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明治天皇の神風串呂1(明治天皇・光良親王王孫説)

大室寅之祐(明治天皇)の弟・庄吉の孫・大室近祐は「わしの家は南朝の末裔で、明治維新の時には七卿がしばらく滞在し、わしの祖父の兄寅之祐をとても可愛がっていた。これがのちに京都に行って明治天皇になったのじゃ。だからわしは天皇家の親戚なんじゃ・・・」と述べています。

(鹿島曻著『裏切られた三人の天皇-明治維新の謎』)

鹿島曻は『裏切られた三人の天皇-明治維新の謎』で「日本の歴史偽造による民族差別が国を滅ぼしたのである」と述べています。

神風串呂は戦争の勝者によって隠蔽された「歴史偽造」を正す、神様が書いた奇跡の皇統史であるといえます。


💞明治維新は南朝革命だった!

昭和4年(1929年)2月、維新の志士・元宮内大臣・田中光顕みつあき伯爵は、明治維新は後醍醐天皇の皇子「ミツナガ親王」の王孫を擁立しての南朝革命であったという維新秘話を告白した。

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』)

神皇正統家に極秘で伝承された神風串呂しんぷうかんろは、この「明治維新南朝革命説」を誰にでも分かるように論証できる唯一の方法で、この記事は、三浦芳聖が解明した「明治天皇の神風串呂」を分かりやすい解説付きで公開している世界で唯一の論考です。

串呂かんろ(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。
 
神風串呂は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。
 
地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を実地に認識し体感体得することができます。

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになると確信しています。


1、明治維新は南朝革命

三浦芳聖は、『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』の序文で、昭和4年(1929年)2月、元宮内大臣の田中光顕伯爵から、明治維新は南朝革命だったという維新秘話を聞き出したことを告白しています。

明治維新は南朝革命だったのだ!

今号から9回にわたって、三浦芳聖が解明した明治天皇の神風串呂をご紹介します。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、明治天皇・光良親王王孫説を昭示する神風串呂

三浦芳聖は、三重県三重郡の御在所山と京都市伏見区桃山の明治天皇御陵を串呂すると下記のようになると述べています。

光長」(吉賀町)-「明治天皇御陵」(京都市)-「御在所山」(三重県)-「松永」(木曽岬町)-「四之宮」(平塚市)

(三浦芳聖著『神風串呂』第168号9頁/1970年、現在の住所に改めた)

地文のみ掲載します。
「光長」-「明治天皇御陵」-「御在所山」-「松永」-「四之宮」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)光長(みつなが、島根県鹿足郡吉賀町注連川)
光良親王を表わす地文。光良親王は松良天皇の第四皇子。睦仁親王(大室寅之祐)の遠祖。

この地名は、昭和42年(1967)5月30日の三浦皇統家の月次祭で「睦仁親王は松良天皇の第四皇子光良親王の王孫である。」という霊示があり、その後、三浦芳聖が地図を広げて門人等と串呂の研究中に「串呂の虫」が現れて発見することが出来たという。
(三浦芳聖著『神風串呂』第140号1967年7月発行7頁)

【三浦皇統家 系図】
後醍醐天皇
-尊良天皇-興国天皇-小室門院¬
-宗良親王――――――小松天皇-松良天皇-大宝天皇-----三浦芳聖
-義良親王――――――寛成親王-綾子皇后-大宝天皇
宗良親王――――――小松天皇松良天皇光良親王----睦仁親王

光長
島根県鹿足郡吉賀町注連川光長(地図マピオン)

(2)明治天皇御陵(京都市伏見区桃山町古城山)

桃山御陵 (2)
京都市伏見区桃山町 明治天皇陵

京都市伏見区の桃山陵墓地にある明治天皇の陵。桃山御陵(ももやまごりょう)(『ウィキペディア』伏見桃山陵

桃山御陵
京都市伏見区桃山町古城山(地図マピオン)

三浦芳聖は、ここで睦仁親王(明治天皇)の軍服姿(上半身・無帽)の神霊写真の撮影に成功している。
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』序文40の2頁・写真版)

睦仁親王(明治天皇)が、軍服を愛用した話は有名ですが、大元帥であったから軍服を愛用したというより、征東将軍宗良親王の再現ゆえ(無意識で)軍服を愛用したといった方が正解だと思う。

征東将軍・宗良親王と睦仁親王(明治天皇)の共通点としては、歌聖であったことも見逃すことはできない。

宗良親王は、准勅撰『新葉和歌集』の撰者であり、睦仁親王(明治天皇)は、約93,000首の和歌を作ったことで有名。

編集者も大正生まれの母親から勧められ、少年時代に『明治大帝御聖訓』(山口鋭之助監修、愛之事業社発刊、1936年)という「御製集」を読んだ記憶がある。

睦仁親王(明治天皇)は「征東将軍宗良親王の井伊谷宮(いいのやぐう)を、明治2年に本宮造営、明治5年に御鎮座、明治6年に官幣中社に列し」(『井伊谷宮略記』)と、超スピードで奉賽し顕彰している。

「三浦皇統家系図」を伝承していた証拠である。

後醍醐天皇
-尊良天皇-興国天皇-小室門院¬
-宗良親王――――――小松天皇-松良天皇-光良親王-----睦仁親王

(3)御在所山(ございしょやま、三重県三重郡菰野町、1212m)
何がおわしますかを鑑定する重要串呂起点。御在所岳の別名。

この神風串呂では「明治天皇の伏見桃山御陵」を鑑定する視点で考察しています。

三重県御在所山
三重県三重郡菰野町 御在所山(地図マピオン)

全国各所にある御在所山の中で、鈴鹿山脈にあるこの三重県三重郡と滋賀県東近江市に跨る御在所山が、地誌からも地文の上からも標高からも最高の重要串呂起点。8大重要串呂起点のひとつ。

【参照】詳細は「御在所山の神風串呂」を参照ください。

(4)松永(まつなが、三重県桑名郡木曽岬町大字源緑輪中)
内伝の天皇である神皇正統第99代・松良天皇を表わす地文。

木曽岬町松永3
三重県桑名郡木曽岬町大字源緑輪中(地図マピオン)

【参照】⛩多賀大社と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂 (№29)
⛩多賀大社松永-天皇-松良天皇御陵-三浦芳聖晩年の住所

【参照】松永についての詳細はこちらを参照ください。

「松永」は、松が永遠に繁茂する事をも意味するようだ。事実、松良天皇御陵のすぐ東側の旧東海道には、国の天然記念物に指定されている「御油の松並木」が生い茂っている。神風串呂の的確なる事に畏敬の念を禁じえない。【参照】『ウィキペディア(Wikipedia)』御油の松並木

(5)四之宮(しのみや、神奈川県平塚市)
第四皇子を表わす。ここでは光良親王が松良天皇の第四皇子である事を昭示している。

四之宮
神奈川県平塚市 四之宮(地図マピオン)

【参照】地元の「四之宮地区自治会連合会」のHPには〔その形は古くから「空を翔る鳥」(吾等の郷土:昭和8年刊行の中郡大野村郷土誌)と形容される特異な形状で平塚市の東部にあって相模川に接しています。〕と出ていました。(現在リンク切れ)

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

光長-明治天皇御陵-御在所山-松永-四之宮

伏見桃山御陵に眠る睦仁親王(明治天皇)は神皇正統第99代・松良天皇の第四皇子「光良親王」の王孫であると解釈します。

御在所山と伏見桃山御陵を結んで伏見桃山御陵には、どなたがおわしますか?と鑑定した所、「伏見桃山御陵は松永(松良天皇)の四之宮(第四皇子)である光長(光良親王)の王孫である」という的確なる神風串呂です。

この串呂は睦仁親王(明治天皇)の眠る伏見桃山御陵を通る実証の神風串呂です。

神風串呂が如何なるものかを余すところなく昭示していて、串呂主宰神である皇大神宮内宮の大神様の御稜威を感じ取ることが出来ます。

最近「明治天皇(南朝皇胤)すりかえ説」を隠蔽しようとする田布施一味の動きが出てきましたので、明治天皇の神風串呂をご紹介するに当たり、この神風串呂を一番に御紹介しました。


💟皆様方の御支援に感謝しています!

読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。


🔴神風串呂を学びましょう!


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)


🟡バックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。
ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟢次号(明治天皇の神風串呂2)

🔴明治天皇の神風串呂一覧
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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