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【嘘のような、ホントの物語】#5 〜 不思議な力を持つ娘 〜 誕生まで 〜





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前回までのあらすじ
40歳を目の前に、カンボジアで働いていた私。1年ぶりにタイを訪れ、友人との再会を喜んだ。友人から恋人へ関係が進展し、タイを後にした。その数週間後に妊娠が発覚。カンボジアでの高齢出産する覚悟を決め、その準備のため、妊娠15週で羊水検査をするために一路バンコクへ。一日がかりで陸路で国境を越え、バンコクに到着した翌日、病院へ向かったが、検査が翌週に延期になってしまい、彼の寮に向かった。





∞ 一路パタヤへ

バンコクの都心から離れた、彼の寮にお邪魔した翌朝、

彼がある提案をしてきた。

今夜、親方がパタヤに行くんだ。だから一緒に行こうと思ってる。

パタヤには、僕のお母さんが住んでいるから、そこでしばらく過ごさない?

私は、戸惑った。

私、行ってもいいのかな? 
こんなタイミングで。
私、妊娠しているんだよ。

彼は、いつものように、笑ってこう言った。

大丈夫だよ、もう話してあるんだ。
君が妊娠していることも、
今、バンコクに来ていることも。

それに、よく考えたら、お母さんのね、
もうすぐ誕生日なんだ。

だから、サプライズもしたいかなぁっと思って!


(えー、マジで、、、本気なの〜??)

そうなんだ〜、誕生日のお祝いかぁ。
お母さんに私のこと、話してくれてたんだね。

わかったよ、じゃあ行きましょうか。。。

不安な気持ちの方が大きかったけど、この寮で1週間過ごすよりは、いいかもしれない。そう思って行くことに決めた。

夕方、親方が仕事から戻ってくると、ピックアップトラックでパタヤまで向かうことになった。

今夜、パタヤで集まりがあって、そこに参加するのだと言う。

バンコクからパタヤまで、以前バスで行ったことがあったけれど、エカマイのバスターミナルからパタヤまでは、約2時間半程度の移動時間だったと記憶していた。

でも、ここからだと、どれくらい掛かるのか、皆目、見当がつかなかった。

親方の運転で、助手席にもう一人タイ人の男性。そして後部座席に彼と私。

ラジオから歌謡曲が流れて、のんびりとしたムードで車は出発した。

ところが、高速に乗った途端、急にスピードが上がった。


えっ、だ、大丈夫なの? すごいスピード!

私は、彼に耳打ちした。

大丈夫さ、問題ないよ、、、

彼は、意に介さない様子だ。


ほんとかな〜、、、私は、だんだん体に力が入ってきた。

後部座席から、スピードメーターは見えない。

でも、明らかに時速100キロ以上出ている。車線を変更しながら、周りの車をどんどん追い抜いていく。

怖いよ〜

そう思っているのは、私だけだった。

助手席の男性も、何食わぬ顔をして座っていた。

後に知った事だけど、高速道路は120キロぐらい出しても、問題がなかったのだそうだ。

だから、彼らにとっては、これくらいのスピードは、日常茶飯事だったのだ。

私は、車の中で固まって、背筋がピンっと伸びていた。

一瞬でも気を許したら、事故が起こるのではないかと、気が気ではなかった。

赤ちゃん、無理させてばかりで、ごめんね、、

心の中で、そうつぶやきながら、お腹に手をあてていた。


出発から2時間も経たないうちに、高速を降りて一般道へ入り、ある住宅街の一角で、車は止まった。

ついたよ。。

彼がそう言って、固まっていた私に、車を降りるように促した。

外に出ると、道路を挟んだ向こう側に、大きなテントが張られているのが見えた。

そこから、とても賑やかな声が聞こえてきた。

道路を渡ろうとした時、

彼が急に立ち止まって、背筋を伸ばして直立し、手を合わせてワイをした。 

*ワイとは、手を合わせるタイの挨拶のこと

私も慌てて、同じように手を合わせてワイをし、前を見た。

道路の向こう側に、同じようにワイを返している、小柄でふくよかな女性が立っていた。

お母さんだよ。会うの久しぶりなんだ。

彼がそう言って、私の手を引っ張りながら、道路を渡った。


∞ 『タンブン』する文化                                

その集まりは、お寺でつながる人たちのパーティだった。

なんでも、パタヤのあるお寺で、

出家をした先輩後輩だったり、

同じお寺にお布施する家族の、集まりなのだそうだ。

親方と彼の義父が、そのお寺の先輩後輩の間柄で、今日は、義父も参加していた。

タイでは、男子は期間を決めて出家する。それは、『タンブン』と言って、徳を積む行為なのだそうだ。

お布施をすることも、同じように『タンブン』で、来世のために、徳を積む行為なのである。

出家は、人の徳を積むために行うこともあって、特に母親への最大の親孝行になると言われている。

女性は出家できないため、息子が出家をすると、母親のために徳を積めるのだそうだ。

母親にとっては、この上ない幸せであり、息子を誇りに思う瞬間でなのある。

彼も、出家の経験がある。

僕は、一休さんだった、と、笑って話してくれたことがあったのだ。

一般的には、成人してからするもので、

会社に勤めていても、出家するとなると休暇が認められるのだ。

ところが、彼は中学生だった12歳から2年間、出家したのだそうだ。

勉強より、そちらの道がよかったから、、、

彼はそう言って、笑っていたけと、

母親を、心から愛しているのだろうな。。

その話を聞いて、そう思った。

お坊さんが、早朝に托鉢をする光景を、何かの映像で見たことがあった。やまぶき色の袈裟を着ていた。

彼から聞いた話によると、

お坊さんは、托鉢で頂いたものを、
全て混ぜ合わせて、食べるのだそうだ。

選り好みをせず、
全て食べるため、と言っていた。

私欲を捨てなければ、できない行為である。

午前中にそれを食べたら、
それ以降は何も食べない。

そして、翌朝、その空腹を抱えて、
托鉢に出て歩き回るのだ。

出家の経験を聞いたとき、
私は、彼のことを心から尊敬したのだった。

∞ 彼の両親

テントの奥には、ステージが設営されていて、カラオケを歌っていた。

宴もたけなわ、という様子で皆が一緒になり、歌っていた。

彼の母親と、挨拶を交わす。

そこに、お義父さんも現れた。

挨拶と言っても、私はタイ語が全くできない。

お母さんは、英語が少しわかるよ。それから、お義父さんのこと覚えてる?

彼がそう言って、私を見た。

そうだ!思い出した!!

島で会っていた。

彼の働いていたバーでによく現れては、片言の日本語であいさつしてくれた、サービス精神旺盛なおじさん。

確か、英語も流暢だった。

それが、彼のお義父さんだったなんて!

向こうも、私を覚えていた。

何だか、少し気恥ずかしかったけれど、

私は少しほっとして、あいさつをした。

お母さんは、物静かな感じで、ニコニコと笑っていた。


ひとまず、空いているテーブルに案内してもらい、席に着くと、

夜の8時をまわっていて、もう、月が出ていた。

お母さんに促されて、彼は、テーブルの上の料理を食べ始めた。

お母さんとお義父さんは、他のテーブルにいる知り合いの方へ声をかけて、そちらの方へ行ってしまった。

二人きりで、テーブルを囲む。

私は、車の中で固まっていたせいか、あまり食欲がなかったし、

見慣れない料理ばかりで、手を付けられずにいた。

その中の鳥料理を見て、彼が嬉しそうに言った。

ダックだ〜。

(え、ダックってあひる、、? 食べたことないな〜、どんな味だろう)

そこへ、お母さんがやってきて、彼に何かを渡して、また、どこかへ行ってしまった。


あのね、妊婦さんは、ダック食べたらダメなんだって。はい、これどうぞ。

袋を開けてみると、チャーハンだった。お母さんが、どこかのお店で買ってきてくれたのだ。

お母さんの思いやりに感謝しながら、チャーハンを頬ばった。

体の力が、すーっと抜けていくのを感じた。

∞ 彼の瞳

翌日の朝、鳥や犬の鳴き声で目が覚めた。

泊ったのは、彼の実家だ。

昨夜は、疲れていたせいもあって、
あっという間に、ぐっすりと眠ってしまっていた。

ここは、パタヤといっても、海からはかなり離れたところ、それも大通りから奥に入った袋小路。

そこに彼の実家はあった。

とても静かな場所だった。

そこは、大きな敷地が広がっていて、その中にポツンと2階建てのアパートの様な建物が1棟立っていた。

1階に小さな台所と寝室があり、
内階段で2階へ上がれるようになっていた。

2階に上がると、ベランダの様な広い外廊下があり、4つの部屋に仕切られていて、

まるで、ゲストハウスのような作りになっていた。

2階の部屋のひとつは、彼の義理の姉が使っていて、それ以外は賃貸していた。

私たちは、その中の空き部屋を使わせてもらうことになった。

シンプルな作りのアパート。ベットと、トイレとシャワーだけのお部屋。

朝日が燦燦と差し込んできた。もうすぐ、7時になろうとしていた。

熟睡したな〜

大きく伸びをして、ベットの端っこに座る。とても、頭がスッキリして、気分が良かった。

彼は、よく眠っていた。右目の上の大きな傷が、ひきつれたようにまぶたを少し開けている。

若い頃、田舎でバイクの事故にあったと言っていた。

大きな傷跡。

よく生きていたよ、と言うくらい、ひどい事故だったらしい。

彼を初めて見た時、右目のまわりの傷には気が付いたけど、まさか見えないなんて思ってもみなかった。

それほど、不自由を感じさせない、明るくて元気な人だったから。

彼が居なくなっていたら、私に赤ちゃんは出来なかった。

そう思うと、何だか感慨深くて、生まれてくる命を尊く思った。

∞ ∞ ∞

今日から、11月だった、、

本当なら、検査が終わってカンボジアで仕事に戻っていたはずなのに、私は、なぜか彼の実家に泊まっている。

成り行きに任せていたら、彼の両親に挨拶することになってしまった。

私は、彼の事を少ししか知らない。

それでも、一緒にいるととても穏やかな気持ちになる。

それは、彼の家族に対しても、同じだった。

ご両親は、何も詮索してこなかった。

私が、日本人という事もあり、丁重に扱ってくれているのかもしれない。

そう思うのと同時に、彼らが、ただ、そこにある事実を受け入れて、見守ってくれているようにも感じた。


彼が目を覚まして、タバコを吸いに部屋の外に出た。

そして戻ってくると、開口一番、こう言った。

今日は、お母さんの誕生日だよ。

だから、晩御飯の後にサプライズでケーキを用意しようと思うんだけど、

どう?

あんまり、そういうのやったことが無くてさ〜

彼は、照れながら笑っていた。


日中は、皆、それぞれ予定があるらしく、皆、バタバタと出かけて行ってしまった。

夜ご飯には、揃うらしい。

午前中はのんびり過ごし、

午後から、ケーキを買うために出かけようと、家のバイクを借りて出発した。

ところが、、、

彼が、急にバイクを止めた。

ちょっと、日差しがきつ過ぎて、、、

眩しくて、前が見えないから、運転できないな。

もう少し、日が落ちてから行こうか。

私は、すっかり忘れていたのだ。彼は右目が見えないこと。

光だけは、分かるらしい。

だから、片目で運転しているのだ。

サングラスがなければ、こんなに日差しが強い日の昼間の運転は、難しい。

わかった、そうしようか。

私たちは、一旦、家に戻ることにした。


∞ サプライズ

夕方、ケーキが届いた。

彼が、義姉に電話で頼んで、仕事の帰りに買ってきてもらったのだそうだ。

こういうチームワークの良さは、タイ人あるある、なのである。

晩御飯は、お母さん、お義父さん、お義姉さん、彼と私。全員が揃って食卓を囲んだ。

お母さんは、本当に料理が上手で、美味しいタイ料理をご馳走してくた。

だから、私は、そのお礼に洗い物を申し出た。

洗い物をしていると、彼が私を呼んで、ケーキを準備し始めた。

彼も、お義姉さんも、嬉しそうに箱を開けて、じゃれ合いながら、ローソクを立てる。

ふたりとも、これからするサプライズに、ワクワクしていた。

ケーキには、お母さんの名前と、

その下に数字が書いてあった。

40

私は、まさか、と思いながら、

彼に聞いた。

ねぇ、お母さん、今日で何歳になるの?

彼は、答えた。

40歳だよ。

私は、混乱した。

お母さん40歳って、彼は一体いくつなの? 

私たちは、お互いのことを、まだ、よく知らなかった。

【嘘のような、ホントの物語】#6 〜不思議な力を持つ娘の誕生まで〜 に続く





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∞ まえがき ∞ より

この物語は、ある家族に実際に起きた、
嘘のようなホントの物語。

『自閉症の娘』や『ADHD疑惑のタイ人旦那』と、

『カサンドラになりかけた日本人妻』の
エピソードを描いた私小説的エッセイです。

他のエッセイに比べて、
かなりプライベートな内容が含まれているため、

書く決心がつくのまでに時間を要しましたが、

海外、国内問わず、育児に苦労している方や、

大人のADHDの方の対応に悩んでいる方の
ヒントになれば…と思い、
執筆することにしました。

この物語は、決して暗く悲しいものでは
ありません。

困難に打ちひしがれる日もあれば、

文化の違いから、お互いを理解し合えず

涙する日があったり、

バカバカしい事で、
お腹がちぎれそうになるくらい笑ったり。

人生という旅路を、
何故か一緒に歩くことになった、

マイペースで
トンチンカンな旦那さんと、

不思議な力を持つ娘を中心に、

日本人妻が翻弄されながらも、
強く生きる物語なのです。

この物語のシリーズは、
今後、有料記事にする予定です。

不特定多数の方へ、無料で届ける内容ではなく、

本当に必要とされる方に、読んで頂きたい、と考えているため、

そうすることにしました。
ご理解頂けると、幸いです。

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