気づく感度は、自分の内側にある美学と触れ合った深さと広さによって高まり、それがいわゆる「直観」につながっていくのだと思います。

対話の中で内側の美的感覚に気づいていく

自分の内側にある美学に気づいていくには、どのようなプロセスがあるのでしょうか。一つの正解はなく人それぞれの道のりがある前提で、私の体験を振り返ってみます。

まずは、クライアントとのセッションの中で自分の感覚に気づいていくこと。
心がざわつく言葉、年齢や役職の違いを感じ萎縮してしまう相手、なぜか無意識に身体に力が入ってしまうテーマなど、言葉にならない感覚を実践の中で認識していく。
綺麗に見えるセッションをしようと自分の中に湧いた違和感を抑圧するのではなく、内側の微細な変化を自覚していく。
実践の場でリアルな感情と向き合うプロセスは、コーチングの鍛錬において重要な自己探究の一つだと思います。

それから、クライアントとしてセッションを受けること。
日々を過ごす中で湧き上がるさまざまな感情や感覚を扱うことで、自分の内的世界と触れ合うことができます。
コーチのリソースを借りながら内側に意識を向ける時間を重ねていくと、日常的に自分の美的感覚に敏感になっていきます。

内側の美的感覚が外側と共鳴する

自分が信じる美しさに自覚的になると、内側の世界が外側の世界に投影される感覚が私にはあります。
昨年、京都にある「八坂神社」を訪れたときのこと。筧から水が流れていく様を見て、私の内側にある美学と深くつながる感覚を覚えました。

いま見ている水の流れはこの一瞬しかなく、同じ流れはないという儚さ。そばにある苔や落ち葉の佇まいから感じる年月の流れや季節の移ろい。
「この水もそんな変化を感じてきたんだろうな、ここに流れ着くまでどんな場所を流れてきたのだろう。」
すべてのものに命は宿っており、この水の流れをいまここで私が見ている尊さ。生きていることへの感謝、産み育ててくれた両親への気持ち。こうしたものが静かに溢れてきました。
この感覚は、自分の内側にある美的感覚とつながることの積み重ねによって研ぎ澄まされていくのだと思います。

また、私はアカデミックな領域を深めることも好きです。ただ、「あの本で読んだ、もしくはあの講座で学んだこの理論を使おう」という意識でセッションが深まった感覚は一度もありません。
そうではなく、新しい知恵を入れることで自分の感覚が変わっていく様に好奇心を向ける。さらに変化した感覚をもとにクライアントと接したとき、どんなものが生まれるのか、わずかな感覚の違いに耳を澄ます。頭の中で理論や手法が飛び交っていては、クライアントの内側で起こる繊細な変化は掴めません。
コーチ自身の内側にあるものを研ぎ澄ませていく静けさの先に、豊かで創造的な場や対話が生まれてくると感じています。

豊かで創造的な場が生まれる

豊かで創造的な場だと感じるセッションでは、クライアントの内側に広がる世界に自分が降り立ったような感覚を覚えます。まさに「シンクロニシティ」が起こるような状態です。

この状態にある感覚を言葉にすると、「感覚への鋭敏さ」「相手の内的世界への純粋な好奇心」が必要だと感じます。
どちらも、自身の内的世界に存在する言葉や言葉にならないものに好奇心を向け、それらに触れたときに何が起こるのかを探究するプロセスによって研ぎ澄まされていくように思います。
自分の中にある美的感覚を磨いているからこそ、相手の内的世界の美しさを細やかに感じ取れる。感じ取った美しい世界へ、純粋な好奇心が湧いていく。すると、クライアントも自身の内側に純粋な好奇心が向き、新たな何かが浮かび上がる。その変化をコーチも一緒に感じ、再び純粋な好奇心を向ける。
この「純粋な好奇心の循環」こそが、コーチングセッションだなと感じます。この循環の中で、それまで何気なく存在していたものに対して未知と遭遇したような驚きを感じ、自己探究がぐっと深まっていくのだと思います。
「タウマゼイン」という「知的探求の始まりにある驚異」を表すギリシャ語があるのですが、まさにこの感覚です。

そんな「驚異」と出会うには、感覚や好奇心の「純粋性」がとても大切です。
コーチがクライアントの内的世界を感じる際に、別の記憶やジャッジする感覚が少しでも入ると、初めて見るはずの美しい景色を前に、近しいものを見たことがあるような感覚をおぼえてしまいます。すると、景色の見え方が淀み、感動が薄れ、好奇心が濁ってしまう。こうしたコーチのあり方は、対話の場やクライアントにも伝播します。
私は感覚を濁さず研ぎ澄ませていたい思いと感覚の変化への好奇心から、今日も自己探究を続けています。

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