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わたしとピアノ4


ピアノについて4までひっぱってしまった。 

わたしとピアノ3で、新しい先生への期待は最初で崩れたが、その教室はとてもレッスンや上を目指す人には手厚い環境があった。まず、発表会や演奏イベントが月1、2ペースであった。また、数ヶ月に一回は特急電車を乗り継ぎ、大学教授の先生の元にレッスンをしに行った。発表会はピアノ教室主催のもあれば、町主催のもの、コンクールの課題曲も弾いたし、また高校に入り2年目からは先生が指揮している老舗の市の合唱団の伴奏もする事になった。

中学校まではブラスバンド部に入っていたが、高校では受験のためにレッスンが増える事、発表の機会も増えるので先生からは部活は入らないように言われた

この教室では、どんな風に弾くかという事はあまり学べなかったが、弾かなきゃならない理由が多すぎて、とにかく目の前の発表をこなす事で精一杯だった。またその教室はアンサンブルを沢山行っており、歌の先輩もいたので発表会での先輩の歌の伴奏、また、私がフルートを演奏する時も伴奏をしてもらったり、とにかくレッスン以外での演奏が増えていった。

ソロの練習以外も沢山こなす事で、弾き方や弾く事、伴奏やアンサンブルをする事で、ソロでの弾き方も自主的に学んでいたのだと思う。

また、教室の生徒同士がアンサンブルや発表会などを通じて仲良くなり、とても上手な先輩の演奏を聴くことも勉強になったし、部活には入れなかったが先輩や合唱団であちこち周り沢山演奏した思い出は残っている

高校に入ってからは、受験課題である歌曲(コールユーブンゲン、コンコーネ、イタリア歌曲)、聴音、楽典などのレッスンに週1〜3のペースで通い、週末は発表会やコンサートと、通っていた市の高校から電車に乗り二駅先の町で降りて、歩いて15分程の教室の道のりを受験まで通い続けた

勉強はしなかったが、とにかくピアノばかり弾いていた3年間だった

でももともとそんなに弾ける方では無かった私には受験はそんなに甘く無かった


→続く




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