#2【新卒1年目】「ご愁傷様」と言われた初配属
いつもお読み頂きありがとうございます。私の新卒時代のエピソードを振り返ってどんなことが今に生きてきているのか、当時はわからなかった今だからこその内容をお伝えしようと思って始めたシリーズです。前回【#1「同期の中でお前が一番いらん」と言われた1年目】も好評で書いた甲斐があります。
新社会人になる時には将来に対する夢や希望に溢れて!、なんてことは私自身にはありませんでした。どちらかと言うと不安、そして当たり前のように働いてお金を稼いで生きていく、といった感じで工業大学での専攻の延長線上で就職をしたので「なんとなく」が一番しっくりくる表現になります。
おそらく、今の若者も同じような感覚の人もいるのではないかと思います。そんな私もなぜか全く畑違いのシニアマーケティング企業の社長をやってたりするので人生は面白い。今回は社会人として初配属された時のエピソードをご紹介します。
のんきでアルバイト気分の研修期間
私が新卒でお世話になった企業は、入社式の後、本社でオリエンテーション研修を行い、その足で2泊3日(だったと思う)の合宿研修に向かいました。合宿研修ではいわゆるビジネスマナーを中心でしたが、一部ビジネスワーク研修として一定の条件と価格設定のもと、自分たちでペーパークラフトで製品を作り、疑似販売すると言ったものもありました。
同期とワイワイと原価を計算したり、販売方法を考えたりと楽しかった記憶があります。製造メーカーならではの研修ですね。
私自身は経営やマーケティングについて大学では一切専攻しておらずすべてが新鮮に感じられる出来事でした。
合宿研修の後は、2グループに分かれて物流センターと工場勤務で研修勤務。
物流センターでは、主に在庫からのピッキング作業で注文通りの仕訳をしていく業務をひたすら実施。1㎜程度の部品から3~5㎝程度の部品まで計量による数量封入。注文書の貼り付けや梱包、出荷業務など
今ならロボットを使って全てできるような気もしますが、当時は人海戦術。ベテランのパートさん達にアレコレ教わりましたが、気分はアルバイトでしたね。
工場では、プラスティック部品なでの原材料ペレットから金型整形、検品作業を含む品質管理を重点に製品工程や納期、工場の稼働キャパシティなどを教わった記憶があります。
対して役に立たない新人を3カ月もかけて、研修してもらっておそらく部品メーカーとしての全体像を理解させようとしていたのだと思います。
定時であがり、寮メンバーの同期と飲みに行ったり、寮の近くの銭湯に行ったりと仕事に対しての自己研鑽皆無の日々。「親の心子知らず」で等の私や同期は「研修なげ~」「早く配属にならないかな」なんて愚痴っていましたね(笑)
ちょうどこのタイミングで創業何十年かの記念行事として社員旅行(海外)が計画されていて、同期全員で参加を拒否し大問題に・・・。他の方々は、給与天引きで積み立てして費用は確保!新卒の私たちは聞かされていなかったことと費用が自己負担(十数万)であったことで・・・、こんな話もどこかで出来たらと思います。
部長指示でのカービング対決
7月よりいよいよ所属予定部署での研修に入ります。開発5名、営業1名、工場2名に別れ、私は開発部署にてOJT研修です。早朝から製図の基本としてテクニカルイラストトレーニング(TI)なんかやったりしました。部品メーカーなので、商談先で立体図をイメージとして描けないとダメらしく毎朝勤務前に30~45分程度の勉強会に参加です。同期とは、誰が一番早くうまく描けるかなんて競っていましたね。
ある日、開発部長から
「君たちにはカービングをやってもらう、各自、キットを用意して制作。研修期間終了日に私が審査して、一番出来のうまい奴には焼肉をおごってやる!」
とお達しがありました。
「???」
そもそもカービングがわかりません。調べたところカービングとは彫刻のことで、木工クラフトとしてキットが販売されていました。同期と休みの日に東急ハンズに向かい、鳥の彫刻キットを調達。会社支給ではなかったところを見ると部長のお遊びだったのだと今はわかります。とは言え、やり手の部長ですので何らかの意図があったのは間違いありません。
・手先の器用さ
・配色センス
・完成度
・手順、段取り
・取り組み姿勢
・期日管理 etc
いろいろ考えられますが目的は聞いていないのでとにかく課題に取り組みました。
予定の無い休日は、寮の部屋にこもりひたすら小刀と彫刻刀で鳥を彫りつづけ、ペイント。質感を出すための工夫で足にはマスキングテープを張り付けてその上から着色するなど凝り性なところがあるのでひたすら実施。
気になり過ぎて、どんどん嘴が短くなってしまって・・・。嘴だけアンバランスに不格好でどのように誤魔化すか悩んだ記憶があります。
研修最終日に、意気揚々とカービングを持参。他の同期もみな持ってきて朝のミーティングの時間が来ます。
が、当の部長が来ない・・・。
緊急の用事だったか、結局審査されず会議室のTV台に4つの不細工な鳥の彫刻が並べられて飾られました。開発部の諸先輩たちからいじられたのは言うまでもありません。
その後も、本件に部長がふれる事はなく一体何だったのか今でも不明です。もちろん焼肉もなしです。寮生活でお金のない新卒にとって「焼肉」はモチベーションなんだと思います(笑)
メチャクチャ研修期間がながくしっかりやってもらったのだと、今はよくわかりますが当時はそれが当たり前の世界で感謝の心はありませんでした・・・。
正規配属条件は通勤車両所有
8月の中旬頃に9月の正規配属にあたっては、車の所有が条件。車を用意しなければ配属は出せない、という無茶な話が舞い込んできます。
「???????」
これまでは会社の寮から電車で最寄り駅まで移動。最寄り駅近くの駐車場に社用車が1台用意されていて、同期相乗りで工業団地(車で10分)内にある職場まで移動して通勤していました。
「えっ、車なんて用意できませんよ」
実家を出て寮暮らし。車なんて用意しているはずありません。憤りを感じながらも仕事をするためには仕方がありません。今考えれば、そんな横暴がまかり通るわけない条件だとわかるのですが、当時の私は「車を用意しなければ・・・。」車を買うお金があるわけもなく、止む無く親に電話。車を買うお金を借りることにしました。
そして時間もない。ネットで中古車情報をしらみつぶしに調べ、すぐに同じ寮の先輩にお願いして休日に中古車販売店をはしご。
車を探すのも、車を買うのもはじめて、とにかく不安だらけでしたが3つ上の先輩のアドバイスもあって3件目で即決。
40万弱のTOYOTA(逆輸入シボレー製)の黒のキャバリエを手に入れました。この相棒とはこのあと6年くらいの付き合いになりました。
それにしても車なんて買物は、もっとじっくり、ゆっくり吟味して自分に合うのを探すのが普通だと思います。いろいろおかしな状況でしたが今となってはよき思い出です。
因みに、こうやって手に入れた愛車。納車後2週間で東海豪雨に見舞われます・・・。今となっては毎年のように豪雨災害が発生しますが、当時は珍しく名古屋という地域の恐ろしさが強烈にインプットされた出来事です。
「ご愁傷様」と言われた初配属
さて、いよいよ8月の配属です。どんな感じで言い渡されたか記憶にないのですが、私は第3製品開発室という組織に配属になりました。同期のうち、2名が第1,残りの2名が第2の配属でしたので私は一人配属。と言っても開発部は全員同じフロアですので単純にデスク配置がことなるだけです。
私が配属された第3開発室は主に熱対策部品を取り扱う部署です。今は薄型PCやタブレットPCが主流ですが当時はまだデスクトップPC全盛期、ノートPCが安いもので20万~30万した時です。各メーカーでは小型化、薄型化の競争が激化。PCの排熱対策は急務となっている時代です。
配属発表の後、廊下でタバコ休憩をしている先輩方から
「日下部、第3なんだってな、ご愁傷様!」
とニヤニヤしながら他部署の数名から声をかけられました。
「!?」、「えっ、どういうことですか?」
私が配属になった第3製品開発室、実は数々の新卒の先輩たちが早期退職をしている部署だったのです・・・。配属したての新入社員にそんな声掛けの仕方はないんじゃないかと思いましたが、私の新卒時代はこのあと怒涛の生活に突入していきます。《続く》
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