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明治天皇の神風串呂9(矢田の天王と明治天皇御陵)

💟このオンラインブックは、串呂哲学の創始者・三浦芳聖師が解明した「明治天皇の神風串呂」を分かりやすく解説したもので、「明治天皇の神風串呂8(美星町明治と明治天皇御陵)」の続きです!

明治天皇


1、過ちを改めれば日本国再建は必ず出来る!

日本神界(串呂主宰神)は、明治維新以降の日本の歩みを「水蛭子みずひるこ淡島あわしまを生んだ」と厳正な判定を下し、日本帝国はおよそ80年で滅亡してしまいました。

国生み神話で失敗した諾冉なぎなみニ神は、失敗の原因を探求し反省してやり直し国生みに成功しましたが、戦後75年が経過する今日、日本国が未だに米国の保護国状態であるという事は、日本の政権担当者が反省していない証拠であります。これではいつまで経っても日本の再建は出来ません。

国生み神話が語るように、日本を滅亡に導いた原因を探求し、過ちを改めれば国生み・神生みは必ず出来るのです。

では日本を滅亡に導いた間違いとは何だったのでしょうか。

光良親王の王孫・大室寅之祐を擁立して王政復古に成功した明治政府は、明治4年(1871)12月23日、欧米諸国に岩倉使節団を派遣しました。

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2年後、使節団が帰国するや、政府指導者らは国家経営路線をめぐって対立し、明治6年(1873)10月、西郷隆盛(陸軍大将・近衛都督)、板垣退助
(参議)、後藤象二郎(参議・左院議長)、副島種臣(参議・外務卿)、江藤新平(参議、司法卿)らは袂を分かって下野しました。

その対立の底流には、岩倉・大久保・木戸らが、維新が南朝王孫を擁立しての南朝革命であった事実を隠蔽して人民解放戦争の荊冠旗けいかんきを降ろし、北朝系官僚勢力と妥協して欧米列強にならい、近隣諸国を侵略する帝国主義路線を選択した所にありました。(鹿島史学)

これは南朝革命を旗印に天地神明に世直しを誓い、天佑神助を仰いだ神々と国難に身命を挺して英霊となった維新の志士たちに対する裏切り行為であり、これこそが国生みに失敗した原因でありました。

明治新政府は人民解放戦争の荊冠旗を掲げて南朝革命を貫徹し、南朝正統家を世に出し(開鏡維新)、アジア諸国をはじめ欧米列強により虐げられていた世界の人民を解放救済する所まで突き進むべきだったのです。

今回も明治天皇の神風串呂をご紹介して、明治維新以降、我が国の政府が国生みに失敗した原因を探求し、日本国再建の大道を提示して参りますので、最後までご一読下さるようお願いします。

開国前後、日本の統治者としての武士階級は、三つの陣営に分解した。
*西洋サタニスト・イルミナティーに身も心も捧げつくした極悪売国奴。
*西洋は文明に非ず、西洋は野蛮なり。この西洋蛮族の侵略に対して神国日本の國体を死守すべしとした愛国派。
*大多数の時局を傍観し、時代に流されて行く日和見派。

(太田竜著『長州の天皇征伐』296頁・要約/2005年/成甲書房)

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、矢田の天王と明治天皇御陵の神風串呂

三浦芳聖は、どのような天皇であるかを鑑定する矢田の天王(岡山県新見市哲西町)と明治天皇御陵(京都市伏見区桃山町)を串呂すると下記のようになると述べています。

天王(新見市)-上弓削(久米南町)-王子(美咲町)-大酒(佐用町)-ポンポン山(京都市)-粟生(長岡京市)-明治天皇御陵(京都市)

(三浦芳聖著『神風串呂』161号第2章13頁/1969年7月号、現在の住所に改めた。三浦芳聖の著書で哲西町天皇となっているのは、旧版の地図に「天皇」と印刷されていたからです。)

地文のみ掲載します。
天王-上弓削-王子-大酒-ポンポン山-粟生-明治天皇御陵

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)天王(てんのう、岡山県新見市哲西町矢田)
この岡山県新見市哲西町矢田地区の「天王」は、どのような「天皇」であったかを鑑定する要素が強い八大重要串呂起点です。

哲西町矢田地区にあり、西側に神代川が流れているので八咫鏡やたのかがみにちなんで「矢田やた天王てんのう」と呼んでいます。

三浦芳聖の著書で「天皇」となっているのは、旧版の地図には「天皇」と印刷されていたからです。

天王・新見市
岡山県新見市哲西町矢田 天王(MapFan)

【参照】⛩元伊勢内宮皇大神社と⛩金崎神宮との神風串呂 (№21)
上村上-天王-三浦-⛩元伊勢内宮-大君-⛩金崎神宮

⛩金崎神宮の祭神「尊良親王」は三浦家の遠祖で正真正銘の大君(おおきみ)、上村上天皇であると「⛩元伊勢内宮」の神様が鑑定されている。

【参照】石清水八幡宮と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂 (№28)
天王-加賀美-⛩石清水八幡宮-国府町・天王山-三浦芳聖晩年の住所

三浦芳聖晩年の住所(豊川市諏訪2丁目)は玉垣が張り巡らされた国府(朝廷)であり、天皇の住居(大御門)であり、神鏡の存在する所であると国体明徴の大神(石清水八幡宮)が立証されている。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第一章

【参照】天王に関する神風串呂はこちらを参照ください。

(2)上弓削(かみゆげ、岡山県久米郡久米南町)
弓削ゆげとは、宇佐八幡宮神託事件で有名な「弓削道鏡」の故事により、臣下の身分で皇位を伺う(盗む)者、またはその精神を表わす。

上弓削・久米南町
岡山県久米郡久米南町 上弓削(地図マピオン)

ここでは日本神界が神風串呂により昭示し給う様に、明治天皇は天照大御神の御心に叶う神皇正統の天皇ではないと解釈し、その理由を日本国再建のため心を鬼にして述べます。

明治維新や明治天皇をおとしめる悪意はありません。否、むしろ明治天皇救済の為であります。ご理解ください。

、三種の神器を継承していない。
、南朝革命を旗印に人民解放を誓い、天佑神助を仰いだ神々と国難に身命を挺して犠牲となった維新の英霊たちを裏切った。
、農民奇兵隊員・大室寅之祐がすり替えによって秘密裏に皇位に就いた。
、維新が南朝革命であった事を隠蔽し南朝正統家を世に出せなかったため神界の計画を台無しにした。(上記二項は、歴史の偽造・真実の隠蔽)
、天皇神聖カルト教憲法を制定し、國體を傷つけ亡国路線を引いた。

明治天皇は、帰幽後霊界に於て南朝正統家を世に出せなかった事を悔やみ、昭和8年(1933)8月16日、三浦芳聖を兵庫県加西市青野町の西山聖地に導くなど南朝正統家を支援していました。

明治天皇を真に敬い愛するなら、霊界でいま明治天皇がどのような立場に置かれ、如何に苦しんでいるかを想うべきであります。
【参照】三浦芳聖伝 25、西山聖地を発見(№140)

【参考資料】一生功成って万骨枯る。前原一誠と西郷隆盛の反乱にしても実はこのような南朝革命の秘匿による革命グループの北朝化に反対したのが真相であるという。思うに、孝明天皇父子の暗殺グループといっても実行行為にかかわっていた岩倉、桂(木戸)、伊藤などは討幕に成功した以上天皇のすりかえを隠したままにしようと主張し、自らを北朝官僚の中に埋没させて満足したのに対して、外部から協力しただけの西郷や理論家の前原は発表しなければ南朝革命が成功したとは言えないと信じたのであろう。

(鹿島昇『日本侵略興亡史』446頁)

【参考資料】天皇の責任について(蜷川新博士)
 明治憲法は、プロシャ人グナイストに、伊藤博文が教えられて、ほとんどそのままに日本の帝国憲法となつたのである。
 明治天皇の「告文つげぶみ」によれば「おもフニ此レ皆、皇祖皇宗の後裔こうえいのこシタマヘル統治の洪範こうはんヲ紹述スルニ外ナラズ」と書いてある。しかしながら、それは人民を欺瞞ぎまんした文句である。プロシャ人に教えられた帝王権力万能主義の憲法である。曽つて日本の歴史に見なかつたほどの広大な権力を、天皇に与えて、形式は、三権分立の憲法に見せかけつつ、実際は、「天皇の権力万能主義」の国法を作ったのである。人民は、たくみに欺かれていたのである。
 明治二十三年以後の日本人は、正しい日本歴史を教えられていない。そうして、天皇は、国初以来、終始一貫して、日本人民の崇敬をし来つたもののように信ぜしめられている。

吉田長蔵『新天皇論』32頁、蜷川新博士の「天皇論」(『改造』1952年6月号所載)

皇室を尊崇・敬愛している方には明治天皇が「弓削」であるという説は理解し難いかも知れませんが、三浦皇統家が神皇正統家であるという串呂の世界では明治天皇は「弓削」となります。下記を参照下さい。

三浦皇統家は後醍醐天皇から三種の神器を継承(地下深く埋蔵)し、長慶院法皇が内宮の大神から天授された「神鏡」を継承し祭祀しています。
【参照】三浦芳聖伝 57、長慶院法皇と御鏡(№180)

中国史には二十四史(または二十五史)ある。つまり、二十四ないし二十五の王朝が継起した。王朝の交代は「革命」と言う。その意味は、天の命が革まることだと言う。天命を受けずして新しい王朝を立てる者は、「偽命天子」であり、その王朝は「偽朝」である。偽朝はすみやかに滅びる。

(太田竜著『長州の天皇征伐』76頁/成甲書房/2008年)

【参照】皇居の串呂(三浦芳聖伝 54、皇居遷都提唱運動)
全国には「弓削」の付く地名が13ヶ所ほど有ります。三浦芳聖が解明した串呂では、そのうちの6ヶ所の地名が皇居、京都御所、明治天皇御陵に関連しています。全国の「弓削」一覧

イ、弓削町(三重県鈴鹿市)-御正体山(都留市)-皇居(東京都)

弓削町鈴鹿市
三重県鈴鹿市弓削町(地図マピオン)

ロ、弓削(岡山市東区瀬戸町)-京都御所(京都市)-御正体山(都留市)

弓削瀬戸町
岡山市東区瀬戸町 弓削(地図マピオン)

ハ、弓削島弓削上弓削(上島町)-御在所山(菰野町)-皇居(東京都)

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愛媛県越智郡上島町 弓削島弓削上弓削(地図マピオン)

ニ、公文(御調町)-京都御所欲賀町(守山市)-弓削(竜王町)-皇居

弓削竜王町
滋賀県蒲生郡竜王町 弓削(地図マピオン)

ホ、天王上弓削町(京都市)-大垣市恵那市源氏山大月市皇居

上弓削町京北
京都市右京区京北 上弓削町(地図マピオン)

(3)王子(おうじ、岡山県久米郡美咲町)
王子を表わす。下記の二通り、あるいは両方の解釈が成り立つ。

イ、明治天皇の皇子女を表わす(王子を泡生みした)
大正天皇が御不例であったことは周知の事実でありますが、15人の皇子女(5男10女)のうち10人の皇子女が死産または夭折でした。

ロ、明治天皇が「王子」であったことを表わす(国家を泡生みした王子)
美咲町王子・・・農民奇兵隊員から天皇に出世した王子を表わすか?

王子美咲町
岡山県久米郡美咲町 王子

【参照】美星町明治と明治天皇御陵との神風串呂(№219)
明治-粟生町-王子町・王塚古墳ー明治天皇御陵ー公文名

(4)大酒( おおざけ、兵庫県佐用郡佐用町)
明治天皇が大酒飲みで、酒豪だった事を表わす。国内唯一の地名。

明治天王が大酒飲みであったことは、『裏切られた三人の天皇』(鹿島昇、287頁)に下記のように出ています。

(明治)天皇が斗酒なお辞せずといった大酒飲みであったこともよく知られている。この悪癖が子孫たちの体質に遺伝したとすれば恐るべきではないか。
 『明治天皇紀』明治10年の条には、「天皇が侍補元田永孚を陪席させて観菊の宴を張り、午後4時から11時まで延々7時間にわたって酒を飲んだと書かれ、また明治11年正月10日の条には、「土方久元、元田永孚らをはべらせて、午前3時まで酒を飲んでいた」とある。
 *(  )内、太字・・・編集者。数字は算用数字に改めた。

鹿島昇『裏切られた三人の天皇』287頁

大正天皇が御不例であったのみならず、明治天皇の15人の皇子女(5男10女)のうち、10人の皇子女が死産または夭折であった理由は「大酒」であった事が昭示されています。

この地名は国内唯一の地名です。この串呂のために存在すると言っても過言ではないと思います。神風串呂史観を唱道する所以です。ただし、串呂が先か現実が先かは三次元に住む私には分かりません。

大酒
兵庫県佐用郡佐用町 大酒(地図マピオン)

(5)ポンポン山(京都市西京区大原野小塩町)、本州唯一の山岳名。
タヌキの腹鼓の音を表す「ポン」「ポンポコ」「ポコポン」などの擬音語はタヌキを表す俗語として現代でも用いられる(『ウィキペディア』タヌキ

「つん つん 月夜だみんな出て来い来い来い、おいらの友だちゃ、ぽんぽこ ぽんのぽん」で有名な、野口雨情作詞. 中山晋平作曲の「証城寺の狸囃子」の「ぽんぽこぽん」で狸を連想する言葉。

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狸(たぬき)は、人をだますもの(たぬき寝入り・たぬきおやじ)、化けて人をたぶらかすもの(カチカチ山)の象徴であり「虚偽・詐欺・詐称」等の意味を表わすという。【参照】狸(たぬき) の意味

狸と大酒の関係は、切っても切れない「お神酒と徳利」の関係である。

この明治天皇の神風串呂に「狸」を連想する地文があるのは、すでに「(2)上弓削」の項で詳述した。

なお、この「ポンポン山」は、下記の串呂でも「田貫湖・たぬきこ」と関連しています。参照ください。

後小松天王・足利義満落胤説立証の串呂
小松(豊能町)-ポンポン山-後小松天王御陵(京都市)-⛩熱田神宮(名古屋市)-田貫湖(富士宮市)-神縄(神奈川県山北町)
 (三浦芳聖著『開鏡の神風串呂』45頁、1960年)

『ウィキペディア』ポンポン山 (近畿)

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京都市西京区大原野小塩町 ポンポン山(地図マピオン)

(6)粟生(あお、京都府長岡京市)
粟生は、あわうみ(泡生み)と読み神生み国生みに失敗した事を表わす。

  粟生(あわうみ・泡生み)=水蛭子・淡島 ⇔ 神生(かみうみ)

『古事記』国生み神話
然れどもくみどに 興(おこ)して生める子は、 水蛭子(みずひるこ) 。この子は 葦船(あしぶね) に入れて流し 去(う)てき。次に 淡島(あはしま)を生みき。こも亦、子の 例(たぐひ)には入れざりき。

【参照】古事記の原文『国生み神話』

イ、後継者の神生みに失敗した(王子を泡生みした)
大正天皇が御不例であった事を表わすのみならず、明治天皇の15人の皇子女(5男10女)のうち、10人の皇子女が死産または夭折であった事を表わす。

【参照】『ウィキペディア』明治天皇・系譜

ロ、明治維新という国生みに失敗した(国家を泡生みした)
明治維新が粟生(泡生み)であり国生みに失敗した事を表わす。今日の日本は古事記に云う所の「子の例(たぐい)には入れられない淡嶋(あわしま)である」と解釈する。

その理由はすでに「(2)上弓削」の項で詳述しました。

【参考資料】さきに論じたように、将軍家茂と孝明天皇父子の暗殺に始まる南朝革命を秘密にするために「天皇は神聖不可侵であり、万世一系である」とする伊藤憲法が生まれ、その憲法が日本人から解放の理念を奪って荊冠旗けいかんきを放棄させ、さらに歴史研究の自由を奪って合理性を追求する心まで捨てさせてしまった。要するに日本の国家が突如として暴力的な侵略国家に変貌したのは、天皇暗殺と天皇すりかえの事実を隠すための歴史抹殺の結果だったのである。 

(鹿島昇『日本侵略興亡史』623頁)

別の視点から申しますと、明治維新そのものが、初めから「イルミナティー・サタニスト」に国家民族ごとすっぽりと檻の中に入れられた、近代化という名の「永久属国化」であったからであります。

これについては、下記の参考資料があります。
『鬼塚英昭が発見した日本の秘密[DVD] 』(鬼塚英昭・成甲書房)
*『ユダヤの日本侵略450年の秘密』(太田竜・日本文芸社)
ガーター騎士団のガーター勲章を授与された明治天皇

粟生・長岡京市
京都府長岡京市 粟生(Yahoo地図)

(7)明治天皇御陵(めいじ天皇御陵、京都市伏見区桃山町古城山)

桃山御陵 (2)
明治天皇の桃山御陵

京都市伏見区の桃山陵墓地にある明治天皇の陵。伏見桃山ももやま御陵。(『伏見桃山陵- Wikipedia』

明治天皇桃山御陵
京都市伏見区桃山町古城山 伏見桃山陵(地図マピオン)

三浦芳聖は、ここで睦仁親王(明治天皇)の軍服姿(上半身・無帽)の神霊写真の撮影に成功している。
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』序文40の2頁・写真版)

睦仁親王(明治天皇)が、軍服を愛用した話は有名ですが、大元帥であったから軍服を愛用したというより、征東将軍宗良親王の再現ゆえ(無意識で)軍服を愛用したといった方が正解だと思います。

征東将軍宗良親王と睦仁親王(明治天皇)の共通点としては、歌聖であったことも見逃す事ができません。宗良親王は、准勅撰『新葉和歌集』の撰者であり、睦仁親王(明治天皇)は、約93,000首の和歌を作ったことで有名。

私も少年時代に『明治大帝御聖訓』(山口鋭之助監修、愛之事業社発刊、1936年)という「御製集」を読んだ記憶があります。

【参照】明治天皇・光良親王王孫説を昭示する神風串呂(№212)
光長-明治天皇御陵-御在所山-松永-四之宮

伏見桃山御陵に眠る睦仁親王(明治天皇)は神皇正統第99代・松良天皇の第四皇子「光良親王」の王孫である。

【参照】明治天皇御陵と松良天皇御陵との神風串呂(№213)
明治天皇御陵-松良天皇御陵-⛩井伊谷宮

三浦皇統家系図にある直系の人物3人(宗良親王、松良天皇、睦仁親王)の御陵、神社が一直方向線上に串線する神秘的な実証の神風串呂です。

【参照】御名と明治天皇御陵との神風串呂(№214)
御名-神種-明治天皇御陵-睦実

桃山御陵に眠る明治天皇の御名は睦実(睦仁)で神種(皇胤)である。

【参照】美星町明治と明治天皇御陵との神風串呂(№219)
明治-粟生町-王子町・王塚古墳-明治天皇御陵-公文名

伏見桃山陵に眠る「明治天皇」の15人の皇子女(5男10女)のうち10人の皇子女が粟生(あわうみ=死産または夭折)であった。(京都市伏見区の桃山御陵は明治という名前の王の墓陵である。明治天皇は日本の近代化に当って維新の当初から「イルミナティー」の傘下に組み込まれガーター勲章を授与されて永久属国王となり国生みに失敗した。)

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

 天王-上弓削-王子-大酒-ポンポン山-粟生-明治天皇御陵

明治天皇は大酒飲みだったため後継者の神生みに失敗した。また維新が南朝革命であった事を隠蔽し南朝正統家を世に出せなかったため、天佑神助を得られず国生みに失敗した。三種の神器を継承せず、すり替わりによって隠密裏に北朝足利系の天皇位に就いた弓削である。

明治-狼谷-粟生町-小野市王子町・王塚古墳-明治天皇御陵-公文名
天王-上弓削-美咲町王子-大酒-ポンポン山-粟生-明治天皇御陵

三浦芳聖著『神風串呂』161号  第2章15頁-2、1969年7月

上記の二本の串呂により、厳正な日本神界(串呂主宰神)が、明治維新以降の日本の歩みをどのように評価しているかは明白であり、その理由については上記「(2)上弓削」の項で詳述しました。

『古事記』では、国生みに失敗した二柱の神(伊邪那岐・伊邪那美の神)は、天つ神の御所(みもと)に参上して失敗の原因を探求し、天つ神より「 女先(をみなさき)に言へるによりて良からず。また還り降りて改め言へ」という託宣を得てやり直します。

この天つ神の託宣を現代に当てはめますと「霊主肉従-神の義を第一とせよ!」であります。一身一家の利害損得で行動せず、神の御声を聞いて行動せよです。

神風串呂が昭示する、三種の神器を継承(地下深く埋蔵)している南朝正統三浦皇統家を奉戴して開鏡維新(天の岩戸開き)を断行すれば「日本再建」は必ず出来ると確信しています。

差し迫る国難を回避するには

国生みに失敗した明治王朝の後継者が、国際社会の中でどのように評価されているかは、下記の書物や情報がよく表しています。

*『ヤマト王朝』(スターリング シーグレイブ、展望社)
『黄金の戦士:アメリカが秘密裏に回収した山下の金塊』(同上著,未邦訳)
*『天皇の陰謀』(デイヴィッド バーガミニ著、現代書林他)
天皇の陰謀太田竜の解説DVD  
『天皇の陰謀』(WEB翻訳)
黄金の百合作戦(レッ・ボルテール:山下の黄金の「伝説」)

「黄金の百合作戦」が真実であったかどうかが問題ではなく、こうした情報が国際社会の通説になっている事が問題です。

上記のような情報を、ほとんどの国民は知らされていません。学校教育では、現代史はほとんど教えません。国際社会の通説とそれに対する国民の無知、このギャップが恐ろしいと思います。

国生みに失敗した諾冉二神は、天つ神の 御所(みもと)に参上して失敗の原因を探求し、反省してやり直しましたが、亡国の原因を作った長州藩閥・田布施一味、北朝官僚システムは全く反省せず、厚かましくも今もなお、反日売国政治家と日米合同委員会の指示に盲従する反日売国官僚による政治が行われています。

2025年以降、米軍が日本国内から撤退したあと、他の軍事大国に占領支配され、亡国の民となる事(イルミナティー・サタニストの謀略)が予想されます。戦争の惨禍や天災の犠牲になるのは常に無辜の民であります。

この国難を回避するには、神風串呂が昭示する開鏡維新(天の岩戸開き)を断行して、神皇正統の天皇に高御座に就任して頂かねばならないと確信しています。


🟡バックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い


この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(明治天皇の神風串呂8)
🟢明治天皇の神風串呂一覧

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
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