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こんにちは 音楽のお仕事いろいろしながら 療法士/講師/制作orz 感情と向き合う…

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こんにちは 音楽のお仕事いろいろしながら 療法士/講師/制作orz 感情と向き合う長い旅をしています

最近の記事

新しい恋愛?

高2の夏。初彼にやらかされて、男子が寄り付かなくなった私はもう彼とかは最初諦めていた 相変わらず彼は一軍で学年ではキラキラしていたし、私はもはや黒子となっていた でもね、、、まだJKパワーが残ってたょ、、、 高校内の別の科の友人が大人の彼氏持ちだった。そうです。そこに目をつけたあざとい自分。 学校内がダメなら、大人だ!!って…どこまでも頑張っちゃってるわホント。 その友人は下宿生だったので、下宿先に遊びに行ったり仲良くしてもらってた。んで、大人の彼氏の友達を紹介して

    • 初彼との結末

      クリスマス前のその出来事は私の中でありえん思い出として今でもよみがえる時があります 初彼だけど、甘酸っぱい思い出などではなくモチロン私の黒歴史として鎮座しています… 痛かったよホントに んで、別れを告げたその後。……まぁその後も、ヤバかった。別れたら普通そこで終わりだと思うぢゃないですか。 マジ女々しいを通り越してもう途中から高校での恋愛を完全にあきらめたエピソードっす 高1の冬休みに別れた私達。3学期はモチロン同クラなんで顔を合わせるよね。 冬休み明けの3学期初日

      • JKの恋愛? 4

        終業式のその日、私は朝の出来事を友達Sにものすごい勢いで話していた 「こんな大きいの電車でどって持って帰んねん?いや、無理っしょ。てか皆にデカ‼︎それなに??って思われるし。一回じゃ持って帰るの無理だよ??てか、額は確実に隠せないレベルのヤツだよ……あぁ。」 「いやいや、嬉しくない訳じゃないよ?でもさ、パズルの絵??あれ絶対マズイっしょ。えっっつろ。よく見つけたわ。ちょっとしたセクハラよ??なに?何の伝言?何故あの絵柄にした?作ってる時鼻血とまらんわ!!てか、出来上がって

        • JKの恋愛? 3

          クリスマスといえばリア充には持ってこいのイベント。前までの非リア充の私にはただただ憧れのイベントだった。 イベントってだけで浮き足だってる私とは正反対に クリスマスがあるってのに約束どころか予定も聞いてこない彼 まぁバスケ部忙しいんでしょうょ?と始めは思ってあげてた(←言い方w) でもよくよく考えてみると始めから付き合う事に憧れて告ったのはこっちだし、好きでもないのに好き好きビーム風攻撃を必死に送ってた図式の結果じゃね?って気づいた おいおい。今までのやり方はめっちゃ

        新しい恋愛?

          JKの恋愛? 2

          私が初彼と付き合い出した頃、バスケ部の彼は部活が忙しく、私も自分の都合で好きな時にできるパソコン部に入ったばかりであり、変わらず週数回のレッスンがあったので中々一緒に帰ることすら約束できず日々は過ぎていった せっかくの付き合っている時をムダにしたくない私は、前からしてみたかった長電話にトライする事にした でも今の様に携帯やスマホがあったわけじゃないので、もちろん家の固定電話に家電 特に約束もしてないから休日を狙って積極的にかけるけど、モチロン親が出たりつながらなかったり

          JKの恋愛? 2

          JKの恋愛?

          好きでも無い相手に自分から告り とりあえず付き合う事になった高1の秋。 憧れとはコワイもの…付き合ってる人達がしている まぁ一緒に歩いたり、電話で話したり…色んな事してみたものの、一向に心トキメかないのである。でも今から考えるとそりゃそうだ。嫌いじゃないけど好きでもないのだから。 一緒に帰った時などは悲惨だった。友達がその日、ロングの髪の毛を、三つ編みでサイドアップにしてくれあまり気乗りしない私に「はい!かわいい!もったいない事するんじゃないょ!」と忠告し送り出してくれた

          JKの恋愛?

          やっぱり問題生徒

          高校時代、新しく出来た友人や中学時代からの知人は殆どが部活に入っていた となると下校時間も違う訳で、たまに一緒になる新しく出来た友達と帰る以外は、週に数回のレッスンの為に授業終わりはそそくさと1人電車に乗っていた 一年生のまだ一学期である。クラスの1番目立つ男子 A君がどうやら私を好きらしいと人づてに聞いた。それを聞いた時あまり嬉しくなかった。その男子背も高くバスケ部で一般的にはイケメンの部類であり一軍メンバーである。が、いつも先生に冗談を言ったり、皆んなの前で大きな声で

          やっぱり問題生徒

          音大受験のこと

          上の学校を目指そうとする時、勉強ならば模試などがあり、今の自分のランクや偏差値から、どのレベルかどの大学がある程度の範疇かを自分でも分かる が音大受験の場合レベルでは計り知れない内情がある。まず、入学金等の学費が医学部までは行かなくてもまぁ高い。調べれば出てくる事なのでここでは割愛するが、まず資金が無いと音大なんていけない。そして学費の前にそれまでのレッスン代も相当かかるのである。また、医学部は資金がかかる分、将来回収出来る事がほとんどだと聞くが、音楽科に関してはそうではな

          音大受験のこと

          わたしとピアノ4

          ピアノについて4までひっぱってしまった。 わたしとピアノ3で、新しい先生への期待は最初で崩れたが、その教室はとてもレッスンや上を目指す人には手厚い環境があった。まず、発表会や演奏イベントが月1、2ペースであった。また、数ヶ月に一回は特急電車を乗り継ぎ、大学教授の先生の元にレッスンをしに行った。発表会はピアノ教室主催のもあれば、町主催のもの、コンクールの課題曲も弾いたし、また高校に入り2年目からは先生が指揮している老舗の市の合唱団の伴奏もする事になった。 中学校まではブラ

          わたしとピアノ4

          ツワモノ先生現る

          教室は大きく、玄関が広く隣では旦那さんも学習塾をやっていた。ピアノ教室は長ーい廊下を渡り、お客さんが沢山入れるだだっ広い部屋にグラントピアノとアップライトが2つ。その他に大きいグラントピアノが一台づつ入るお部屋が2つ。また、全盛期はその先生の他に 若い講師の先生が他に2人程在籍していた。 何がツワモノって、おばあちゃん先生なのでどんなすんごいレッスンするかと思って、バッキバキの緊張で最初はレッスンに望んだ、、、が 最初のレッスンで教本が大幅に変わる事、受験の為にやるべき事

          ツワモノ先生現る

          わたしとピアノ3

          しかし、、、もう8年も習っていた楽器店だったので、次の教室も目処がつき、いざ某大手楽器店を辞めたいと言った時、一悶着あった。「なぜ辞めるのか、今のあなたの状況では音大など入れない。このまま習っているのではダメなのか」と説得された。この時、この先生私のことは何も考えてない、自分の事しか考えてない。やっぱり必要ないと思った。 今考えれば、楽器店も歩合制で1人でも減ると給料が減る。大きな声では言えないが、楽器店のレッスンは大手だとお月謝の半分以下が先生の取り分となり、時給換算する

          わたしとピアノ3

          わたしとピアノ2

          わたしの3人目のピアノの先生は、某楽器店の1年制の専門学校を卒業した先生だった レッスンを受けてみてビックリしたのは、まずレッスンが出来なかった事だ。子どもと接した事が無かったのかもしれない。小学校の子どもに分かりやすく話すという事は皆無で、大人に話す様な敬語を話し、カンペの様な手帳を持ってきては一曲一曲注意する事を丸読みし、わたしの楽譜に丸写していた。おそらく専門学校で曲の特徴や注意する事を勉強したノートだったのだろう。 でも曲の特徴や注意する事などは、原典版の楽譜でな

          わたしとピアノ2

          わたしとピアノ

          いじめが始まってからは私の友だちは本になった。 クラスに私の居場所は無かったし、逃げるようにいつも図書室のすみで本を読んでいた そして小学校の図書室に入り浸りいろんな棚の本を読み尽くす日々。図書室で本好きな友だちも出来た。でもクラスでは1人。別のクラスのあまり遊んだ事のない子を遊びに誘う日々。その場は楽しいけどやっぱり時々せっかく遊んでくれた子にもやらかす日々。 その内友だちと一緒に行っていた習い事も一つ二つと辞めて行き。残ったのがピアノだった。もともと雨の日も風の日も

          わたしとピアノ

          いじめのはじまり

          わたしのこと2 で書いた様に私の子ども時代は本当にデタラメだった。 そんな行動や暴言ばかりを言ってるから、まともな友だちや普通の女の子は私の元から去っていった。クラスで言い合いになった男子には 度重なる悪口から、結果男子ほとんどに完全に無視された 訳がわかり始めた小学校の中学年になると本格的に1人になっていった。消しゴムを投げられたり、遊んでいるフリしてぶつかってきたり そんなのは日常茶飯事で、目が悪く昔では珍しい度の強いレンズをかけていたのもあり、見た目でもイジメられた

          いじめのはじまり

          わたしのこと 2

          小さい頃、今思えばかなり宇宙人だった。現代のカテゴライズだとADHDにあたるかな。兎に角落ち着きがなく、周囲の事も考えず恥ずかしい事をしたり、ひどい事をいったり。多々小さな事件を起こしていた。 今考えれば淋しさからのかまってちゃんで、無意識に問題行動に走っていたんだと思う 当時の写真を見ると、いとこにもらったお下がりの全く同じ服ばかり。貧乏ではない。新築の一軒家に住んでいたし、習い事もいくつかしていた。昔の習い事って今みたいに親の送り迎えもないし、お月謝も子どもが手渡しだ

          わたしのこと 2

          家族のこと

          わたしの家族は両親と3つ上の兄1人 両親は北海道で兄は家族と千葉に住んでいる。両親はかれこれもう4年、兄には5年会っていない 言わずもがな親不孝な娘。帰省には田舎から田舎への渡航なのでフェリーやら乗り継いで時間にして1日かかり、往復だと最低4日、金額にしてまあまあ多くの額が飛ぶ。この数年長男と次男の大会が多くて休みもまともにとれなかった。そんな時もある。 父親は温厚で口数が少なく、曽祖父に似た性格で車に乗る仕事をしている。多趣味で、釣り、山菜キノコ採り、ドライブ、グラン

          家族のこと