三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版 編集発行 串呂哲学研究会
💞編集者 挨拶
串呂哲学研究会
🟡明治維新は南朝革命
本書の著者である三浦芳聖師は「徹底的に日本歴史の誤謬を糺す」(1970年10月発行)の序文の中で、元宮内大臣・田中光顕伯爵から、明治維新は南朝革命だったという維新秘話を聞き出したことを詳細に記述しています。
維新の志士・元宮内大臣・田中伯爵は、昭和4年(1929年)2月、三浦芳聖師に、明治維新は後醍醐天皇第十一皇子「満良親王」の御王孫を擁立しての南朝革命であったという維新秘話を告白したのです。
明治維新は「南朝革命」だったのです!
元宮内大臣・田中伯爵が告白した「満良親王」は、その後、三浦芳聖師への神霊界からの霊示と串呂によって、実は神皇正統第九九代「松良天皇」の第四皇子「光良親王」であることが判明しました。それは、昭和42年(1967年)5月30日のことでした。
神皇正統家極秘伝の神風串呂は、この「明治維新・南朝革命説」を誰にでも分かるように論証できる神道皇霊学の秘法でありますので、本書をご一読下されば、明治維新が南朝革命であったことを明瞭に理解できると確信しています。
三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版を発行するに当たり、参考のため、三浦芳聖師が明治天皇の串呂を解明した経緯について簡単にご紹介させて頂きます。
🟡明治天皇の串呂解明の経緯
明治天皇の串呂が解明されるに至る契機となったのは、昭和42年(1967年)5月30日午前9時、三浦芳聖師の道場兼自宅に於て、まさに三浦家の月次祭が挙行されようとしている所へ、何の前ぶれもなく南朝史学会の藤原石山(彦人)氏が訪ねて来たことから始まります。
そこで、三浦芳聖師が、藤原石山氏を月次祭に参列させてもよいか、皇祖大神にお伺いした処、「必要があって藤原氏を寄こしたのであるから三浦家の月次祭に参列させよ!」との霊示があったので、藤原氏を月次祭に参列させ、三浦芳聖師が祭主となって、大祓神事から始まる約一時間余りの月次祭が厳修されました。
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