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わたしとピアノ2
わたしの3人目のピアノの先生は、某楽器店の1年制の専門学校を卒業した先生だった
レッスンを受けてみてビックリしたのは、まずレッスンが出来なかった事だ。子どもと接した事が無かったのかもしれない。小学校の子どもに分かりやすく話すという事は皆無で、大人に話す様な敬語を話し、カンペの様な手帳を持ってきては一曲一曲注意する事を丸読みし、わたしの楽譜に丸写していた。おそらく専門学校で曲の特徴や注意する事を勉強したノートだったのだろう。
でも曲の特徴や注意する事などは、原典版の楽譜でない限りだいたい本の最初に載っているのを知っていたし、読んでもいた。だから毎回なんて無駄なことをしてるんだろうと思っていたし、楽譜に勝手に文章やムダなことを書かれるのも好きではなかった。
また、記号や楽語なども、今まで調べて自分で書き込んでレッスンしていたので、ブルグミュラー程度の楽語くらいだとある程度は既に頭に入っていた。だから、それを勝手に書き込んだり、レッスンで「ここはピアノだよ!ここはフォルテだよ!」なんて言われる度に、見たら分かるのにこの人何を言ってるんだろう?と思っていた。
ある時、新しい曲に入り調べて来たものを間違えていたらしく「この曲は次回まで調べてくるから来週レッスンしましょう。」と言われた時 子どもながらに、もうこの人に教わる事は何もないと思った。この時で、既に小学校高学年になっていた。
その頃は、クラス替えもありイジメられたのは自分が悪かったから変わらなきゃいけないと、大人しくしあまり話さないように、側で何か言われたらケンカしない様になるべく話しを合わせる様にと自分を封じ込めてイジメられない自分を作っていった。それで友だちが少し出来た。
また高学年になり、クラスで合唱を歌う機会があり、伴奏という自分が表現できるものを見つけた。テクニック的には弾けないのにどうしてもやってみたくて立候補したが、結局オーディションに落ち弾けなかった。でも諦めず機会を狙って、弾きたい!と訴えてしつこく言うわたしに、先生も仕方なく弾かせてくれる事になった。その時は今までにない程練習した。そして初めて皆の前で弾く事ができた。決して上手い演奏では無かったがその時皆の見る目が変わったのが分かった。
その頃である。クラス替えで仲良くしてくれていた子が海外の学校に留学するのを聞いた。もう自立してある程度ピアノが弾けていたので、将来の事を考えるきっかけにもなった。その頃の成績はごくごく普通で、音楽だけはピアノのお陰か少し良かった程度である。もう3人目のピアノの先生には見切りがついていたし、勉強はそんなにできる方ではなく、音楽で将来何か出来ることは無いかと、全く違ったピアノの教室のドアをノックした。
→続く
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