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超短編小説 「月」

夜風にあたろうと宴会を抜け出した。
故郷のひなびた温泉宿での同窓会は、良くも悪くもない。

月が出ている。
満月だろうか、ずいぶん明るい。
宿の前の川のせせらぎに誘われて、河原へ向かった。

護岸整備はされていなく、
石と砂の岸はしっとりと、流れは戯れるように月のひかりを受けている。
月夜のこの川が、こんなにも美しいとは思ってもみなかった。
今日いちばん、いや、ここ何年かでいちばん
心が躍った。

向こう岸に髪の長い女性がいるのに気がついて驚いた。
突然現れたように感じたからだ。
宿は貸し切りだから同窓生の誰かだろうと
思ったのだが、月あかりそのもののような白い着物は宿の浴衣ではない。
顔がわかる距離ではないのに彼女がほほえんだように見えて、私は軽く会釈した。
すると彼女は、顔を月へ向けた。
私もつられて月を見た。

白く震えているような月。

この世に、私たち二人しかいないような
気持ちになった。
私か男なら、川を渡るだろうと思った。
彼女をもう一度見ようと向こう岸に目を移したが、姿はなかった。


月へ帰ったのだと思った。
私のことも連れていってくれればいいのにと
思った。


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